上 下
114 / 119
最終章 アイよりカナし

13

しおりを挟む


 まだ受け容れられないような、憔悴しきった顔でシアがあたしを見つめる。
 顔色が悪い。きっと体も限界のはずだ。

 シアのその手をあたしからとって、船の先まで先を歩いた。シアは黙ってひかれるままに、あたしの後に続く。
 光の粒はいつの間にか、船から溢れ出すほどに膨らんでいた。
 この世界があたしという存在を、受け入れようとしている。
 ここにきっと。
 新しい神の、柱がたつ。

「…何故、誰も…誰も、引き留めないんだ」
「…あたしの、人望かな」
「……笑えない」
「笑って。これがきっと最後だよ」
「……マオ…!」

 歩みを止めて、ぐっと。震える手に力がこもる。
 奥歯を噛みしめて絞り出す声が、あたしの名前だなんて。
 その痛みと苦しみを与えているのが、あたしだなんて。
 なんて哀しくて、嬉しくて……いとおしいんだろう。

「シア。死なないで。この世界は必ずあたしが守るから…だから、シア。あなたはそこで生きていて」
「…勝手だな、マオ。おれを置いていこうとしているくせに」
「そうだよ、みんな勝手だよ。誰もがみんな身勝手で…みんなそれぞれ、望みがあるよ。だけど今ここで、望みを叶えられるのは、あたしだけ」
「おれの望みを叶えられるのもおまえだけだ……!」

 きつく繋いだ手の温もりは、震える手に消えていく。
 あとどれくらい時間が残っているのか。ちゃんと彼に伝えられるのか。
 たとえ世界が亡んでも、あなたと共に居たかったこと。
 だけどあたしは、別の世界を選ぶ。あなたを残して。

 共に生きることは敵わなかった。
 世界は越えられなかった。
 でも。
 自分で選ぶことはできた。
 最後だけは。

「大丈夫、生きていればいつかまた会える。これで、お別れだけど…あたしは死ににいくんじゃないよ。この世界の為に犠牲になるわけじゃない。生きる世界を、選びにいくの」

 ずっと、あたしは。
 居場所を探して、求めて…だけど自分から選び取ることをしてこなかった。
 周りのせいばかりにして、いろんなことなげやりに。
 変われない自分を正当化して、逃げ道ばかり探してた。

 変えてくれたのは、この世界だ。
 ただしてくれたのは、この世界に生きる人たちだ。
 生きるということにまっすぐに向き合い、何かを失い奪われながらも、信じることを諦めなかった。

 生きる意味も、勇気をくれたのも。
 そして大事なものを守る力をくれたのも。
 ぜんぶ、あなたが守りたいこの世界だったの。

 だからあたしは今。
 悔いなくさよならを言える。

 あたしの手に残っていた、シアから預かっていた短剣の鞘をシアの手に握らせる。
 半分はお母さんに渡してしまった。
 だけど残りはこうしてちゃんと、返せて良かった。

 もうお守りは必要ない。
 シアの心はもう、要らないの。
 もうちゃんと自分で、持っているから。
 
「あたしを呼んでくれて――ありがとう、シア。この世界で、あなたに出逢えて良かった」

 きっとあのまま。
 あの世界でただ生きていただけのあたしに、愛を云うことはできなかっただろう。
 自分を愛してると言ってくれる、誰かの言葉を素直に受け止めることも。
 そして今もまだ、それは言えない。
 言っても哀しませるだけだから。

