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カウント5◇すべて吹き飛ぶ前に跳べ
6:奇跡を手繰る
しおりを挟む◇ ◆ ◇
シラセの捜査協力を始めて三年ほど。いろんな現場で、いろんな人をみてきた。
その経験上わかることがある。一番こわい人間は、自分を顧みない人間だ。
保身を考える人間ほど必ずどこかに隙ができる。
だけど川津は違う。
今ならはっきりとわかる。
彼の最終目的は、自分を殺すことだ。
その為に周りの人間なんてどうでもいい。
最終的に自分の目的が達成できれば、それで。
「動き出したみたいだね、さて何分でここまで辿り着けるかな」
川津の言葉に顔を上げると、わずかにモニターの中の映像が見えた。
そこには暗闇の中動く人影。そしてそれは驚くべきことに、見知った顔だった。
くらりとした眩暈と共に涙腺が緩むのを感じて、それをなんとかきつく押し込める。
可能性がなかったわけじゃない。想定できなかったわけじゃない。
シラセがふたりに連絡することを、そしてふたりの力を利用すること。
自分の力が、ここまで無謀で無力だったということを。
だけど時間がなかった。
これ以上誰も、傷つけたくなかった。
なのに。
「リミットは……五分てとこかな」
その言葉と同時に機械音が高く鳴り、それが規則的なのもへと変わる。
校舎全体が赤い光を規則的に放ち始める。それが何を示しているのかはすぐに分かった。
目の前で見ているものと同じものだろう。
爆弾だ。
スイッチは川津の手の中。
爆弾に付属するデジタル数値がカウントダウンを始めた。死の未来へのカウントダウンを。
後ろ手に縛られた拳を、きつく握る。
まだ諦めるわけにはいかない。自分にできることをやらなくてはいけない。
巻き込んだのは、あたしだ。考えるんだ。
だってここには――
「……なんだ? ひとり、消えた」
「……!」
モニターを見ていた川津の空気が僅かに変わる。
それからキーボードをせわしなく叩く音。
彼のすべての神経が徐々に画面に集中する。
画面の中の映像が細かに切り替わり、何かを探している様子が伝わってきた。
「……何をした?」
その声音に、今想定外のことが起こっているのだと悟る。
この場においてそうとなりえる存在を、あたしは知っていた。
ここには、あたしだけじゃない。
ふたりがいる。
一緒にって、言ってくれた。
あたしにもまだ、できることがある。
川津にとって〝想定外〟が今起きているのだとしたら、起こしているその存在はひとりだ。
篤人が今ここに向かっている。
彼だけの世界を跳び越えて。
「……だったら、エリア限定でこいつだけでも……!」
メイン画面に映し出されたその中央には、藤島逸可の姿。
きっと彼が、囮役だ。篤人を川津雄二の視界から逃がす為の。
今必要なのは時間だ。
彼の意識を奪わなければ。
あたしにはムダに呑み込んだ情報が膨大にある。
そう、彼が本当に知りたかったことも。
あたしは知っている。
「――ユウ……あんた、そう呼ばれていたのね」
絶えず動いていた川津の指先がピタリと止まり、音が止む。
それでも一瞬で音は再開した。
なるべくはっきりと、震えを悟られないよう努めながら、あたしは続ける。
「岩本ゆりは、あんたに何も望んでなかったわ」
「……キミ何言ってるの?」
振り返らずとも川津は不機嫌をその声に滲ませる。
苛立ちがキーボードを叩く音にも反映していた。
余裕のあった当初と比べて随分と乱暴な音が室内に響く。
あたしは怯まず続ける。
「これは岩本ゆりの為の復讐なんかじゃない。あんたの身勝手な懺悔と自殺のひとり芝居よ」
「……」
ぴたりと、キーボードを叩く音が止み。川津が黙ってこちらを振り返る。
そこからあたしのいる場所までたかが数歩だ。
視線を外させない。
「キミは、他人だろう? ボクたちのことを何も知らないくせに」
「あんただって他人じゃない。岩本ゆりの恋人? そんな痕跡は、彼女はどこにも残してなかった。遺書にさえあんたの名前はなかった。あんた宛ての最期の言葉はどこにも。それが気に喰わなかったんでしょう?」
「カタチに残らなかっただけだ……彼女はボクを……受け入れてくれた」
「気付いてないのあんた、全部自分のひとりよがりだって。岩本ゆりの為に生きてきたあんたが、彼女を失って希望も目標も失って……独りになった子供が途方に暮れて挙句には逆ギレして駄々をこねているのとおんなじよ。ただの意気地なしじゃない」
パン!と冷たい音と共に左頬に痛みが走った。
口の中に血の味がじわりと広がる。
ほんの一瞬。
だけどそれだけで良かった。
それをあたしが望んだから。
「……そう、彼女は……そんな顔をしていたのね」
「何を言ってるんだ、さっきから…!」
ipodに彼女の姿は残っていない。
残っていたのは細い指先と震える影、それから時折零す滴と言葉。
あたしは今ようやく、彼女の姿を知ることができた。
彼の中で今もなおあざやかに残る彼女の残像。
情報の中で一番鮮明で鮮烈なのは、対象の中で一番大きな意識の固まりだ。
人は結局、想いに支配されている生き物なのだ。
彼が見つめる先にいる彼女は、永遠に輝いたまま。
彼の中でまだ息をしている。
「彼女があんたの存在をどこにも残さなかったのは……あんたの未来を思っていたから。あんたの存在が彼女の紛れもない希望で……だから彼女はあんたの未来を縛り付けることをおそれていた」
「……キミが……ユリの何を知っているというんだ……!」
「あたしのポケットに、あんたが落としたipodが入ってるわ。これはもとは岩本ゆりの物でしょう?」
「……どうして……」
「彼女はあんたから送られてくる映像をipodに入れていつも持ち歩いていた。それが彼女の支えだった。あたしにもわかる、そういうの……自分に向けられる視線の温かさや、呼んでくれる名前がどれだけ心を支えてくれるか。あたしも世界からはじかれた存在だったから。人と違うところがあるだけで、受け入れてはもらえない存在だった。でも、たったひとりでも……手を差し伸べてくれる人がいれば、世界がどんなにあたしを疎んでもあたしは生きていける。あんたはそれをしなきゃいけなかったのよ……どんなに彼女を想っても彼女の為であっても、それでも……遠くにいては、ダメだった。あんたが誰よりも彼女の近くに、傍にいて……一緒に戦ってあげなくちゃダメだったのよ……!」
「うるさいキミに何が分かる!」
「わかる、だってあたしは」
……あたしは。
あたしには過去を視ることしかできないから、せめて。
未来は今からでも変えられるから、だから。
この手で触れた相手を救いたい。
あたしは伝える。
あたしが視たものを、知ったこと。
誰にも知られずなくなるはずだったその真実を、あたしはあたしの判断で、過去から今に還す。
それがあたしにできる唯一のことだから。
彼が再び右手を振り上げたのと同時に、教室内が白い閃光に包まれた。
キインという耳鳴り。
真っ白に包まれる世界の中で、あたしにも手を差し伸べてくれる人がいた。
それはまるで奇跡みたいだった。
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