上 下
18 / 119
第4章 青の海賊

4

しおりを挟む


 すっかり湯気のなくなった室内に、ぎしぎしと揺れる音だけが響く。
 思えば大きな揺れは感じない。停泊しているのかな。
 緩くなった湯を絡ませながら、木槽から立ち上がる。
 撥ねる水音。
 今はひどく耳障りに感じた。

「…風邪をひいてしまいますよ」

 声をかけられて顔を上げると、木戸の向こうから困ったように笑うジャスパーの顔が覗く。
 予想外なことが起き過ぎて、随時長く時間をかけてしまった。付き合わせてしまって申し訳ない。

 返事はできずに少しだけ笑って、木戸にかけていたタオルを手に取る。
 多分、さっきの会話にジャスパーは気付いていないのだろう。
 あの声はあたしにしか聞こえない。
 あの時間はあたし達の間にしか存在しない。
 そう感じるから。

「そんな心配なさらなくても、レイは本当にあなたを売ったりしませんよ」

 ジャスパーの言葉に思わず水気を拭っていた手をとめる。
 確かにそれも、気がかりではあったけど。

「…そうなの…?」
「ご確認された通り、男所帯ですから。今回の航海は長かったですし、港まではまだ3日はかかります。みんな飢えてしまっているんですよ。そこにマオみたいなかわいい女の子が転がり込んで来たんですから、予防線を張ったんです。この船では商品と人のモノには手を出さないのが絶対のルールです。キャプテンの制裁は、冗談抜きにこわいですから」
「…そ、うなんだ…」

 おそらく自分を気遣って、優しい声音で言うジャスパーに少し気が抜ける。

「とはいえやはり、まだマオの得体が知れない以上はこちらも牽制しないわけには行きませんから。だからああいう言い方になったんです」

 そうか、あの言葉は船員とあたし、両方への牽制だったんだ。

「ぼくが世話役に選ばれたのは、そう意味です。無害そうでしょう? 見張り兼、護衛です」
「…護衛…」

 無害そうかは置いておいて、護衛という意味ではどうだろう。
 自分より背も低いし、体の線も細く見える。
 あの甲板に居た他の船員たちに力で勝てそうにはとても思えない。

「あ、その顔。信じてませんね。ぼくこう見えてこの船ではエライほうなんですよ。キャプテンと副キャプテンと、航海士の次くらいに」
「え、そうなの…?」

 思わず零れた本音に、ジャスパーはむっと頬を膨らませる。
 慌てて口を押えて「ごめん」と零すと、今度は得意そうに笑った。

「ぼくはこの船の料理長です。ぼくの機嫌を損ねると、ごはんにありつけませんよ」

 なるほどそれは。

「それは…こわいね」

 言って自然と、くすりと笑う。
 強張っていた心が少しだけ解れた。

「さぁ、着替えてキャプテンの小難しい話を聞いたらごはんです。どうせ小難しいのはポーズだけですから気にしなくていいですよ。レイは女のひとには甘いですから。久しぶりのお客さんだから、今日はぼく腕を振るわなくちゃ」

 制服はそのままジャスパーに預け、借りた衣服に腕を通す。
 簡素なワンピースにいくつか布を巻きつけて、最後にジャスパーがつけていたブレスレットを腕に巻いてくれた。
 彼の名と同じ宝石を加工し数珠状に繋げたブレスレットで、赤い色に黒い紋様が入っている。

「価値を問わず、海に出る者は皆宝石を身につけます。海には陸よりも多くの神々が居て、彼らにとってぼくたちは侵入者でしかありません。なのでいざという時は、身に着けていた宝石を供物の代わりに捧げ、怒りをおさめてもらうんです。この、刺青も。船乗りたちが身に着けているものや晒すもののほとんどは、魔除けのまじないでもあります。マオのは、きっとキャプテンがいれてくれますよ。乗船の最初の儀式みたいなものですから」
「刺青って、強制なの…?」
「そうですね、少なくともこの船の最低限のルールです」

 そう言われてしまうと、反論できない。
 勝手にこの船に転がり込んできたのはこちらなのだ。
 しかもこの船がなかったらあたしは、今頃ここには居なかったかもしれない。
 海の近くで育ったので泳ぎには自信があるけれど、海の真ん中に落とされて生きて陸まで泳げるほどの自信は無い。
 複雑な気持ちでジャスパーが巻いてくれたブレスレットにそっと触れる。

