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魔王と聖女の選択 1

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 薄暗くうらびれた裏路地で、レイラはカヨを動かしている瘴気を浄化させた。

 カヨの体は消えて、後には骨らしき欠片がいくつか地面に残っていただけだった。

「……なんか、ごめんね」

 レイラは涙のにじむ目で、骨の欠片を拾い集める。

「普段は、あんまり泣いたりしないんだけど……ちょっとこれは」

 カヨの気持ちを知った以上、何としても彼女は元の世界に連れて帰りたい。

 レイラが立ち上がると、正面からラディスに抱きしめられる。

 ラディスの外套の中でレイラは恥ずかしいと考える余裕もなく、自分よりも彼が感じている喪失感を心配した。

「辛い役目を押し付けた」

「ううん。ごめん。ラディスの大切な人だったのに」

「謝らなくていい。彼女の望みをかなえてくれて感謝している」

 大切な人を失ったラディスになぐさめの言葉をかけてあげたいと思うのに、言葉が詰まって何もいえない。

 アロマを使ったオイルマッサージや香りは、日常でたまった人の心と体を癒してくれる。

 けれどもカヨをみとったラディスの心の痛みを和らげるのは、簡単ではない。

 今ここで、レイラにできることなど何もないのだ。

「……ねえ、さっきのカヨさんの話聞いてた? 元の世界に戻れるようにシスを説得したいんだけど」

「お前が出した手紙の返事もない。話が通じるとは思えんが」

「待ってるだけじゃ、いつになるかわからないじゃない」

 レイラが身をよじって、強くラディスの体を押すと、ようやく解放してもらえる。

 ラディスは先ほど笑っていたような気がしたのに、いつもの眉間にぐっと深いしわが寄った渋い顔をしている。

「直接話したいんだけど、ムリかな?」

 自分でも無理を言っているのはわかっていた。

 けれどもレイラを教会のど真ん中にある礼拝堂まで助けに来てくれたラディスならばあるいはと思ったのだ。

「……約束したからな。元の世界に帰すと……その手段を人間に頼むのは面白くないが」

 ラディスは不機嫌そうに言った。遠回しな言い方だが、可能ということだ。

 元の世界に帰りたいというレイラとの約束を律儀に守ろうとしてくれている。

「ありがとう。そうと決まれば、さっとこの村の浄化を終えよう!」

 レイラは自分の気持ちやラディスの真意など、いろいろなことを全部考えないことにして、目の前のことに集中することにした。

   *   *   *

 すぐにラディスと共に麦畑に向かう。

 村人たちの話によると、獣たちは麦畑の中に潜んでいたようで、一斉に姿を現したそうだ。

 最初の方は撃退もできていたのだが、次々と現れる狂暴な獣たちに打つ手がなくなってきている。

「教会の連中が来るのは時間の問題だな」

 麦畑に到着すると、村人たちはすでに避難を終えて、麦畑には誰もいない。

「……獣もいない?」

 ラディスとレイラが畑のあぜ道を進んでいると、四方の畑の麦が揺れ始める。

「!? 囲まれている」

 ラディスが咄嗟にレイラを引き寄せたのと同時に、麦畑からよだれをたらした犬が一斉に襲い掛かってくる。

「わあぁっ!」

 またしても驚きでかわいくない悲鳴を上げてしまう。

 ラディスが魔力で作った剣のようなもので、獣を倒す。

「一気に襲ってきたね」

「統率が取れている」

 ラディスは周囲を警戒して、目線を走らせている。

 姿は見えないが、周囲の麦畑がラディスとレイラを囲うように揺れている。

 ラディスが負けるとは思わないが、このままでは完全にレイラが足手まといだ。

「周囲を焼き払う」

 ラディスが手をかざしたときだった。

 レイラの足元近くの、麦畑の中から白い手がぬっと伸びる。

 あっと気づいた時には、レイラは足首をつかまれ、畑の中に引きずり込まれた。

