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4. アレクとなった俺、家族に会う
―― アレクの母、マリア ――
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両手を胸の前でにぎりあわせ、そのままぶるぶると震え始めた。
テレーズは、女性に駆けより、
「ごめん。驚かせて」
といいながら、女性の肩に腕をまわした。
「……アレクセイです」
俺は、何ともいいようがなく、感情のこもらない、棒読み口調でいった。
始めまして、ではないし、久しぶりです、も違う気がする。もともとコミュ症で口べたなのだ。こういう時、どういう言葉をつかえばよいか、わからなかった。
「援助していただき、ありがとうございます。わたしは、わたしは……」
女性は、過呼吸におちいったかのように、激しい息づかいで、
「……マリア・モルドーです」
テレーズが、心配そうな顔で、マリアさんの背中をさすっている。
「身体の調子は、どうですか?」
俺は、みればわかるのに、訊いた。
マリアさんは、何か答えようとした。が、眼から涙があふれ出し、言葉にならなかった。堰をきったように、あとからあとから涙があふれ、こぼれ落ちた。
俺は、思わず近づいた。
「大丈夫ですか?」
テレーズの反対側から、マリアさんの背中を、さすった。
ばあちゃんが入院した時、慣れないベッドでうまく寝返りができないのか、床ずれで、背中が痛いと、愚痴をこぼしていた。見舞いに行った俺が背中をさすると、眼をつむって気持ちよさそうにし、楽になったと喜んでくれていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
マリアさんは、泣きながら繰り返した。
「いや、あやまらなくても……」
背中をさするくらい、何の迷惑もこうむっていない。相手に対してへりくだる性質なんだろうか。
「ごめんなさい。怖かったの。とても怖かったの」
それから、マリアさんは涙声で、少しずつ王宮を離れた事情を話してくれた。
王都で国王と知り合ったとき、その人物が国王とは知らず。自分と同じくらいの身分の下級貴族の息子だと思っていたそうだ。
その頃のマリアさんは、親の決めた婚約者が気にいらず、妊娠したとわかったときは、これで嫌いな婚約者とは結婚せずにすみ、この人と幸福な家庭を築けばよいと、喜んだそうだ。
「ごめんなさい。婚約を逃れるために、あなたを利用したの」
利用したって、結果的にそうなっただけで、愛し合っていたなら、別に恥じることではない。俺は、元の世界では、何の問題もないのにと思いながら、
「昔のことだし、生まれる前のことですから……」
マリアさんは、俺の言葉を聞いても、泣き止まなかった。何度も頭をさげながら、話しを続けた。
国王だとわかり、側室の話がきたとき、最初は有頂天になって、いわれる通り、王宮に入った。けれど、王宮のなかは、想像とは違い、王妃と側室が激しい権力争いをする場だった。
「王妃と第二王妃から脅されて……。特に、第二王妃からは、男の子を産んだら、命はないみたいにいわれたの」
第二王妃とは、今のニコライ殿下の母にあたるヒトだ。当時は、まだ今ほど権力が確立されておらず、地位を固めるのに、必死だったらしい。
俺は、寒気を覚えた。
ニコライ殿下の手段を選ばないやり方は、母親ゆずりなのかもしれない。
「あなたが生まれたとき、ああ、どうしよう、殺されてしまう、と思った」
マリアさんは、眼をつむった。握りしめた両手が、ぶるぶると震えている。
「本当にごめんなさい」
マリアさんは、赤くなった眼を開け、泣きはらした顔を俺に向けた。
「殺される前に逃げなきゃと思ったの。だから、陛下が来られたときに、側室をやめさせてほしいといったの。……息子はどうする、と聞かれたから、陛下におまかせします、といって、あなたを残したまま、逃げたの。もう二度と王族にかかわらないようにしようと思った……」
俺は、マリアさんの背中をさすりながら、彼女が感じていた恐怖感を、想像しようとした。が、できなかった。人命尊重が当たり前の世界で育った俺には、殺すと脅されても、実感が湧かない。元いた世界でも、殺すぞ、とか死ね、とかの言葉がネットにあふれていた。でも、誰も、本気でそれをやるつもりだとは考えない。
この世界では、殺すといわれたら、本気で殺されることを心配しなければならない。
俺は、マリアさんがかわいそうで、何か慰めの声をかけたかった。けれど、何を、どう話しかければよいのか、わからない。俺は、ばあちゃんにしていたように、ただただ背中をさすり続けた。
そうしていると、俺のなかにマリアさんを救いたい、どうにか平穏に暮らせるようにしてあげたい、という強い想いが生まれた。俺の内部の何かが、あふれだし、背中にあたる手を通ってマリアさんのなかに入ってゆく。
