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香水
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河上家のキッチンは、いつも美味しそうないい香りがしている。それはオーブンからだったり、フライパンからだったり、大きな鍋だったり。和食、中華、洋食、スイーツ系…。食欲をかき立てるものばかり。
雅樹は厳格で『人の上に立つものとは』を幼い頃から教え込み、人に上下を決める絶対的で高圧的な父親が嫌いで、そんな父そっくりな兄が嫌いで、未だに人の価値を自分にとって得のある存在か、その他の人達と区別する歪んだ思考の息子を、溺愛する父方の祖父母が嫌いだ。雅樹は嫌気がさす家《ここ》が大嫌いだったが、天使のような智樹と、いつも優しく包み込んでくれる母親とその愛情がこもった食卓が心の拠り所だった。
だから雅樹自身が心を許した人しか、この食卓へ招待しない。そんな食卓に招待されているのが…
「清美さん。俺を息子にしてください!」
雅樹の母親手作りのカニクリームコロッケを一口たべた純也が、その味を噛み締める。
「我が家は3人で手一杯。そのかわり純也君が一生共に歩きたいって思える人と出会えた時に、作り方を純也君に教えてあげる。大切な人の笑顔は宝物よ」
そう言いながら、純也の皿にカニクリームコロッケのおかわりをのせる。
「ちなみに俺は作り方、もう知ってる」
「あ、私も作り方知ってるよ」
雅樹と早見が言うと、純也が心底ショックな顔で2人を見て、
「知らないの俺だけ!?そんな~」
しゅんと肩を落とした。
「でも雅樹、そんな人いないじゃん」
そんなことを言いながらも大きく口を開け、特製ドレッシングがかかったサラダを純也は頬張る。
「いる。ってか、お前の目は節穴か?」
雅樹が呆れ顔で、その隣にいた早見も呆れ顔。
「?……。雅樹も早見さんも、いつも通りイケメンに見えてるから正常だ」
雅樹と早見の顔を交互に覗き込んだ純也は大真面目。
「純也はふざけてるのか、本当に馬鹿なのかがわかねーな」
「本当に」
軽く溜息を吐き雅樹と早見は、また呆れ顔をする。だが雅樹は呆れ顔の中に、少し嬉しそうな表情を浮かべる。それは『イケメン』と言われたからではない。本当に雅樹の愛する人の事に気がついていないはずはないが、雅樹が純也に打ち明けるまで、知らないフリをしてくれる。智樹と雅樹の話を他の人が雅樹に聞いてきた時も、ふざけていつも笑い話にしてくれる純也の存在が嬉しいのだ。そうでもしないと、智樹と雅樹の距離感はその他大勢から見れば、奇妙にうつるだろう。
智樹との関係がオープンにできたら、どんなにいいだろう?
俺の愛してる人は智樹だと大声で言えたら、どんなにいいだろう。幸せなんだろう。
1番初めに純也に話したい。それからいつも守ってくれる敬也さんと早見さん、母さんに。
でも早見さんは許してくれるだろうか?
智樹の事を早見さんに任せっきりにしている俺のことを…。
許してくれるだろうか?いつも俺が頼ってばかりの敬也さんは。
敬也さんの気持ちを知ってるのに…。
許してくれるだろうか?母さんは。
兄弟で…こんなこと……。
俺の大切な人たちは、俺のことを許してくれるだろうか?
どうしても智樹のことを諦めきれない俺のことを……。
何度も繰り返し思っていた言葉が、雅樹の頭に浮かんだ時、
「ただいま~」
玄関のドアを開ける音と共に、元気な智樹の声がする。雅樹が『おかえり』と玄関に智樹を迎えに行くより先に、雅樹の前に人影が飛び出してきた。
「おかえり!」
純也が智樹に飛びついた。
「智樹がいなくて寂しかった」
抱きついたまま純也が智樹の首筋に顔を埋める。
「離れろ!変態」
雅樹が無理やに純也を智樹から剥がすと、智樹からふわっといい香りがした。
あ、この香り…
「智樹、最近香水つけてる?」
雅樹が聞く前に純也が智樹に聞くと、
「……うん……。いい香りだなと思って」
恥ずかしそうに智樹がはにかんだ。
少し前から気がついてた。智樹が香水つけてるって。
でもなんで?