「心はあなたの傍に居る。それを、忘れないで」
「……マオ…!」

 すべてにきっと意味がある。
 あたしがこれからすることにも。

「さよなら、シア」

 その青い瞳が涙に溢れて、そして最後に手を伸ばす。
 その手をとることはかなわない。もう抱き締めることもできない。

 その姿が消えていく。遥か遠い、海の彼方に。
 あたしはきっと、笑っていた。
 最後はそう決めていた。


 あたしを呼ぶ声がした。
 エリオナスではない。この声は――

 導かれるように肉体が、眩む光へ溶けていく。
 15年間。碓氷真魚うすい まおとして生きた身体がなくなっていく。

 そうして残った魂が、呼ばれる方へと向かうだけ。
 そこから先は知らない世界。
 だけどもう、こわくない。
 
 光の柱が海にたつ。
 あたしの愛した青の王国に、あたしの証が刻まれるのだから。


『――それがきみの、答えなんだね。マオ』

 胸の内に響いてくる、どこか懐かしい声。
 哀しそうに言ったのは、想像していた相手の声ではなかった。
 これは…この声は――

「……トリティア…?」
『そうまでして。すべてを捨ててまで、守りたいだなんて。ぼくらには理解できない。おそらくきっと、父上にも』

 その声は、かつてずっとあたしのなかに居て、そして失った海で別れて以来の相手。
 あたしをシェルスフィアへ導いた発端でもある、トリティアの声だった。

 こうして話すのは久しぶりで、なんだか少し変なかんじだ。
 はじめてシェルスフィアに喚ばれてから、ずっと傍に居た。あたしの中に居て、時には力を貸してくれてた。だから居なくなった時は寂しくも思えたりした。彼の力に振り回されたのも事実なのに。

 でも、自分の海に帰ったはずの、トリティアの声がするということは…姿は見えないけれど、おそらくここが。
 神さまたちの住む世界。
 あたしがすべての世界と引き換えに、選んだ海。

「…だって、仕方ないよ。あたしは半分、人間だったんだから」
『人とはみんな、そうなのかい…? ぼくはむかし、永く“瑠璃の一族”と共にいたけれど…彼らも所詮、自分が一番だった。助け合うことを諦めたあの一族は、ぼくの遺した首飾りの効力を維持できず…やがてあれは呪いとなった』
「…イリヤの、首飾りのこと…?」
『ただしく使う、意志があれば。共に生きることは可能だったのに。必ず、失うんだ。ぼくらにとってはほんの一瞬。だけど人にはながすぎる』
「…生きる時間が、違うから。それもきっと、仕のないことなのかもしれない。終わりがあるからあたし達は…ほんの一瞬でも、幸福しあわせを求めてしまう」
『……幸福』

 見えないはずのトリティアが、首を傾げている様が目に浮かんだ。
 理解し難い感情なのか、神々の知らぬものなのか。

 そうか、幸福とは。
 人だけに与えられた、特権だったのかもしれない。
 望みを、願いを持つことそれ自体が…人だけに許された希望。

 お母さんを求め、それを真似たエリオナスは、永い時間を過ごすうちに歪んだ希望となってしまった。
 執着という名の楔に。

『それで、きみは。終わりを捨てて、永遠を選んだのかい。あの世界の為に』
「…捨てたつもりはない。あたしだからできること、あたししかできないことをする為に、ここに来たんだよ」

 かつて、ひとりぼっちだったエリオナスに。
 お母さんとの出会いが与えたものは、愛と孤独だった。
 愛を知らなければきっと、孤独だと気付かずに済んだはずだ。
 孤独をおそれる心が、失うことを厭う心が。
 永い時をかけて彼の心を歪めてしまった。

「始まりに価値があるのは、終わりに意味があるから。だからあたしが終わらせにきた」
『……どういう意味だい…?』
「あの世界を壊して欲しくない。それもある。だけどそれと同時に、エリオナスはもうきっと、この世界に居ないほうが良いんだと思う」
『…それは、つまり』
「エリオナスを解き放つ。すべての世界から」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

やり直しの人生では料理番の仕事に生きるはずが、気が付いたら騎士たちをマッチョに育て上げていた上、ボディビルダー王子に求愛されています!?