一緒に背中をさすっていたテレーズが、はっと顔を上げた。俺の手からマリアさんの背中にかけて、ほんの少しだが、薄い魔法の膜のようなものが、できていた。
俺の魔力が反応して、何らかの魔法が働いている。魔法の経験に乏しい俺には、どういう魔法が働いているのかわからない。ただ、悪い影響をあたえるものではないようだった。
テレーズも、こちらをじっとみているが、止めようとはしない。
マリアさんの呼吸が変わってきた。ゼイゼイという喉の響きが静まり、スー、ハーという正常な呼吸音に戻った。
「ありがとうございます。……楽になりました」
マリアさんの表情がおだやかになり、何かを思い出そうとするように眼をつぶった。
「生まれたあなたは、ほんとうに小さくて柔らかくて、抱くと、手の隙間から落ちてしまいそうだった」
気づくと、マリアさんは、スースーと、おだやかだけれど、力強い息をしながら、眠ってしまっていた。
「おやすみなさい。母さん……」
自然と、言葉がでた。
しまった! 母上といわなければいけなかった。元の世界の自分が出てしまった。
ベッドの向こう側にいるテレーズは、おだやかに眠るマリアさんを見ている。
テレーズ自身もおだやかな表情をしていて、俺のことばに反応した様子はなかった。
よかった。大丈夫だ、気づかれなかった。
アレクだったら、自分を置いて王宮から逃げた母親に、思うことがあったかもしれない。が、俺はアレクではない。マリアさんは、不幸な人生を送った哀れなひととしか、思えなかった。
眠ってしまったマリアさんをそのままにして、ドアまで見送ってくれたテレーズは、少し緊張した面持ちで、
「ありがとう。あんたのことを誤解していたみたいだ。母さまを嫌っていると思ってた。治癒魔法が使えるんだな」
あの発動していた魔法は、治癒魔法だったのか。悪いものではないとは思っていたが。
「また、会いにきてくれ。いつでも歓迎する」
俺は、アレクに似合わない行為をやってしまったと思い、言い訳した。
「わたしには、母の記憶はない。あの女性を、嫌うも嫌わないもない。実の母とされる女性を病のまま、放っておいて死なせたなどと、悪評がたつのを避けたかっただけだ」
テレーズは、にやっとした。
「本心を隠したいんだな。あんたが治癒魔法を使ったことは、誰にもいわないよ。でも、使える魔法は、その人の魂に呼応してる。人を助けたいとか、救いたいとか、そういう願いを、嘘偽りなく持っていなければ、治癒魔法は使えない」
どんなに隠そうとしても、治癒魔法を使った時点でバレバレだという。
これは大変だ。人前で治癒魔法は、絶対に使ってはいけない。アレクではないと疑われるきっかけになるかもしれない。
俺は、さらに用心深くしなければと、気を引きしめて、テレーズの家を後にした。
「こっちからも、会いに行くからな!」
テレーズは、顔全体で微笑みながら、見送ってくれた。
テレーズは、女性に駆けより、
「ごめん。驚かせて」
といいながら、女性の肩に腕をまわした。
「……アレクセイです」
俺は、何ともいいようがなく、感情のこもらない、棒読み口調でいった。
始めまして、ではないし、久しぶりです、も違う気がする。もともとコミュ症で口べたなのだ。こういう時、どういう言葉をつかえばよいか、わからなかった。
「援助していただき、ありがとうございます。わたしは、わたしは……」
女性は、過呼吸におちいったかのように、激しい息づかいで、
「……マリア・モルドーです」
テレーズが、心配そうな顔で、マリアさんの背中をさすっている。
「身体の調子は、どうですか?」
俺は、みればわかるのに、訊いた。
マリアさんは、何か答えようとした。が、眼から涙があふれ出し、言葉にならなかった。堰をきったように、あとからあとから涙があふれ、こぼれ落ちた。
俺は、思わず近づいた。
「大丈夫ですか?」
テレーズの反対側から、マリアさんの背中を、さすった。
ばあちゃんが入院した時、慣れないベッドでうまく寝返りができないのか、床ずれで、背中が痛いと、愚痴をこぼしていた。見舞いに行った俺が背中をさすると、眼をつむって気持ちよさそうにし、楽になったと喜んでくれていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
マリアさんは、泣きながら繰り返した。
「いや、あやまらなくても……」
背中をさするくらい、何の迷惑もこうむっていない。相手に対してへりくだる性質なんだろうか。
「ごめんなさい。怖かったの。とても怖かったの」
それから、マリアさんは涙声で、少しずつ王宮を離れた事情を話してくれた。
王都で国王と知り合ったとき、その人物が国王とは知らず。自分と同じくらいの身分の下級貴族の息子だと思っていたそうだ。
その頃のマリアさんは、親の決めた婚約者が気にいらず、妊娠したとわかったときは、これで嫌いな婚約者とは結婚せずにすみ、この人と幸福な家庭を築けばよいと、喜んだそうだ。
「ごめんなさい。婚約を逃れるために、あなたを利用したの」