「へー。なんで?」
雅樹が聞きたくても聞けなかったことを、無邪気そうに純也はさらっと口にする。
「なんでって……、それは気づいて欲しくて…、その……」
ちらっと智樹が雅樹の方を見て、すぐに視線を逸らした。
どうして目を逸らすんだ!?
俺に聞かれたくないのか!?
智樹が香水をつけ出したのは、つい最近。
それまで香水自体嫌がってたのに、急にどうして?
しかも香水をつけ出したのは、そう…、環と出会ってからで……。
気づいて欲しいって、それやっぱり環なのか……?
「智樹、今日は桜ちゃんの誕生日プレゼント買いに行くって言ってたよな。いいの買えた?」
智樹が言う前に雅樹は智樹の言葉を遮った。
聞きたくない。
『環に気づいて欲しくて』なんて、聞きたくない。
でも『環なら智樹を任せられる』って、俺決めたじゃないか…。
俺は智樹から離れるって決めたじゃないか。
気を紛らわせるために、智樹との時間を減らすために部活に専念した。
本当は智樹と環と一緒に登下校して、いつも智樹を守りたかった。
でもそれはせずに、1ヶ月間早見さんに遠くから2人に危険がないか見守ってもらえるように頼み込んだ。
環もよくやってるじゃないか。
家同士、学校から正反対なのに、環は毎日送り迎えをして…。
俺がいなくても智樹は大丈夫。
大丈夫。
俺がいなくても……。
でも俺は……。
雅樹が視線を落としている間、智樹が悲しそうに雅樹を見ていた事に、雅樹は気がつかない。そんな沈んだ空気を断ち切ったのは母親の一言。
『みんなで夕食食べてるんだから、環くんも誘ってみたら?大人数の方が楽しいわよ』と。そして、雅樹も智樹も「そうだね」と笑顔で答えた。
雅樹はこう思った。
『この気持ちは環のせいじゃない。
俺のせいだ。
ざわついたドロドロした気持ちは俺自身の不甲斐なさ。
いつまでも智樹から離れられない俺のせいだ。』と。
智樹はこう思った。
『雅樹に気づいて欲しかったんだ。
俺から離れていく雅樹との距離を縮めたかったんだ。
雅樹、知ってる?
わざと雅樹の持ち物にこの香りをつけていたのを。
離れていても、俺を思い出して欲しいかったんだ。
この香りがしたら俺を感じて欲しかったんだ。
どこにも行かないで…。』と。
雅樹は厳格で『人の上に立つものとは』を幼い頃から教え込み、人に上下を決める絶対的で高圧的な父親が嫌いで、そんな父そっくりな兄が嫌いで、未だに人の価値を自分にとって得のある存在か、その他の人達と区別する歪んだ思考の息子を、溺愛する父方の祖父母が嫌いだ。雅樹は嫌気がさす家《ここ》が大嫌いだったが、天使のような智樹と、いつも優しく包み込んでくれる母親とその愛情がこもった食卓が心の拠り所だった。
だから雅樹自身が心を許した人しか、この食卓へ招待しない。そんな食卓に招待されているのが…
「清美さん。俺を息子にしてください!」
雅樹の母親手作りのカニクリームコロッケを一口たべた純也が、その味を噛み締める。
「我が家は3人で手一杯。そのかわり純也君が一生共に歩きたいって思える人と出会えた時に、作り方を純也君に教えてあげる。大切な人の笑顔は宝物よ」
そう言いながら、純也の皿にカニクリームコロッケのおかわりをのせる。
「ちなみに俺は作り方、もう知ってる」
「あ、私も作り方知ってるよ」
雅樹と早見が言うと、純也が心底ショックな顔で2人を見て、
「知らないの俺だけ!?そんな~」
しゅんと肩を落とした。
「でも雅樹、そんな人いないじゃん」
そんなことを言いながらも大きく口を開け、特製ドレッシングがかかったサラダを純也は頬張る。
「いる。ってか、お前の目は節穴か?」
雅樹が呆れ顔で、その隣にいた早見も呆れ顔。
「?……。雅樹も早見さんも、いつも通りイケメンに見えてるから正常だ」
雅樹と早見の顔を交互に覗き込んだ純也は大真面目。
「純也はふざけてるのか、本当に馬鹿なのかがわかねーな」
「本当に」
軽く溜息を吐き雅樹と早見は、また呆れ顔をする。だが雅樹は呆れ顔の中に、少し嬉しそうな表情を浮かべる。それは『イケメン』と言われたからではない。本当に雅樹の愛する人の事に気がついていないはずはないが、雅樹が純也に打ち明けるまで、知らないフリをしてくれる。智樹と雅樹の話を他の人が雅樹に聞いてきた時も、ふざけていつも笑い話にしてくれる純也の存在が嬉しいのだ。そうでもしないと、智樹と雅樹の距離感はその他大勢から見れば、奇妙にうつるだろう。
智樹との関係がオープンにできたら、どんなにいいだろう?
