忘れられた妻

毛蟹葵葉

文字の大きさ
上 下
38 / 44

38

しおりを挟む
「わぁ……」

チネロは久しぶりに見た海に瞳を輝かせた。
太陽に照らされたアイスブルーの海。星粒のように輝く砂浜。
旅行は始まったばかりで、これから先の事を考えるだけでチネロは楽しかった。
少しだけ気がかりな事はあるけれど、その件で前に出てくれたのはローディンだった。

「綺麗ですね」

ローディンは楽しそうに笑うチネロに微笑んだ。
連れてきて良かった。
屋敷に居た時のチネロの笑みも素晴らしい物だったが、開放的な場所で見せる屈託のない笑みはまた格別だ。
チネロとの距離が近くなればなるほど、目まぐるしく変わる表情の一つ一つが、ローディンの心を掻き乱すようになっていた。
ローディンは、自分の湧き上がる気持ちに戸惑っていた。

「ローディンさん。本当にありがとう」

チネロの心からの感謝の言葉にローディンは、自分にはそんな価値などない人間なのに。と、思い表情を曇らせる。

「ローディンさんは、なんで、いつも私に親切なの?」

チネロは出会った時よりも、幾分か気安く声をかけられるようになった。気がする。
ローディンはそれがとても嬉しくて怖かった。

自分のしでかした事を彼女が知ったらどんな反応をするのか、考えるだけで怖かった。
チネロに親切にするのは当然の事だ。しかし、それすら罪滅ぼしにすらなっていない。
ただ、何も考えずに口にした言葉が彼女の人生を狂わせて、大切な人を苦しめる結果になってしまった。

「したい事をしただけです」

悔やんだ所で、彼女が苦しんだ月日は戻らない。
謝罪をしたところで自分の気が楽になるだけだ。謝罪をを口にして自分だけ楽になろうとローディンは思ってはいなかった。


「したい事をしただけです」

そう言ったローディンの表情はとても痛ましく、チネロは胸が痛んだ。
ローディンは嘘をつかない。だからこそ、余計な事は言わない。
チネロはローディンが何か隠していることに気がついていた。それが、彼の心に影を落としている事にも。
チネロに過保護なまでに手を貸すのは、強い責任感からくるものだと察していた。

チネロはローディンに救われた。しかし、ローディンを救えるのは自分にはできない思っていた。
ローディンを救えるのは自分自身しかいない。

「ローディンさんは、優しいですね」

だから、チネロは気が付かないフリをする。
ローディンは、きっとチネロへの罪悪感を持って生きていく事を選んだ。彼が望んでいる事を止めるつもりはない。

「そんな事ないです。だけど」

続きの言葉を言おうとしてためらうローディンに、チネロは首を傾ける。

「旅行が終わっても逢いに行ってもいいですか?」

旅行も始まったばかりなのに、もう、先の話をするなんて……。
誠実な距離の詰め方に、チネロは、おかしくなって声を出して笑った。

「ふふふ。もちろんです。いつでも逢いにきてください。待っていますから」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

私はただ一度の暴言が許せない

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。 花婿が花嫁のベールを上げるまでは。 ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。 「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。 そして花嫁の父に向かって怒鳴った。 「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは! この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。 そこから始まる物語。 作者独自の世界観です。 短編予定。 のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。 話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。 楽しんでいただけると嬉しいです。 ※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。 ※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です! ※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。 ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。 今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、 ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。 よろしくお願いします。 ※9/27 番外編を公開させていただきました。 ※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。 ※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。 ※10/25 完結しました。 ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。 たくさんの方から感想をいただきました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、 今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきます。

愛される日は来ないので

豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。 ──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。

わたしの婚約者の好きな人

風見ゆうみ
恋愛
わたし、アザレア・ミノン伯爵令嬢には、2つ年上のビトイ・ノーマン伯爵令息という婚約者がいる。 彼は、昔からわたしのお姉様が好きだった。 お姉様が既婚者になった今でも…。 そんなある日、仕事の出張先で義兄が事故にあい、その地で入院する為、邸にしばらく帰れなくなってしまった。 その間、実家に帰ってきたお姉様を目当てに、ビトイはやって来た。 拒んでいるふりをしながらも、まんざらでもない、お姉様。 そして、わたしは見たくもないものを見てしまう―― ※史実とは関係なく、設定もゆるく、ご都合主義です。ご了承ください。

私と一緒にいることが苦痛だったと言われ、その日から夫は家に帰らなくなりました。

田太 優
恋愛
結婚して1年も経っていないというのに朝帰りを繰り返す夫。 結婚すれば変わってくれると信じていた私が間違っていた。 だからもう離婚を考えてもいいと思う。 夫に離婚の意思を告げたところ、返ってきたのは私を深く傷つける言葉だった。

愛する貴方の愛する彼女の愛する人から愛されています

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「ユスティーナ様、ごめんなさい。今日はレナードとお茶をしたい気分だからお借りしますね」 先に彼とお茶の約束していたのは私なのに……。 「ジュディットがどうしても二人きりが良いと聞かなくてな」「すまない」貴方はそう言って、婚約者の私ではなく、何時も彼女を優先させる。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 公爵令嬢のユスティーナには愛する婚約者の第二王子であるレナードがいる。 だがレナードには、恋慕する女性がいた。その女性は侯爵令嬢のジュディット。絶世の美女と呼ばれている彼女は、彼の兄である王太子のヴォルフラムの婚約者だった。 そんなジュディットは、事ある事にレナードの元を訪れてはユスティーナとレナードとの仲を邪魔してくる。だがレナードは彼女を諌めるどころか、彼女を庇い彼女を何時も優先させる。例えユスティーナがレナードと先に約束をしていたとしても、ジュディットが一言言えば彼は彼女の言いなりだ。だがそんなジュディットは、実は自分の婚約者のヴォルフラムにぞっこんだった。だがしかし、ヴォルフラムはジュディットに全く関心がないようで、相手にされていない。どうやらヴォルフラムにも別に想う女性がいるようで……。

見捨てられたのは私

梅雨の人
恋愛
急に振り出した雨の中、目の前のお二人は急ぎ足でこちらを振り返ることもなくどんどん私から離れていきます。 ただ三人で、いいえ、二人と一人で歩いていただけでございました。 ぽつぽつと振り出した雨は勢いを増してきましたのに、あなたの妻である私は一人取り残されてもそこからしばらく動くことができないのはどうしてなのでしょうか。いつものこと、いつものことなのに、いつまでたっても惨めで悲しくなるのです。 何度悲しい思いをしても、それでもあなたをお慕いしてまいりましたが、さすがにもうあきらめようかと思っております。

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。

ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」  はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。 「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」  ──ああ。そんな風に思われていたのか。  エリカは胸中で、そっと呟いた。

処理中です...