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ホテル ①

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梶野さんは俺に何を伝えたかったんだろう?
今まであんなに心配そうに俺を見ていた梶野は、初めてだ。
それにどうして俺のスマホに梶野さんの電話番号を登録して、どうして『くれぐれもスマホはすぐに出られるようにしていて下さい』なんて言ったんだろう?

 そんな事を考えながらエレベーターを降り、幸樹が待っ部屋の前まで智樹はやってきた。悲しそうに小さく溜息を吐き、そして次は幸樹に会う為気合を入れるよう、目を閉じ大きく深呼吸をする。空気を大きく吸ったはずが、喉に何か詰まったかのような違和感で、体の中に空気が少ししか入ってきていないような気がし、胸を誰かに握りつぶされそうに苦しくなってくる。

雅樹に会いたい…。

 雅樹を頭に思い浮かべると抱きしめられた感触が智樹を包み込み、自然と体の力が抜けていく。

さよなら、俺の新しい世界…。

 環との出会いで変わっていった世界に、雅樹の気持ちを知れた幸せに心の中で別れを告げると、智樹は部屋のベルを鳴らした。



「智樹久しぶり」
 部屋のドアが開いた同時に室内に引き込まれ、ドアが締められたと同時に智樹は幸樹に抱きしめられる。
「会いたかったよ智樹」
 幸せを噛み締めるよう、もう智樹を離さないというよう、智樹を抱きしめる幸樹の腕に力が入る。
「智樹も俺に会いたかった?」
 いつも幸樹がしている香水の香りが智樹の鼻から入り、嫌悪感から目眩がした。でも智樹はそんなこと微塵も見せずに、
「会いたかったよ兄さん。寂しかった」
まるで台本に書かれているセリフを、幸樹が好む智樹を演じているかのように智樹は言い、幸樹の背中に腕をまわした。
「あれ?智樹、香水つけてる?」
 智樹の髪にキスをした幸樹が香水の事に気がつく。

しまった!
香りを消してくるの忘れてた。

「どうして付けてるんだ?」
 幸樹の声に少し棘が出る。独占欲の強い幸樹は、勝手に智樹が香水をつけ出したことが嫌なのだ。
「たまたまいい香りの香水見つけて…、あの、それで……」

本当のことは言えない。
じゃあなんて……
あ!!

「兄さんも香水つけ出したの、17歳ぐらいだったかな?と思って…。その、俺も同じ歳になったから、いいかな?って…」

兄さんは納得しただろうか?

 恐る恐る幸樹を見ると、先ほどまでの棘のある表情は消え、嬉しそうに智樹を見つめている。
「そんなことだったのか。てっきり俺以外の誰かのためにつけてるのかと思ったぞ」
 ひょいっと幸樹は智樹を抱き上げると、
「そういう事は、今度から俺にいいなさい。俺が智樹に合う香りを選んであげるよ」
智樹の胸に顔を埋める。
「うん、わかったよ…」
智樹はそれしか言えなかった。

「そうだ、智樹に合いそうな服を用意しておいたよ。どれがいい?」
 シワひとつないキングサイズのベッドの上には、何着もの服が並べられている。
「これはどうだ?生地と仕立てがいい」
 幸樹はその中から上下合わせた服を手に取り、智樹にあてがう。柔らかな肌触りの生地に、着る人のことを1番に考えていそうな作り。ロゴは表面にはなく、首筋のタグにあるのは有名ブランドだ。
「素敵だね」
 智樹がその服を手に取ると、気を良くした幸樹が違うテイストの服を手に取り、また智樹にあてがう。
「これはどうだ?老舗ならではの高級感があるだろう?」
「そうだね」
 智樹は笑ってみせるが、今にも泣きそうな目になっている。

だめだ!
俺は今、幸樹兄さんが好む『智樹』なんだ!

 奥歯をぐっと噛み締め、気づかれないように涙を一度拭うと満面の笑みを浮かべた。
「どれも素敵で選べないよ」
 並べられた服を無邪気に手に取る智樹は、室内に入る前の智樹とは別人のよう。チラッと智樹が幸樹の視線を見ると、自分のしたことに満足している。
「智樹は可愛いからなんでも似合うよ」
 幸樹はそのまま智樹を抱きしめようとしたが、智樹は隙間に体を滑り込ませ、幸樹の腕から逃れた。
「兄さんが選んで」
 
こう言うと、兄さんは喜ぶ…んだったっけ?
人ってどうでもいいことは、すぐに忘れるんだな。

 智樹は心の中で呟く。最近の智樹にとって、人の顔色を伺う事はしなくていいことで、どうでもいいことになっていた。だから仕方を忘れてしまっていた。

もう考えるの面倒くさいから、兄さんが好きなように決めてもらおう。
それで兄さんが喜ぶならそれでいいし、そうなったら兄さんがどこまで環や桜ちゃん、最近の俺について知っているか探りを入れよう。

「兄さんはどれが1番いいと思う?僕は兄さんが1番いいと思う服を着たい」
 幸樹には100点の答えだろう。『あなたが1番』そう思わせておけば、幸樹は上機嫌になる。案の定、幸樹は機嫌を良くし、自分が選んできた服の中から、より智樹に似合いそうな服を探し、智樹の体にあてがった。
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