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第14章 さよならの儀式

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「……シア…?」

 ひどく警戒した雰囲気のレイズに連れてこられた、船の甲板。
 そこには居るはずのない人が居た。
 お城に居るはずのひと。この国のただひとりの王様。
 決してこんな人前には出て来てはいけない人だ。
 
 シアと最後に話したのはいつだったろう。 
 ただ、いつも離れた場所に居るシアとの交信に使っていた白いカラス。それを見たのはもう随分前のことのような気がした。
 だけど、最後。シアの白いカラスのその向こうに居たのは、シアではなかった。
 今は敵となってしまった、シアの義理のお兄さん――シエルさん。シアの代わりにそこに彼が居るということは、シアの元にシエルさんが現れたということだ。
 その時はまだ、シアの身を案じることもできた。最悪の事態を想像さえもした。
 だけどその後は。ジャスパーを失った哀しみに、他のことを考える余裕など一切なかった。
 なんて薄情だったんだろう。

 でも、今、こうして。
 目の前に居ることを頭が認識して。
 無事で良かった。ただ、それだけが胸に沸いた。

 その姿は馴染んだこどもの姿ではなく、本来のシアの姿。シアと最後に別れたときの姿のままだ。
 確かにシアが、そこに居た。

「……っ、…」

 思わず、視線を逸らしてしまったのは、自分でも形容し難い感情が喉元に沸いたからだった。

 上手く言葉が出てこない。足も手も動かない。
 咄嗟にあたしはシアの視線から逃げるように、レイズの影に隠れてしまった。ぎゅっと、その手を握って。
 せっかくシアが会いにきてくれたのに。きっとそれは簡単なことではなかったはずだ。それくらい分かる。
 なのに、どうして。

 ぐ、っと。握られていた手に力が篭る。
 ふと隣りを見上げると、警戒心を解かないレイズがシアを思い切り睨みつけていた。
 おそらくあたしの態度のせいだ。完全に敵意が滲み出ている。

 シアはその姿を晒している。相手がどんな立場の誰であるかは、レイズも、そしてここに居る誰もが解っているだろう。なのに、どうして誰もレイズを諌めないのか。
 本来ならこんな態度をとったら命すら危うい相手。例えそんなことシアはしなくても、立場というものがある。

 僅かにできた人だかりの中心に居るのはシア。その後方でぴったりとシアに寄り添っているのがリシュカさんだとすぐに分かった。
 近くにはひどく複雑な顔をしたクオンとイリヤ。それから船のみんなも居る。
 みんなその顔に浮かんでいるのは警戒と心配の色。それはおそらく、あたしの身を案じて。
 シアとあたしの関係を、殆どの皆は知らない。
 とにかく、ただ。守る為にここに居る。例え相手が誰であろうと。

 そうやってあたしは無自覚に、たくさんの人に守られて、心をもらって。
 今ならようやく分かる。シアの気持ちが少しだけ。

 守るには責任が要る。守る為には時には誰かを傷つけ、奪うことになる。自らが。
 守られるには覚悟が要る。自分の為に誰かが傷つき、奪われることになる。誰かが。
 どちらも何かを失う行為だ。
 あたしが解っていなかっただけ。
 最後は誰もがひとりになる。

 シアはきっともうずっと。そうして何かを手離し失いながら、この国を守ってきたのだろう。

 あたしに、本当に。彼が守れるのか。そう約束した心に嘘はない。だけど。
 彼をひとりにする覚悟が、今のあたしにはない。
 たったひとりの仲間すら守れずに失った。自分の身さえ守れない。力の制御も上手くできない。暴走したら今度は。誰かを傷つけてしまうだけかもしれない。自信がない。こわい。もしもその刃が。シアに向いたりしたら――
 こわい。奪われるのはもういやだ。そして。何かを、誰かを奪うことが。
 こわくてこわくて堪らない。

 彼の傍に居る資格が。その覚悟が、今のあたしには――
 
「マオ」
 
 シアが、呼ぶ。あたしの名前を。
 会わせる顔がないと、そんなあたしの心配をすべて解って包むかのように、それは優しい声だった。

 思わず。自分から逸らした目を、再び彼に向けてしまう。
 やっぱりちょっと、まだ慣れない。こどもじゃない姿のシアは以前聞いた噂が霞むくらいに綺麗で格好良い。そんなことをこんな時に、思ってしまった。現実逃避だろうか。でも。
 シアが優しく笑うから。その姿はまるで、お伽噺の王子様そのもので。
 出来過ぎたワンシーン。まるで夢を見ているかのようだった。

 シアが長いローブの裾を払い、その両手を広げた。
 おいで、と。
 言葉にはせずとも、その青い瞳が笑う。
 バカだな、とまた。あたしの悩みを軽く笑い飛ばすように。

 シアは何も変わらない。その心は、誰にも。侵すことなどできないだろう。変わらずそこで、笑い続けてくれるのだろう。そしてすべてを受け入れてくれる。
 だけど、あたしは。
 だから、あたしは。
 そんなシアに、何も失って欲しくない。
 そしてできれば、あたしが――

 次の瞬間にはもう。
 あたしの手はレイズの手を解き、あたしの足はあたしの意思を置いて、駆けだしていた。
 まっすぐ、シアのもとへ。

「……っ」

 抱き留めてくれるその腕は、思っていたよりもずっと力強く大きく。
 ぎゅっと、誰にも見られないように、あたしごとそのローブの中に隠れるようにすっぽりと収まってしまう。
 以前、一度だけ。あたしがシアを抱き締めたことはあったっけ。あの隠れ家。あたしがシアを守るよと約束した時だ。それまではずっとこどもの姿しか知らなかった。だからシアにこうして抱き締めてもらったのは、初めてだった。

「…すまない、マオ。たくさん、背負わせた。たくさん傷つけた。この世界などまるで関係のないお前に」

 まるで世界にふたりきりの、そんな小さな世界に居るような気さえする空間。
 シアが掠れるように小さな声で囁いた。あたしの耳元に唇を寄せて。

「…どうして、シアが謝るの…ぜんぶ、あたしが…っ」
「ちがう、マオ。おまえに非はひとつもない。おまえはおまえに出来るだけのことをやってくれた。おまえが砕いてくれたその心は、いずれこの国の、世界の、礎となるだろう。この世界がどうなろうとも。この世界はおまえを忘れない。きっとだ」
「……シア…?」

 まるで泣いているような、その小さい声。
 そっと顔を上げるとそれは杞憂に過ぎず、シアは変わらず優しく笑ってくれた。
 それから再びあたしの体を力強く抱く。
 ふたりきりの世界はもう終わってしまった。シアの肩越しに、おそろしいくらいに明るくまぁるい月が、あたし達を見下ろしていた。

 ねぇ、シア。月がすごく綺麗だよ。こんな時なのに。
 今とても満たされている気さえした。なのに。
 涙が出てくるのはどうしてだろう。シアは泣いては、いなかったのに。

 その、後ろで。リシュカさんの持っていた杖が、淡い光を放っている。
 月の光にそれは吸い込まれるように、大きく膨れて広がって――
 やがて辺りが夜を忘れて眩い光に包まれていた。
 それは見覚えのある光の中。
 
 シアが笑う。残酷なくらいに美しく、優しく。


「お別れだ、マオ」

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