上 下
84 / 119
第14章 さよならの儀式

1

しおりを挟む



 ――誰かが、泣いている。

 誰だろう。分からない。
 なんて哀しい、泣き声。
 小さく、泡のように。
 今にも消えてしまいそうなのに、その声は段々と主張を強くする。
 音のない世界に響く、きみの声。
 
 ああ、なつかしい。
 ずっとずっと昔にも、確かこんなことがあったんだ。
 ぼくはきみに、呼ばれたんだ。

 きみがぼくを、呼んだんだ。

 待っていて。
 今度こそきみに、会いにいく。
 あの日の約束を、ぼくはもう二度と違えない。

 ようやく永い旅が終わる。
 きみを失って900年。
 ひとりぼっちの、永い旅が。


―――――――…



「クオン」

 呼ばれて振り返ると、暗い顔をしたイリヤが居た。手にはスープの載ったお盆を持っている。手がつけられた様子はない。
 ダメだったか、と。おそらく互いに同じことを思い、重たい吐息を零す。

 あれから三日経つ。
 ジャスパーが亡くなってから、三日。

 船は今、出来得る限りの速度で港へと向かっている。停泊もせず、まっすぐに。
 通常よりも皆、睡眠を削り、精神を削り、気力を削りながら。

 北の海の海域は離脱している。だけれど油断はできない。
 海の上では何が起こるか分からない。だからこそ慎重に、それがレイズの本来の考えだ。
 だけど今回ばかりは違った。負担を承知で無茶をして、危険を覚悟で帰港を目指す。
 ジャスパーの遺体を乗せている為だ。

 本来なら船上で死人が出た場合、船内の衛生上、特に感染症を防ぐ為にも、二四時間以内に水葬されるのが船乗りの習わしらしい。
 だけどレイズ、ひいては船員たち全員の希望により、一度港に戻ってから再び海に出て水葬するということになった。
 港に戻るなら、火葬で良いのではないか。そう言ったけれど、受け入れられなかった。

「ジャスパーはこの海の船乗りだ。死んだら海に流してくれと以前から言われていた。火葬はしない。…海に、かえす」

 ジャスパーの、そして他の船員の為に。レイズは無茶を通そうとしている。
 港に戻るのは、残している他の船員達と合流する為だという。
 仲間であり家族である全員で、ジャスパーを見送りたいのだ。
 ――それが、最期の別れとなるのだから。

 暗い顔で言ったレイズが、ジャスパーの遺体が置かれている船の貯蔵室へと視線を向けた。
 中の荷物を出せば、調度人がふたり分ぐらいのスペースができ、そこにジャスパーの遺体を寝かせている。
 室内の天井は低く、立ち上がることもできないほど狭い部屋だ。
 そこに、結界と魔法を施して、ジャスパーの遺体の腐敗を留めている。
 そしてもう三日。マオがそこから、出てこない。

 
 神々の壮絶な戦い。おそらくそう形容して過言はないだろう。
 あの瞬間、ぶつかり合った人には到底及ばぬ膨大な魔力の波。
 誰が勝ったのか。負けたのか。そんな容易いことではないのだと、それだけは分かった。
 あの海で最強といわれる戦神を、マオが退けた。その身を以て。
 だけどマオはあの海で、一番大事なものを失った。その心の半分と共に。

 あの後、アトラスは霧のように消え、北の海はもとの通り静寂な姿を取り戻していた。
 そして消えたのはアトラスだけではなく、イリヤ曰く、マオについていたトリティアも、マオの中から消えたのだという。
 理由は、分からない。
 だけど確かに以前感じていたもの、おそらくトリティアの気配と呼べるものはマオから感じない。
 それなのに。
 マオの中にはまだなお、強大な力が渦巻いているようだった。
 それはマオ自身が放つ、呼び覚まされた神としての力の波。一度あちらの世界から引き出した自身の魔力が、その内側に収まりきっていないのだ。

 部屋の外から、イリヤが、レイズが、船員達が幾度も声をかける。
 だけどマオは応えない。
 ずっと、ジャスパーの遺体の傍らに蹲っているだけ。
 他の船員たちのジャスパーとの別れの時間を、お前が取り上げるのか。顔ぐらい他のやつらにも見させてやれ、と。レイズがドア越しに怒ったお陰でドアだけはかろうじて開けられるものの、見えない壁がすべてを拒絶していた。
 だから、生存だけは確認できている。
 もう泣いてもいない。こちらに背を向けたまま顔すら見せようとしないので、マオが今どんな顔でそこに居るのかすら、分からない。

 ただあの部屋で、ジャスパーの体の時を止めているのは、間違いなくマオの力の作用だ。
 自分の魔力ではそれを留めておくには魔力を消費し過ぎて体がたない。
 自分のかけた結界を媒体とし、魔力を補填し続けているのは間違いなくマオだろうと思う。
 その為にあそこに、居るのかもしれない。

 マオが手当を拒むので、マオの体は傷だらけのまま。
 あまつさえ部屋に結果を張ってしまっているので、もはや我々には手出しのできない状態となってしまっていた。
 おそらく今マオは、ひとりで必死に戦っているのかもしれない。
 見の内に収まりきらぬ膨大な魔力と、底のない哀しみと、誰に否定されても受け入れられない自責の念と。消化しようのない怒りと戸惑い。喪失の、恐怖。

