恋の始め方がわからない

毛蟹葵葉

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喧嘩別れ

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喧嘩別れ

 アパートの部屋に戻ってからは、ずっと姫川の事ばかり考えていた。

 姫川は、私のことを少なからず思っているのではないかと、そんなはずないのに。
 
 彼が私を誘うのはきっと、深い意味なんてない。友達としてだ。
 
 考えないようにしようとすればするほど、意識してしまう。
 好きになってしまえば、きっと辛くなるから。彼がどれだけモテるのか私はよく知っている。

「痛い女にはなりたくない」

 わかっているのに、すでになりかけている自覚はあった。でも、見て見ぬふりをするしかない。

「早く私に飽きてくれないかな」

 もう、自分から彼を突き放すことができないほどに、楽しい時間を共有し過ぎてしまっていた。
 一緒にいる時間がとても楽しいのだ。

 思春期の痛い失恋未満は、ずっと私の心を苦しめ続けている。
 顔すら覚えていないあの子と、姫川の優しさはどこか似ていた。
 重ねてはいけないとわかっているのに、嘲笑われるのが怖くて私は唇を噛み締める。

 月曜日は、来ないで欲しいと願っていても来てしまう。
 いつものように会社に到着すると信木が私に声をかけてきた。
 
「おはようございます」

 信木の顔はどこか暗く元気がなさそうだ。
 普段の私ならどうしたのか。と、問いかけるけれど、生憎自分にも余裕がないので見て見ぬ振りをする。

「おはよう。信木さん」
 
 優しさを持てない自分自身に苛立ってくる。

「今週末どこかに行きましたか?」

 またいつもの質問に、ため息を吐きたくなるのは私の心が狭いせいだろうか。

「行ってないわよ」

 うんざりとした気持ちをなんとか隠して嘘をつくと、信木の表情が無になった。

「……嘘つき」

「え?」

「八王子さん。嘘ばかりついてる。ずっと」

 信木の苛立っだ声に、私は、自分の態度の悪さに気がついた。
 いや、前々から彼女のことを軽く扱いすぎていたように思う。
 
「信木さん」

「私、知ってるんだから。後悔すればいいんですよ」

 ごめんなさい。と、言えなかった。冷めた声で信木がそれを遮ったからだ。

「の、信木さん?」

 まるで、全てを知っているかのような口調に、背筋がぞくりとした。
 信木が怖い。

「何で私を選ばないの?」

 怒りに燃えた目。その根底にあるのは強い慕情のように見える。
 彼女が私に向ける感情は憧れだったと思う。それなのに、憧れから程遠い感情が信木の目から窺えるのだ。

「何を言っているの?」

「目を覚させてあげる」

 信木はそう言い残すと、私「待って」という制止を振り切って去って行った。
 残された私は、喉に魚の骨が引っかかったような嫌な後味が悪い気分を味わっていた。

 面倒だとは、思わないで信木としっかりと向き合うべきだった。
 時間はたくさんあったのに……。
 
「……」

 悪いことをしてしまった。
 どうしようもないほどに気分は落ち込んでいるが、それでも仕事はしないといけない。
 逃げてしまったらそれこそ、私は本当のどうしようもない人間になってしまうから。

「八王子さん。どうしたの?」

 弓削に声をかけられて、ぼんやりとしていたことに気がつく。

「あ、弓削さん、何でもないです」

「そっか、そんなふうに見えないけど」

 何でもないと返すけれど、弓削にはお見通しのようで苦笑いを浮かべている。
 
 少しいいかい?と、声をかけられて人気のない場所へと連れて行かれる。

「で、何があったの?」

「嘘がバレて嫌われてしまいました」

「ふーん。そもそもなんでそんなことしたの?」

 弓削は呆れた顔をして、私に冷淡に問いかけてきた。
 当然だ。嘘をつくような人間は信用を失うし、幻滅されてしまう。

「何だろう。苦しくて、私の事を知ろうとするところが、本当のことを言うと逃げ道を奪われるような気分になるんです。好きなものを真似されたり、行きつけの場所に現れたり。それが、凄く嫌で」

 言い訳を連ねている。弓削に言うべき事じゃない。私が傷つけたのは信木だ。
 信木との付き合いは長いのに、好きという感情よりも苦手という感情の方が強かった。本当の事が言えなかったのだ。

「……あ、なるほどね。それは、八王子さん悪くないよ。気にしなくていい。むしろ、今までよく我慢してたと思うよ。無理して付き合う必要なんてないし」

 弓削は、勝手に納得して「気にするな」と返してきた。その表情に先ほどの冷淡さは全くなくて戸惑う。

「悩んでるなら相談に乗るよ」

 弓削は優しい先輩の笑みを浮かべていた。
 そういえば、もう一人の頼りになる先輩がいないことに気がつく。

「ありがとうございます。ところで大坪さんは?」

「うん、ちょっとね。お休み。しれっと大坪さんに相談しようとしたでしょ?」

「ふふふ」

「八王子さんは、生意気で可愛い後輩だよ」

 弓削との冗談のやり取りをしていたら、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
 信木との付き合いが苦しいと思うようになった時から、関係を見直すべきだったのだ。
 
 こじれてしまった関係を元に戻すのは難しい。
 謝って許してくれるようにも思えないし、今後一緒にいるのを考えると疲れてしまう。
 言い方は悪いけれど、縁の賞味期限だったのだろう。今更つなげたいとも思えなかった。
 ただ、信木以外に親しい同期がいないので、それが、少しだけ寂しくはあるけれど……。

「人間関係辛くても、僕や大坪さんがいるから大丈夫だからね。……僕も同期と仲良くないし」

「そうなんですか」

 弓削は、何かを察した。というよりも、知っているかのように私を励ましてきた。

「年取るとね。仲良しグループも変わってくるの。家庭持ったりとかね。大切なものができるとそっちを当然優先するでしょ?」

「確かに」

 既婚者の友人はいないけれど姫宮を見ていると、恋に生きる彼女はそちらを常に優先しているように見える。

 大切なものか……。

 私にはそんなものなんてない。
 そう思うと途端に、自分はどうしようもないほどに寂しい人間に見えてきた。

「何か、大切なものがなかったら、どうしたらいいんですかね」

「作ればいいんじゃない?人じゃなくてもいいんだし」

「確かに」

 その考え方はなくて、何だか救われたような気分になった。

「八王子さんはさ、もっと自由にすればいいよ。人目なんて気にしないでさ、多少わがままになっても、好きな事すればさ」

「えっ」

 どきりとした。
 見た目なんて気にしないで、誰かに誰かに恋しても恥ずかしくないよ。と、言われているように聞こえたからだ。
 弓削がそんな事を言うはずないのに。

「もしも、私みたいな無愛想で大女が誰かに恋しても痛いと思いませんか?」

「えっ、えっと、それって」

 するりと口から出た言葉に、弓削は戸惑って顔を真っ赤にさせている。
 その反応を見て気がついた。

 私、弓削さんに告白してるみたいじゃない……!

「ご、ごめんなさい。深い意味なんてないんです」

 私は慌てて、深い意味などないと言い訳をする。

「まず、色々とおかしいんだけど」

 と、弓削が何かを言いかけたところで、「すみません」と、声をかけられて遮られた。
 私達は声をかけた人を見た。
 そこにいたのは、姫川だった。
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