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カウント1◇過去はゆるやかに弧を描く

2:世界中で僕だけ

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 〝あんたは〟? 
 〝未来が〟? 
 〝視える〟?

 あまりにも突飛なその言葉はなかなか解読に至らない。
 それから入沢砂月の目が今度は目の前の僕に向けられた。
 僕は思わずぎくりとする。
 入沢砂月の目は透き通るように透明で、そしておそろしいくらいに綺麗だった。

「あんたは、さっき……時間を、止めた」

 いつもの昼休み、一番騒がしい時間帯。
 喧噪が遠ざかる、時間を止めたわけでもないのに。

 止まったのは僕の心臓だ。
 そしてそれは瞬時に加速してゆく。

 時間を、止めた。その通りだ。でも問題なのはそこじゃない。
 あまりの急展開になかなか脳が追い付かない。
 だってソレを知っているのは、世界中で僕だけだったはずだ。

「……は、ってことはお前は」

 口を開いたのはすぐ後ろにいた藤島だった。
 皮肉交じりの冷笑。このふたりに接点など無いはずなのに、藤島が入沢砂月に向けたのは僕にも分かるほどの敵意だった。

「過去を、視たな?」

 チャイムが響いた。
 昼休みが終わる。
 世界は変わったのだろうか。

「まぁいいや想定内だ、驚きはしない。自分もこーゆー能力を持ってんだ、別の人間が似たような能力を持ってたって不思議じゃない。こんな近くにふたりもいたのは想定外だったけど」

 ひとり納得したように呟いて藤島は僕の手からメガネを奪うと、それを慣れた手つきでかけ直す。
 始業前の喧噪が少しずつひいて、人気も無くなっていく冷たい踊り場。
 教室内での机や椅子を鳴らす音が遠くに聞こえる。

「え、ちょっと待って、ついていけてないんだけど話に」
「ソイツが言った通りだろ?」
「え……」

 階段を数歩上った先、まさに上からの目線で藤島が顎で入沢砂月を指す。
 話したことが無いから知らなかったけど、失礼な奴だなと思った。
 だけど見下ろすその顔はこわいくらいに端整だ。

「ソイツは過去が視える。俺は未来が視える。そしてお前は……」

 その目を今度は僕に向ける。
 レンズ越し、長めの前髪の隙間から覗く目。
 ひどく冷たい目だった。

「時を止めた」

 それは僕が二年前に手に入れた秘密。
 誰にも言わず、言えず、隠してきた。

 そろりと視線を入沢砂月に向ける。
 入沢砂月は未だ座り込んだまま、その目はじっと床を見つめていた。

 過去が、視える?
 本当に?

 だけど事実なのだろう。
 僕以外は知らないその秘密を、"視た"のだとすれば。

「お前の能力には少し興味あるけど、関わる気は無い。お前らもそうだろ? 不可侵だ。それぞれのヒミツはそれぞれのヒミツを以て守る。バレて厄介なのはお互い様だろ。ハイ以上。解散!」

 まくしたてるように言った藤島が、パン! と軽快に両手を鳴らしこれで終わりとでも言うように僕たちに背を向けた。
 本当にこの瞬間が想定内だったように、まるで用意してあった段取りで。

「……正論だわ」

 静かに同意したのは入沢砂月で、漸く立ち上がりスカートの埃を軽く払う。
 それから長い黒髪を翻し、彼女も階段へと向かい僕に背を向けた。
 こちらも慣れたように無関心を顔に貼り付けて。

「ま……っ!」

 僕は咄嗟に手を伸ばしていた。
 指先に入沢砂月の手首が触れた瞬間、ピリリと静電気のようなものが走った錯覚。
 振り返る入沢砂月の驚きに見開かれた目に自分が映る。

 このまま戻れるわけない。何もなかった日常に…何も知らなかった、出来なかった日々に。

「……っ触らないで……!」

 入沢砂月の叫んだ声がまるで悲鳴のように階段に響いた。
 もう僕達以外に教室の外にいる者はいない。
 ひとり先に階段を上った踊り場にいた藤島の背中も、その声に思わずといった様子で振り返る。
 容赦なく払われた手の指先が、僅かに熱を孕んでいる気がした。
 空気越しに伝わる敵意。女の子に敵意を向けられたのは初めてだ。
 でも、怯まない。

「放課後、史学準備室で待ってる。来なければヒミツをバラす。藤島、きみも」

 階段に片足をかけたままこちらを見下ろす藤島の、綺麗な顔が僅かに歪む。
 そのメガネのレンズの向こうではおそらくあの敵意が今度は僕を見据えているのだろう。

「その様子だと、一番バレたくないのは藤島みたいだね」
「……」
「困らないならそれでいいよ。本当に困らないかは試してみれば分かることだし」
「……いい度胸だ」

 藤島が、笑う。随分不愉快そうだ。目の前の入沢砂月もまた然り。
 ふたりの関心を得たことだけを確かめて、努めて僕は軽やかに笑った。

「行こう、授業が始まる。また放課後に」

 視線を合わせずふたりの間を抜けて階段を上がり教室へ向かう。
 強がりを気取られないよう口元には笑みを浮かべたまま。

 僕が教室の席について数秒後に、入沢砂月も教室に戻って来て席についた。
 それを視界の隅で確認する。藤島もちゃんと教室に戻っただろうか。
 その僅か数秒後に教師が来て午後の授業が始まった。

 ああ、痛い、心臓の鼓動。
 とてもじゃないけど授業になんて集中できない。

 僕はかたく目を瞑って、胸の内で静かに六秒数をえてみた。
 世界は何も変わらなかったけれど。


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