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5.  アレクとなった俺、暗殺者に会う

―― 顔合わせ ――

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「アレクセイ殿下ですね?」
「そうだが。そっちを向いてもいいか?」
「そのままでいてください。顔を見られたくないので……」

 俺は、もうすでに綺麗になったテーブルの上を、何度も拭いた。殺し屋というやつだろうか? 俺を亡き者にしにきたのか? いや、それなら。わざわざ声などかけずに、殺そうとしたはずだ。

「ニコライ殿下から、話しを聞いておられると思いますが……」
「ああ。聞いている。お前のことだったのか」

 俺は、ホッとした。
 やはり、ニコライ殿下の依頼した人物だったのだ。さすがに、宮廷内で、俺に直接エミリー嬢に害を加えさせるとまずい、と考えたのだろう。

 エミリー嬢が兄のことで、俺に疑いをもっているのならば、周囲に、そのはなしはしているだろう。
 今の俺には、エミリー嬢に狙われる充分な理由がある。
 その俺に会ったあとで、エミリー嬢に何かあれば、俺は確実に疑われ、何らかの監視がつくことになるだろう。そうなれば、行動の自由がなくなる。ニコライ殿下も、そうなるのを避けたいに違いない。

「俺に、何か訊きたいことがあるのか?」
「いいえ、今日は顔合わせだけ……」
 男は、俺の背中から答える。
 顔合わせも何も、顔を見せてくれない。声だけ、覚えておけということなのか?
「どこかで、すれ違ったとき、私の声に気づいても、見て見ぬフリをしてください。あなたに、指示を出す場合もあるので……」
 と、背中に、暖かい人の手が振れた感触があった。

「あなたと私の間に、魔法音響術の、音声でのつながりを持たせる魔法を使いました。いまから、ひと月ぐらい、あなたがどこにいても、私の魔法の声を聞くことができます」
 俺は、うなずいた。よくわからないが、ひと月ぐらい、こいつの声がどこでも聞こえ、指示に従わなければならないらしい。

「わかった……」
 俺は思い切って、振り向いた。男の姿はなかった。
 と、男の声が聞こえた。
⦅ こういうふうに、姿がなくても、声が届きます。私のことはひとに話さぬよう、くれぐれも頼みます。話せば、あなたは私の姿を見ることになる。――私の姿を見た者で、いま生きている者は、ひとりもいません ⦆
 俺は、どっと汗をかいた。男は淡々と事実を話しているだけ、というような口調だった。
 男が去ったあとも、俺は、長い間、そこを動けなかった。

 転生して、何度目だろう? この世界の厳しさに泣きそうになるのは……。
 この世界はひとの命が軽い……。暗殺などは、権力者のあいだでは、日常茶飯事だ。ひとの命を奪ってはいけないということが、基本中の基本のモラルだった世界で育った俺には、ここは過酷すぎる。それでも、何とか生き抜いていくしかない……。その日の夜は、寒さがぶりかえし、とても長く感じた。
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