花房ジュリー②
ファンタジー
※第17回ファンタジー小説大賞エントリー中。応援お願いします! ※2024年8月改稿済み。 貧乏子爵令嬢のビアンカは、社交界デビューするも縁に恵まれず、唯一見初めてくれたテオと結婚する。 ところがこの結婚、とんだ外れくじ! ビアンカは横暴なテオに苦しめられた挙げ句、殴られて転倒してしまう。 死んだ……と思いきや、時は社交界デビュー前に巻き戻っていた。 『もう婚活はうんざり! やり直しの人生では、仕事に生きるわ!』 そう決意したビアンカは、騎士団寮の料理番として就職する。 だがそこは、金欠ゆえにろくに栄養も摂れていない騎士たちの集まりだった。 『これでは、いざと言う時に戦えないじゃない!』 一念発起したビアンカは、安い食費をやりくりして、騎士たちの肉体改造に挑む。 結果、騎士たちは見違えるようなマッチョに成長。 その噂を聞いた、ボディメイクが趣味の第二王子・ステファノは、ビアンカに興味を抱く。 一方、とある理由から王室嫌いな騎士団長・アントニオは、ステファノに対抗する気満々。 さらにはなぜか、元夫テオまで参戦し、ビアンカの周囲は三つ巴のバトル状態に!? ※小説家になろう様にも掲載中。 ※2022/9/7 女性向けHOTランキング2位! ありがとうございます♪

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】「父に毒殺され母の葬儀までタイムリープしたので、親戚の集まる前で父にやり返してやった」

まほりろ
恋愛
十八歳の私は異母妹に婚約者を奪われ、父と継母に毒殺された。 気がついたら十歳まで時間が巻き戻っていて、母の葬儀の最中だった。 私に毒を飲ませた父と継母が、虫の息の私の耳元で得意げに母を毒殺した経緯を話していたことを思い出した。 母の葬儀が終われば私は屋敷に幽閉され、外部との連絡手段を失ってしまう。 父を断罪できるチャンスは今しかない。 「お父様は悪くないの!  お父様は愛する人と一緒になりたかっただけなの!  だからお父様はお母様に毒をもったの!  お願いお父様を捕まえないで!」 私は声の限りに叫んでいた。 心の奥にほんの少し芽生えた父への殺意とともに。 ※他サイトにも投稿しています。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 ※「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※タイトル変更しました。 旧タイトル「父に殺されタイムリープしたので『お父様は悪くないの!お父様は愛する人と一緒になりたくてお母様の食事に毒をもっただけなの!』と叫んでみた」

叶えられた前世の願い

レクフル
ファンタジー
 「私が貴女を愛することはない」初めて会った日にリュシアンにそう告げられたシオン。生まれる前からの婚約者であるリュシアンは、前世で支え合うようにして共に生きた人だった。しかしシオンは悪女と名高く、しかもリュシアンが憎む相手の娘として生まれ変わってしまったのだ。想う人を守る為に強くなったリュシアン。想う人を守る為に自らが代わりとなる事を望んだシオン。前世の願いは叶ったのに、思うようにいかない二人の想いはーーー

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

大好きな騎士団長様が見ているのは、婚約者の私ではなく姉のようです。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
18歳の誕生日を迎える数日前に、嫁いでいた異母姉妹の姉クラリッサが自国に出戻った。それを出迎えるのは、オレーリアの婚約者である騎士団長のアシュトンだった。その姿を目撃してしまい、王城に自分の居場所がないと再確認する。  魔法塔に認められた魔法使いのオレーリアは末姫として常に悪役のレッテルを貼られてした。魔法術式による功績を重ねても、全ては自分の手柄にしたと言われ誰も守ってくれなかった。  つねに姉クラリッサに意地悪をするように王妃と宰相に仕組まれ、婚約者の心離れを再確認して国を出る覚悟を決めて、婚約者のアシュトンに別れを告げようとするが──? ※R15は保険です。 ※騎士団長ヒーロー企画に参加しています。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

処理中です...