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第8章 深層の歌姫

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 暫くしてクオンがテントから出てきてあたしの方に向かってきた。
 手には書類と何か持っている。
 その表情は珍しく、明らかに不機嫌そうだった。

「処理はすべて済みました。彼女を引き取って戻りましょう」
「え、あ、うん。でも、どうやって…」

 あたし自身もそこまで考えが及んでいなかったことだけれど、彼女は海水が無いと生活ができないという。
 しかも足が乾くと歩けない。
 その為にあんな大がかりな水槽に入れられているのだ。
 どうやって彼女をいったん船まで連れていこう。
 台車か何かでも借りるのか、と考えていたのだ。

「その心配には及びません。マオ、貴女の言う通りでした。彼女に関することは、すべて彼らの勝手で無責任な情報価値でしかなかったようです」
「…? どういうこと?」
「私達が聞いた情報の中で真実なのは、“話せない”ということだけのようです」

 言いながらクオンがあたしの手をとりそこに銀色の鍵を乗せた。彼女の鎖の鍵だという。

 クオンが言うには、ギルドの商人がとある海辺で彼女を“保護”した際の状況から、彼女はひどく衰弱し歩くことも話すこともできず、ただ海辺から離れたがらなかった。
 そこから古くの伝承と勝手に照らし合わせ、伝説の生き物の末裔としてこの競りに出されることになったらしい。
 つまり、事実確認は何ひとつしてないというのだ。
 その話自体もどこまで真実か分からない。
 彼女自身が話せないことをいいことに情報をねつ造した可能性もありえる。
 まるで詐欺だ。

 だけどゼストは言っていた。
 彼女の価値を自分で決めて提示しろと。
 彼女に勝手に価値を求めたのは、あたし達なのだ。

「まぁ今回私達が彼女を手に入れたかった目的とは関係無い所での事実ですし、現実的に言えばその方が今後は楽ですが。呆れて物も言えませんでした」

 だからあんな顔をしていたんだ。
 いつも無表情なクオンが顔に出すくらいだから、よほど思うことがあったのだろう。
 なんだかクオンの人間らしい部分を垣間見れた気がして、不謹慎にも少しだけ笑ってしまった。

「…なんですか」
「ううん、なんでも。でもそれならそれで良かった。流石にあの水槽ごと持って帰るのは無理だと思ってたし、彼女自身の足で歩いてもらおう」

 じろりとクオンに睨まれて、思わず口元を隠す。
 クオンはまだどこか不満そうだったけれど、大人しく水槽に向かうあたしの後ろに続いた。
 水槽の後ろにガラス戸があり、そこは鍵はかかっていなかった。
 ずっとこちらの様子を見ていた彼女が、あたし達ふたりをどこか心配そうに見つめている。

「そういえば、名前はなんていうのかな」
「聞いておきました。本人が名乗ったそうですが、それも真実かわかりませんけれど」

 まだ尚棘のある言い方に、クオンは相当疑心暗鬼になっているらしい。
 クオンが仕えていたのは王城だったというから、こういった港町の治安には疎かったのかもしれない。

「名前はイリヤというそうです」
「…イリヤ」

 綺麗な名前だと思った。
 疑う気持ちは不思議となかった。
 そっと口に出して、ガラス戸を開ける。
 中の海水より少し上の位置にあり、中から海水が零れることはなかった。
 琥珀色の瞳が揺れている。

「…イリヤ。はじめまして、あたしはマオ。こっちはクオン。あなたはこれから、あたし達と来てもらうことになったの」

 隔たれていたガラスが無くなり、すぐ傍で酸素を共有する。
 イリヤは僅かに目を瞠り、それからじっとあたしの顔を見つめた。
 濡れた輪郭が光を帯びる。

 そっと水の中の彼女の足に触れた。
 彼女はびくりと体を強張らせ、だけど抵抗はしなかった。
 足首に繋がれていた鎖の鍵を解き、その足から鎖を取り払う。
 冷たいガラスの床にゴトリと重たい音がゆっくりと鳴った。
 それをじっと見つめていたイリヤの手をそっと取った。
 イリヤはやはり振り解こうとはしなかった。

「あなたの力が必要なの…力を、貸してくれる…?」

 少しだけ間を置いて、イリヤがゆっくりと微笑んだ。
 それからあたしの手を握り返し立ち上がる。
 水を滴らせながら水槽から出、自分の足でゆっくりと歩き出したイリヤと共にあたし達はアクアマリー号へと戻った。

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