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カウントXX◇時よ止まれ
1:願いの権化
しおりを挟む――放課後、○×駅で待つ。五時までに必ず来るように。
昼前に逸可から届いたメッセージの内容をもう一度確かめ、思わず苦笑いを漏らす。
まるで果し合いか何かの呼び出しのようだ。
でもその苦笑いもそう長くは続かなかった。
メールを閉じて改めて確認したその時間は、約束の時間が間近に迫っていることを告げる。
待ち合わせ場所はもうすぐ目の前に見えていた。
たくさんの人ごみを呑み込んで、同じくらいの人の塊を吐き出している駅の改札。電車のブレーキ音がすぐ傍まで聞こえている。
今この時間帯は、一日を終える学生の姿が目立つ気がした。自分もきっとその中に、溶け込んでいるのだろう。
一歩踏み出すその度に、足がひどく重たく感じた。鼓動が速まるのを感じ、内臓が冷えていくような錯覚に僅かに吐き気がこみ上げる。
この場所を訪れたのは、あの日以来だ。
佳音が死んだ――あの日以来。
電車通学をやめ高校も徒歩圏内で行ける場所を選んだ。ここに近づかないよう、逃げるように。
いつも頭の片隅にはひっかかっていたくせに、いざ真正面から向き合うことは避けてきた。
砂月と逸可に出会うまで。
逸可からこの駅を指定された時点で、薄々予感はしていた。
勘付いていた。逸可と砂月が何か僕に隠れてしていたこと。
そして多分それが、何なのかも。
「篤人」
呼ばれる声に、振り返る。
改札を越えた階段の手前にふたりは並んで立っていた。
僕を待っていたようだ。
いつの間にそんな仲良くなったんだろう、こそこそと僕を除け者にして。
あんな事件があった後だし、ちょっと寂しいじゃないか。
「ここから先は……篤人に聞かないと行けない。二年前の、現場へ」
砂月の口から零れたセリフにやっぱりかと思う。
不意打ちとまではいかないけれど、いろいろと準備が足りないのも事実だった。主に心の準備がだけど。
僕はなんとか表面上笑みの形だけ作って、ふたりに促されるまま歩き出した。
「……その日……お前も現場にいたのか?」
並んで歩く隣で逸可が訊ねた。
その日がいつを指しているのか、言われなくてもわかる。
佳音が死んだ日。
僕は階段を一歩ずつ下りながら、顔は見ずに答える。
「……うん、いたよ。僕はあの日まで毎日、佳音と一緒にこの駅を利用していた。家も近所で部活も同じで……登下校はいつも一緒だった。僕たちは、ずっと。ずっと一緒だと、思っていた。あの日、ここで佳音だけがいなくなるまでは」
あの日は佳音が急に先に帰るって言いだして……ひどく胸騒ぎがしたのを覚えている。
だから僕も、少し遅れて追いかけた。
最近佳音の様子がおかしいことには気付いていた。だけどその内きっと、話してくれると思っていた。
そうやって僕らは歩んできたから。
けっきょくその理由を最後まで佳音の口からは聞けなかった。
あの日も今日と同じように人の多い時間帯で、追いついた駅のホームで僕は、佳音の姿を見つけた。
佳音はいつもと同じ場所にいたからすぐに分かった。
この階段を下りながらその背中を追いかけた。
何度か名前を呼んだけれど、喧噪にかき消されて届いていないようだった。
佳音は電車を待つ列の一番前にいて、電車の到着するアナウンスが聞こえていた。
そのアナウンスにひかれるように、佳音が微かに顔を上げた。
佳音がその時、どんな顔をしていたのか。なにを考えていたのか。
僕には分からない。永遠に分からないことだと思っていた。
行き交う人が多くて、人並みにその姿が途切れそうになる中、だけどその隙間で佳音の体が線路内に吸い込まれていくのを、僕は見ていた。
ゆっくりとその体が傾いて、線路に吸い込まれていくのを。
ムダだと分かっていたけれど、それでも伸ばした手の先で、佳音は。
「その時僕は……願ったんだ。望んだんだ。止まってくれって。今すぐ時間を、止めてくれって……僕がこの力を手に入れたのはその時からだった」
駅の構内にはやはり制服姿の学生で溢れていた。
あの日もそうだ。
日が傾きかけて一日を終わらせようとしている。
やがて目的の地点で立ち止まる。
顔は上げられない。
僕の前に逸可と砂月が並んで立った。
アナウンスや雑踏、反対車線の電車の音。すべてが遠ざかる。
「お前の願いを叶えることにした」
逸可の声だけが、この場を支配しているような錯覚がした。
すべての音をかき消して、凛と響く声。
少しだけ視線を上げると、砂月の長い黒髪が風に揺れていた。
「篤人の一番戻りたかった時間に……あなたを送るわ。だから、行ってきて」
その顔を見ることができない。
自分が今どんな顔をしているのかを知られるのがこわかった。
自分でも分からない。だけどきっととんでもなく、情けない顔をしているだろう。
砂月に出会って、逸可と実験して、過去も未来も変えられると知った。
望んでいたはずだ。
あの日の真実を、そして――
「……僕の意思確認は、してもらえないのかな」
「今さらだ。だってお前は二年前から……ずっと、望んできたんだろ。彼女を救うのを」
相変わらずすべて見透かしたような逸可の追い打ち。
僕が言葉にできずにいることを、逸可はあっさりと口にする。
不思議ではあるけれど、当事者である僕に拒否権はないようだった。
そうすると腹を括るしかない状況だけが残る。
わかっている。
一番最初、このふたりに出会った時、僕がそう望んだんだ。
その時はこんなことになるとは夢にも思っていなかったけれど。
ようやく顔を上げるとすぐ目の前に逸可と、それから僅かに目を赤くした砂月がいた。
腕を伸ばせば触れられるほどの距離で、僕らは向い合っている。
だけど今はどうしたって、僕から触れることは憚られた。
逸可が僕の目を見据えて口を開く。
最終確認のようなその口ぶりは、ひどく慎重なものだった。
「たかが六秒間でも、そこで何かを変えた時点でそこから未来は大きく変わる。極端なこと言えば、俺たちの関係だって無かったことになるかもしれない」
その言葉の意味をすぐには呑み込めなくて、僕は首を少し傾げる。
逸可と砂月の間ではその推察は既に同意の上のようで、ついていけていないのは僕ひとりだけのようだった。
「さっきの話を聞く限りだと、お前のその力を得たのが彼女を救えなかった瞬間を引鉄とするものなら……彼女が生きる未来に、その力は必要ないものだ」
「……そっか」
そうか、この力は。
あの時の僕の願いの権化なんだ。
時よ止まれと願った僕の。
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