「これは、借りちゃっていいの…? 大事なものじゃないの?」
「はい、あげます。返さなくて結構ですよ。マオを守るのはぼくの役目でもあるんで、いいんです。船の新入りが来た時は、その中で一番下っ端の船員が自分の装飾品を分け与えて、それで船乗りの兄貴分になるんです」
「ジャスパー、下っ端って言ってる」
「実質この船の中じゃぼくが一番下っ端なので。船での役割と乗船期間は別モノですから」

 そう言うジャスパーは、確かにどこか誇らしげに笑っている。
 それに微笑ましく思いながらも、必然的につまり、この船で一番の下っ端が自分に移ったのだと理解し、少し複雑になる。

「レイの部屋はこの奥です。ぼくは夕飯の準備にとりかかりますね」

 言われて向けた視線の先には、明かりのついた部屋がある。船の一番端に位置する船長の部屋とのこと。

「ジャスパーは、その…行っちゃうの?」
「この船での自分の役割を果たさなくてはいけませんから。大丈夫、レイはこわいのは見た目だけで、根は割と優しいですよ」

 どうしよう、信用できない。
 だけど屈託ない笑みを向けるジャスパーにそれを言うことも、仕事に行く彼をこれ以上引き留めることもできない。
 改めてお礼を言って、ジャスパーの背中を見送る。
 それから今さらだと思いながら慎重にゆっくりと、その部屋に近づく。
 木製のドアに嵌められたガラスから漏れる、オレンジ色の明かり。
 外はすっかり暗く、今何時ごろなのかはわからない。
 だけどやはり船は動いていなく、今夜はここで停船とのことだった。

 ノックしようとした手が、躊躇する。
 ジャスパーはああ言っていたけれど、やはりこわいものはこわい。
 自分を売ると言い放ったあの瞳は、紛れも無く本気に思えたのだ。
 真水は貴重だと言っていた。
 そんな中、自分みたいな得体の知れない相手に湯を沸かしてくれた。
 それはあたしが思っているよりずっと、紳士的な待遇なのかもしれない。
 だけど悪い想像しか働かない。
 商品を小奇麗にするのは、売り手のマナーのようにも思えて仕方ない。
 海賊という言葉は、自分が知る知識や持つ印象は。それほどまでに悪いものしかなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~

村雨 妖
恋愛
 森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。  ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。  半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。

異世界で讃岐うどんライフを始めたら何故か逆ハー状態で溺愛されています

蓮恭
恋愛
「俺、ソフィアのこと好きだから!ただの幼馴染じゃなくて……。だから、考えといて!」 「だから!幼馴染じゃなくて、恋人になってくれってことだよ!」【ぶっきらぼうだけど実は優しい幼馴染トーマス】 「そう、私が自分を見て欲しい相手はソフィアだよ。君の明るさと一人ひとりに合わせて気遣いのできる優しさに、私も部下たちも日々の疲れを癒されている。できれば私だけに優しくしてもらえればと思ったこともあるけどね。年甲斐もなく年下の君のことを好いているんだ。」【人気の騎士団長アントン】 「あの幼馴染も、騎士団長も、フィリップとかいう奴もお前のこと気に入ってるみたいだからな。ウカウカしてたら奪われそうだ。俺がお前のこと好きだってことも知っておいてくれよ。」【ワイルドな大人の色気の船長ロルフ】 「ソフィア、私は明るくて気遣いのできる優しい君に惹かれているんだ。私は貴族だけれど、そのようなことは気にしなくて良いし些末な問題だ。このゴルダン領には身分について色々と言う民も居ない。もしソフィアに決まった相手が居ないならば、この領地で領主の妻となってこれからも美味しい讃岐うどんと醤油を作っていかないか?」【実は領主だけど農夫だと思われてるフィリップ】 〜逆ハーの醍醐味はどのキャラとくっつけたいか、だと思います〜 【あらすじ】  前世が日本に住むおばあちゃんだったヒロインは病気で亡くなってしまう。  そして生まれ変わった異世界で、不意に前世の記憶を取り戻したソフィア。  前世の病床からずっと食べたかった『讃岐うどん』を作ることにした。  家族で酒場フォンドールを営んでいるソフィアは店の看板娘。  幼馴染で肉屋の息子トーマスや、常連客のイケメン騎士団長アントン、ワイルドイケメンな漁師ロルフ船長、謎のイケメン農夫?フィリップから告白されて突然のモテ期?  そんな中、異世界でも揃えられる材料で『讃岐うどん』を作って酒場のメニューにしてみたら美味しいと評判になる。 「いやいや、本場の讃岐うどんはもっと美味しかった!」  もっと本場の味に近づけようとソフィアの讃岐うどんライフは始まり、それから出会っていく人たちからも想いを寄せられていつの間にか所謂逆ハー状態に?   *作品のタイトルはアレですが、イケメンに逆ハーされる可愛らしい女の子のお話に、作者の好きな『讃岐うどん』という要素をドッキングした風変わりなお話です。 恋愛要素はきちんとあります。 作者の好きなハッピーエンドです。 いつも書いてる御令嬢系のお話ではありませんが、明るいヒロインが可愛らしいので楽しいお話になる予定です。 『小説家になろう』様にも掲載中です。    

