神様と翼のない少女

岡暁舟

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脱走

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 簡単な夕食を済ませて、僕は仮眠室に籠城した。パソコンを立ち上げて動画投稿サイトを幾つか巡回していく。一番の好みは鉄道や旅行を取り上げるチャンネルKである。趣味なんて高尚なものではないが、段々と鉄道に興味を惹かれるようになった。小さな檻の中で育った人間は遥か遠くに広がる世界へ旅をしたい・・・あらゆる方向へ導いてくれる手段こそが鉄道であり、鉄道を使った旅行には大きな関心を持っていた。

 今はこの仕事が忙しすぎてまとまった休暇をとる余裕もない。もう少し落ち着いたら旅に出たい・・・今はチャンネルKの動画を見て妄想を膨らませるだけだった。鉄道沿線の風景を小さな画面から覗き体験する・・・暫くすると、本当に旅をしている気分になる。動画は毎日のペースで更新されているので、きっと毎日どこかを旅していることになるだろう。最近では動画投稿サイトで有名になると収益を得ることも出来るそう・・・自分の趣味を動画に挙げて、それが金を生み出すのであれば、なんと素晴らしいシステムではないか。まあ、凡人の僕には無理な話であるが。チャンネルKはまだまだ小さなチャンネルであり、恐らく収益を得てはいないと思われる。チャンネル規模と視聴回数が収益化の条件となるからだ。実際のところ、こうしたニッチな動画が大衆受けすることはほとんどないから、難しいと思われる。趣味なんて大概はそんなものだろう。

 視聴するのは昨日投稿された動画で、霞が先海岸という小さな町に向けた旅行だった。東宿駅を午前11時に出発する特急列車に乗車、おおよそ2時間かけて列島を南下していく。1時間もすれば、少し遠くに青い海が姿を出し、それは段々と近づいて来る。霞が先駅には午後1時に到着、下車後は30分ほど歩いて半島の付け根に到着する。

 「ここが有名な海岸の先端になります。太平洋を一望できるスポット・・・今日は生憎の雪です・・・」

 夏は海水浴客で賑わう有名な観光スポットらしい。今は冬である。雪の降りしきる静かな海岸には人影が一切ない。まるでこの世界を独り占めしている気分になるのだろう。主人公は大きく手を振って・・・顔は笑っているが、視聴者である僕らに助けを求めているようにも見えた。あるいは何かを探しているような感じ?まあ、気のせいだとは思ったが。


 *******************************


 「院内コール、院内コール・・・小児科病棟!!!」

 突如として全館放送が入った。院内の急変や緊急事態の際にコールされる。院内の職員は基本的に現場へ駆けつけることとなる。僕は・・・もう非番なのだが、小児科病棟と言うのが妙に引っかかってしまった。もしかして、先ほど入院したあの少女・・・飛鳥の一件ではないかと考えた。そうなると、居ても立っても居られなくて、すぐさま小児科病棟へ向かった。到着すると、やはり先ほどの病床の前で人だかりが出来ており、中には泣いているスタッフもいた。

 「どうしたんですか?」

 僕はその場に居合わせたスタッフの一人に声をかけた。

 「それが・・・さっき入院した患者さんが・・・飛び降りたみたいなんですよ・・・!!!」

 飛び降りた・・・と言われても、信じられなかった。ここは14階である。飛び降りるというのは、窓の外に広がる銀世界へ?窓が開くことなんてないのだから、突き破って出ていくくらいしか方法はないだろう。そんなこと、非力な少女に出来るはずがない・・・最初はそう思った。

 「だって・・・床が血で汚れています!!!」

 確かに、少女のベッド付近はそこそこ多めの血で汚れていた。そして、大きく不快なビル風が行き場を失った小さな雪粒と共に迷い込んで来ることに気が付いた。この病室は今、外の世界と交通している・・・つまりは、少女が窓を突き破って飛び降りた・・・再度自殺を試みたということなのか?

 「自殺したに決まっている・・・どうして防げなかったのかしら・・・」

 スタッフはみな、自分たちが悪いと思っている。本当は誰も悪くない・・・いや、悪いか。少女の命の保護を強制する社会通念を忠実に守る僕たちはやはり悪者なのかもしれない。

 少女が舞い降りたとされる外の世界を見てみることにした。1階までエレベーターで降りて、正面玄関から出た。この銀世界を彼女は最期の場に選んだのか・・・疑問が湧いた。14階の騒動とは裏腹に、この世界は静かにゆっくり、時間が進んでいる。人影は見当たらない。こんなに早く回収されるはずもないし。本当に飛び降りたのか・・・少し時間をかけてその痕跡を辿ることにした。かれこれ30分は経過しているに違いない。でも銀世界のおかげで暫くは明るかった。どこを見ても、少女の姿はやはりなかった。

 これだけ捜索しても見つからないとなると・・・やはり疑問は正しいと思った。飛び降りてなんかいない・・・きっとどこかに隠れている。騒動がおさまった頃合いに病室に戻ることを考えているんだ・・・なんとなく頭が冴えてきた。患者の未来を予想することに長けている神様・・・本領発揮といったところだ。少女の顔色を思い浮かべ、少し考えた・・・導き出された答えは、地下の物置だった。彼女は自殺を演出して、病室から脱走したのだ。



 「彼女は人間を馬鹿にする悪魔である」

 「彼女に新しい人生を授けてやるのが神様の仕事である」

 「僕は神様なのか?ああ、みんなは僕のことを神様と崇める」

 「人間のために何かする必要があるのか?」

 「結論から言えばどちらでもいい。ただ、自分の信じた道を歩むだけ・・・」

 「少女をこの世界から葬り去る、この世界の正しい交通整理を推進する人間として」



 僕はとうとう決心した。なにも難しく考える必要なんて最初からなかったのだ。世間が神様と皮肉るのであれば、このまま神様になればいい。世間が僕を神様と崇めるのであれば、そのまま神様で居続ければいい。僕は念のため一度医局に戻って、塩化カリウムの処方箋を切った。すぐさま薬剤室に向かいカリウムの入ったアンプルを受け取った。ポケットに仕込んだ10mLのシリンジと共に物置に向かうこととした。心の底から煮えたぎるやかんのように興奮していた。

 新しい12月25日の後半戦・・・白熱した攻防の序章に差し掛かった。
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