俺の愛してる人は智樹だと大声で言えたら、どんなにいいだろう。幸せなんだろう。
1番初めに純也に話したい。それからいつも守ってくれる敬也さんと早見さん、母さんに。
でも早見さんは許してくれるだろうか?
智樹の事を早見さんに任せっきりにしている俺のことを…。
許してくれるだろうか?いつも俺が頼ってばかりの敬也さんは。
敬也さんの気持ちを知ってるのに…。
許してくれるだろうか?母さんは。
兄弟で…こんなこと……。
俺の大切な人たちは、俺のことを許してくれるだろうか?
どうしても智樹のことを諦めきれない俺のことを……。
何度も繰り返し思っていた言葉が、雅樹の頭に浮かんだ時、
「ただいま~」
玄関のドアを開ける音と共に、元気な智樹の声がする。雅樹が『おかえり』と玄関に智樹を迎えに行くより先に、雅樹の前に人影が飛び出してきた。
「おかえり!」
純也が智樹に飛びついた。
「智樹がいなくて寂しかった」
抱きついたまま純也が智樹の首筋に顔を埋める。
「離れろ!変態」
雅樹が無理やに純也を智樹から剥がすと、智樹からふわっといい香りがした。
あ、この香り…
「智樹、最近香水つけてる?」
雅樹が聞く前に純也が智樹に聞くと、
「……うん……。いい香りだなと思って」
恥ずかしそうに智樹がはにかんだ。
少し前から気がついてた。智樹が香水つけてるって。
でもなんで?
「へー。なんで?」
雅樹が聞きたくても聞けなかったことを、無邪気そうに純也はさらっと口にする。
「なんでって……、それは気づいて欲しくて…、その……」
ちらっと智樹が雅樹の方を見て、すぐに視線を逸らした。
どうして目を逸らすんだ!?
俺に聞かれたくないのか!?
智樹が香水をつけ出したのは、つい最近。
それまで香水自体嫌がってたのに、急にどうして?
しかも香水をつけ出したのは、そう…、環と出会ってからで……。
気づいて欲しいって、それやっぱり環なのか……?
「智樹、今日は桜ちゃんの誕生日プレゼント買いに行くって言ってたよな。いいの買えた?」
智樹が言う前に雅樹は智樹の言葉を遮った。
聞きたくない。
『環に気づいて欲しくて』なんて、聞きたくない。
でも『環なら智樹を任せられる』って、俺決めたじゃないか…。
俺は智樹から離れるって決めたじゃないか。
気を紛らわせるために、智樹との時間を減らすために部活に専念した。
本当は智樹と環と一緒に登下校して、いつも智樹を守りたかった。
でもそれはせずに、1ヶ月間早見さんに遠くから2人に危険がないか見守ってもらえるように頼み込んだ。
環もよくやってるじゃないか。
家同士、学校から正反対なのに、環は毎日送り迎えをして…。
俺がいなくても智樹は大丈夫。
大丈夫。
俺がいなくても……。
でも俺は……。
雅樹が視線を落としている間、智樹が悲しそうに雅樹を見ていた事に、雅樹は気がつかない。そんな沈んだ空気を断ち切ったのは母親の一言。
『みんなで夕食食べてるんだから、環くんも誘ってみたら?大人数の方が楽しいわよ』と。そして、雅樹も智樹も「そうだね」と笑顔で答えた。
雅樹はこう思った。
『この気持ちは環のせいじゃない。
俺のせいだ。
ざわついたドロドロした気持ちは俺自身の不甲斐なさ。
いつまでも智樹から離れられない俺のせいだ。』と。
智樹はこう思った。
『雅樹に気づいて欲しかったんだ。
俺から離れていく雅樹との距離を縮めたかったんだ。
雅樹、知ってる?
わざと雅樹の持ち物にこの香りをつけていたのを。
離れていても、俺を思い出して欲しいかったんだ。
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どこにも行かないで…。』と。
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