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

家出令嬢が海賊王の嫁!?〜新大陸でパン屋さんになるはずが巻き込まれました〜

香月みまり
恋愛
20も離れたおっさん侯爵との結婚が嫌で家出したリリ〜シャ・ルーセンスは、新たな希望を胸に新世界を目指す。 新世界でパン屋さんを開く!! それなのに乗り込んだ船が海賊の襲撃にあって、ピンチです。 このままじゃぁ船が港に戻ってしまう! そうだ!麦の袋に隠れよう。 そうして麦にまみれて知ってしまった海賊の頭の衝撃的な真実。 さよなら私の新大陸、パン屋さんライフ〜

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

この争いの絶えない世界で ~魔王になって平和の為に戦いますR

ばたっちゅ
ファンタジー
相和義輝(あいわよしき)は新たな魔王として現代から召喚される。 だがその世界は、世界の殆どを支配した人類が、僅かに残る魔族を滅ぼす戦いを始めていた。 無為に死に逝く人間達、荒廃する自然……こんな無駄な争いは止めなければいけない。だが人類にもまた、戦うべき理由と、戦いを止められない事情があった。 人類を会話のテーブルまで引っ張り出すには、結局戦争に勝利するしかない。 だが魔王として用意された力は、死を予感する力と全ての文字と言葉を理解する力のみ。 自分一人の力で戦う事は出来ないが、強力な魔人や個性豊かな魔族たちの力を借りて戦う事を決意する。 殺戮の果てに、互いが共存する未来があると信じて。

ダンジョンを操れたので、異世界の芸能総監督になり、異世界美女と逆転人生を楽しみます

ムービーマスター
ファンタジー
人生!イイことなしの僕こと武藤真一(39)は、親戚工場で働く万年平社員。伯父さん社長にイイように使われる社畜の冴えない独身オッサンです。そんな40歳真近かで工場住込みの僕が、ひょんなことから倉庫で【ダンジョン】を発見。早速入ったら、なんと異世界に繋がっていて・・・ 更に驚いたのは【ダンジョン】や異世界は、選ばれし者しか見えない、入れないから当然、親戚工場の社長から社員・パートの皆も全く気付きません。どうやらこの【ダンジョン】!僕専用らしいと後々判明することに。 異世界では芸能ギルドのシャーロン姫や異世界歌手シャルルと出会い、現世では【ダンジョン】に選ばれし女優の卵の西田佳代、芸能事務所片岡社長、前田カメラマンから世界的IT動画配信企業CEOハルスティング、その他との巡り遭いで、人生は正に大逆転!夢だった芸能プロデューサーを異世界で叶え、異世界芸能育成まで任されることに・・・ 異世界からの報奨金は日本円にして5千万円?しかも月々貰えるんですか? 長年、親戚社長から虐げられてきた工場勤務よりも、異世界から必要とされ多額の報奨金まで頂ける世界!どっちを取るかは明白です。 異世界にこっちの歌を紹介し、異世界で育成した逸材アイドルをネットムービーズ(映像ストリーミング配信)で世界配信!現世エンタメ界もコレに刺激され、エンタメ下剋上が展開しますが、気にせず僕は好きなことをして人生楽しみます。

処理中です...