 今のマオにこちら側の声は、届かない。

 
「リュウの元へ行ってきます」
「…ボクも、いく」

 何か思うことあるようで、俯いていたイリヤが顔を上げた。
 断る理由はないと思い了承し、並んでリュウ達を捕えている部屋へと向かった。

 アールの意識は戻ってはいないが、命は取り留めていた。
 そしてリュウと共に、“捕虜”というかたちで船内に監禁しているのが現状だ。
 一度は戦線を共にしたが、もとはあちら側の行動がすべての元凶。
 マオ達三人を船から無理やり連れ出し、そして三人の能力と命を以て、自らの望みを叶えようとしたのだ。
 そして結果。得られるものは何もなかった。

 おそらくそれが、答えなのだ。
 ――争いというものの。


「…マオは、どうなっちゃうの…?」

 ぼそりと。堪えきれなくなったように、イリヤが零す。涙と共に。
 それを横目で見ながら、自分は無言で返すしかできなかった。


 船のマストにとまっていた白いカラスはいつの間にか姿を消していた。
 それは交信魔法だけでなく、リシュカ殿の魔法も途絶えたのだということだ。

 イリヤから、祠で起こった出来事のあらましは聞いた。
 白いカラスの向こうには、エルと呼ばれる男――つまり、ジョナス殿下が居たと。ジェイド様ではなく。
 そこからすべてを見ていた。そして何を、思ったのか。

 マオの予感が当たったのだ。更に悪い予測を付け加えるなら――
 ジェイド様が捕えられ、城が陥落した。
 城が、国が。アズールフェルの手に落ちたのか。

 そう考えるだけで胃の中のものがせり上がってくる。
 そんなことは認められない。
 自分の主が、自分の居ない所で、敵の手に落ちるなどと。
 だけど状況だけを鑑みると、それを否定する要素がないのもまた事実だった。

 ――この国が、終わろうとしているのか。

 情報が一切入ってこないので、今城が、国がどうなっているのか全く分からない。
 それが悔しく、もどかしい。焦る気持ちばかりが募る。

 今の船の速度なら、あと二日で港に到着できるだろう。
 そうすれば、多少無茶すれば自分ひとりなら時間をかけずに魔法で城まで跳べる。
 自分ならそれができる。ジェイド様の、助けに。

 なのに。それが心からの本心であるはずなのに。

 あんな状態のマオを。置いては行けない。ひとりになどしてはいけない。
 そう思う自分を振り払えない。
 否定などできなかった。

 例え手が届かなくとも、振り払われようとも、必要とされていなくても。
 それでも。

 傍に居たかった。
 ひとりになど、したくなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~

村雨 妖
恋愛
 森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。  ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。  半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

異世界で讃岐うどんライフを始めたら何故か逆ハー状態で溺愛されています

蓮恭
恋愛
「俺、ソフィアのこと好きだから!ただの幼馴染じゃなくて……。だから、考えといて!」 「だから!幼馴染じゃなくて、恋人になってくれってことだよ!」【ぶっきらぼうだけど実は優しい幼馴染トーマス】 「そう、私が自分を見て欲しい相手はソフィアだよ。君の明るさと一人ひとりに合わせて気遣いのできる優しさに、私も部下たちも日々の疲れを癒されている。できれば私だけに優しくしてもらえればと思ったこともあるけどね。年甲斐もなく年下の君のことを好いているんだ。」【人気の騎士団長アントン】 「あの幼馴染も、騎士団長も、フィリップとかいう奴もお前のこと気に入ってるみたいだからな。ウカウカしてたら奪われそうだ。俺がお前のこと好きだってことも知っておいてくれよ。」【ワイルドな大人の色気の船長ロルフ】 「ソフィア、私は明るくて気遣いのできる優しい君に惹かれているんだ。私は貴族だけれど、そのようなことは気にしなくて良いし些末な問題だ。このゴルダン領には身分について色々と言う民も居ない。もしソフィアに決まった相手が居ないならば、この領地で領主の妻となってこれからも美味しい讃岐うどんと醤油を作っていかないか?」【実は領主だけど農夫だと思われてるフィリップ】 〜逆ハーの醍醐味はどのキャラとくっつけたいか、だと思います〜 【あらすじ】  前世が日本に住むおばあちゃんだったヒロインは病気で亡くなってしまう。  そして生まれ変わった異世界で、不意に前世の記憶を取り戻したソフィア。  前世の病床からずっと食べたかった『讃岐うどん』を作ることにした。  家族で酒場フォンドールを営んでいるソフィアは店の看板娘。  幼馴染で肉屋の息子トーマスや、常連客のイケメン騎士団長アントン、ワイルドイケメンな漁師ロルフ船長、謎のイケメン農夫?フィリップから告白されて突然のモテ期?  そんな中、異世界でも揃えられる材料で『讃岐うどん』を作って酒場のメニューにしてみたら美味しいと評判になる。 「いやいや、本場の讃岐うどんはもっと美味しかった!」  もっと本場の味に近づけようとソフィアの讃岐うどんライフは始まり、それから出会っていく人たちからも想いを寄せられていつの間にか所謂逆ハー状態に?   *作品のタイトルはアレですが、イケメンに逆ハーされる可愛らしい女の子のお話に、作者の好きな『讃岐うどん』という要素をドッキングした風変わりなお話です。 恋愛要素はきちんとあります。 作者の好きなハッピーエンドです。 いつも書いてる御令嬢系のお話ではありませんが、明るいヒロインが可愛らしいので楽しいお話になる予定です。 『小説家になろう』様にも掲載中です。    

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

処理中です...