「レイラっ!」

 悲鳴を上げる間もなく、畑の中を引きずられていくレイラは、先ほど見えた手が白く華奢だったことを思い出す。

 まさか……。

 長い間、畑を引きずりまわされたレイラは、麦畑の中にある、少し開けた場所に放り出される。

 背中をしたたかに打って、息ができなくなる。

 そのレイラの上に、小柄な人影が馬乗りになる。

「ぐっ!」

 顔を歪めたレイラを見て、その人物は笑った。

 顔は逆光で陰になっていて、はっきり見えないが金色の波打つ髪をした、一度見たら二度と忘れないだろう美少女のリリンだ。

「があぁぁぁっ!」

 リリンはその可憐な口から発せられるとは到底思えないような咆哮をあげ、レイラの首を両手で絞める。

 ところが、バチッと音を立てて、リリンの手が弾かれる。

「結界……ラディス様の」

 狂暴化しているのかと思っていたが、理性は残っているようだ。

「うぅ……」

 レイラは這いつくばって、この場から逃げ出そうとした。

 リリンがレイラの首根っこをつかんで、それを許さない。

「結界があるなら、消えるまで攻撃すればいいのよっ!」

 リリンはこぶしに光を集め、レイラを殴りつける。

 バチッ、バチィッ!

 魔力の強いラディスが施した結界だ。

 多少のことでは破れないだろうが、リリンは自分の腕が血まみれのボロボロになっても、レイラを殴り続けている。

「あんたが、現れたせいで、ラディス様は、らしくない行動ばかりとって!」

 とぎれとぎれに、リリンは言う。

「弱いから、気にかけて、守って、大切にして、ラディス様の気持ちを奪ったこと許せない!」

 奪うもなにも、あんたのものじゃないでしょうに。

 リリンが泣いていることに気づいた。

「それなのに……帰るなんて……」

 ……どうしろというのだ。

 異世界に連れてこられて、元の世界に戻りたいと願うことは、そんなにおかしなことだろうか。

 レイラは家族に恵まれなかったが、生き別れになった妹や、大切にしてくれる会社の上司もいる。

 40歳にもなれば、社会的な基盤はしっかりしているし、マンションも買って、貯蓄もしている。

 ラディスのことは気になるが、レイラは恋を追いかけるには歳をとりすぎていた。

 身の危険がある異世界に残りたいなど、考える方がおかしいのだ。

 バチッ!

 ひときわ大きな音を立てて、結界がはじけ飛ぶ。

 自分の流した血で血まみれになったリリンはにやりと笑い、レイラの首に手を伸ばした。

「あ、がっ……」

 ところがレイラに手が触れる前に、リリンの胸を黒い刃が貫いた。

 リリンは信じられないと言ったような顔をして、自分の胸を見つめて、倒れた。

「阻害魔法に、攪乱魔法が、あったのに……」

 倒れたリリンの向こうに、ラディスが立っているのが見えた。

 安心したレイラだが、腰が抜けて立ち上がれない。

「よかった」

 ラディスはそういうと、レイラを抱きしめた。

 レイラは自分でも驚くほど安堵してしまい、ラディスを抱きしめ返す。

「ありがとう……」

 なんだか泣きたくなった。

 この世界はレイラの命を狙う怖いものばかりだけど、彼だけは……ラディスだけは約束を違えない。何があってもレイラを絶対に守ってくれる。

 なぜか、そう確信することができた。

 落ち着いてリリンを元に戻せないか試してみたが、彼女の体はすでに朽ちていた。

「もう、手遅れだ」

 ラディスはそれ以上説明してくれなかったが、後からシルファに聞いた話では、深手を負わされ、逃げているうちに瘴気の穴に落ちたのではないかと推測してくれた。

 レイラは罪悪感を覚えて申し訳なく思っていたのだが、シルファはいつもの茶目っ気あふれる笑みを浮かべて、魔族とはそういうものだと言った。

 けれどもレイラには、それが少し寂しそうにも見えたのだった。
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