利用したって、結果的にそうなっただけで、愛し合っていたなら、別に恥じることではない。俺は、元の世界では、何の問題もないのにと思いながら、
「昔のことだし、生まれる前のことですから……」
マリアさんは、俺の言葉を聞いても、泣き止まなかった。何度も頭をさげながら、話しを続けた。
国王だとわかり、側室の話がきたとき、最初は有頂天になって、いわれる通り、王宮に入った。けれど、王宮のなかは、想像とは違い、王妃と側室が激しい権力争いをする場だった。
「王妃と第二王妃から脅されて……。特に、第二王妃からは、男の子を産んだら、命はないみたいにいわれたの」
第二王妃とは、今のニコライ殿下の母にあたるヒトだ。当時は、まだ今ほど権力が確立されておらず、地位を固めるのに、必死だったらしい。
俺は、寒気を覚えた。
ニコライ殿下の手段を選ばないやり方は、母親ゆずりなのかもしれない。
「あなたが生まれたとき、ああ、どうしよう、殺されてしまう、と思った」
マリアさんは、眼をつむった。握りしめた両手が、ぶるぶると震えている。
「本当にごめんなさい」
マリアさんは、赤くなった眼を開け、泣きはらした顔を俺に向けた。
「殺される前に逃げなきゃと思ったの。だから、陛下が来られたときに、側室をやめさせてほしいといったの。……息子はどうする、と聞かれたから、陛下におまかせします、といって、あなたを残したまま、逃げたの。もう二度と王族にかかわらないようにしようと思った……」
俺は、マリアさんの背中をさすりながら、彼女が感じていた恐怖感を、想像しようとした。が、できなかった。人命尊重が当たり前の世界で育った俺には、殺すと脅されても、実感が湧かない。元いた世界でも、殺すぞ、とか死ね、とかの言葉がネットにあふれていた。でも、誰も、本気でそれをやるつもりだとは考えない。
この世界では、殺すといわれたら、本気で殺されることを心配しなければならない。
俺は、マリアさんがかわいそうで、何か慰めの声をかけたかった。けれど、何を、どう話しかければよいのか、わからない。俺は、ばあちゃんにしていたように、ただただ背中をさすり続けた。
そうしていると、俺のなかにマリアさんを救いたい、どうにか平穏に暮らせるようにしてあげたい、という強い想いが生まれた。俺の内部の何かが、あふれだし、背中にあたる手を通ってマリアさんのなかに入ってゆく。
一緒に背中をさすっていたテレーズが、はっと顔を上げた。俺の手からマリアさんの背中にかけて、ほんの少しだが、薄い魔法の膜のようなものが、できていた。
俺の魔力が反応して、何らかの魔法が働いている。魔法の経験に乏しい俺には、どういう魔法が働いているのかわからない。ただ、悪い影響をあたえるものではないようだった。
テレーズも、こちらをじっとみているが、止めようとはしない。
マリアさんの呼吸が変わってきた。ゼイゼイという喉の響きが静まり、スー、ハーという正常な呼吸音に戻った。
「ありがとうございます。……楽になりました」
マリアさんの表情がおだやかになり、何かを思い出そうとするように眼をつぶった。
「生まれたあなたは、ほんとうに小さくて柔らかくて、抱くと、手の隙間から落ちてしまいそうだった」
気づくと、マリアさんは、スースーと、おだやかだけれど、力強い息をしながら、眠ってしまっていた。
「おやすみなさい。母さん……」
自然と、言葉がでた。
しまった! 母上といわなければいけなかった。元の世界の自分が出てしまった。
ベッドの向こう側にいるテレーズは、おだやかに眠るマリアさんを見ている。
テレーズ自身もおだやかな表情をしていて、俺のことばに反応した様子はなかった。
よかった。大丈夫だ、気づかれなかった。
アレクだったら、自分を置いて王宮から逃げた母親に、思うことがあったかもしれない。が、俺はアレクではない。マリアさんは、不幸な人生を送った哀れなひととしか、思えなかった。
眠ってしまったマリアさんをそのままにして、ドアまで見送ってくれたテレーズは、少し緊張した面持ちで、
「ありがとう。あんたのことを誤解していたみたいだ。母さまを嫌っていると思ってた。治癒魔法が使えるんだな」
あの発動していた魔法は、治癒魔法だったのか。悪いものではないとは思っていたが。
「また、会いにきてくれ。いつでも歓迎する」
俺は、アレクに似合わない行為をやってしまったと思い、言い訳した。
「わたしには、母の記憶はない。あの女性を、嫌うも嫌わないもない。実の母とされる女性を病のまま、放っておいて死なせたなどと、悪評がたつのを避けたかっただけだ」
テレーズは、にやっとした。
「本心を隠したいんだな。あんたが治癒魔法を使ったことは、誰にもいわないよ。でも、使える魔法は、その人の魂に呼応してる。人を助けたいとか、救いたいとか、そういう願いを、嘘偽りなく持っていなければ、治癒魔法は使えない」
どんなに隠そうとしても、治癒魔法を使った時点でバレバレだという。
これは大変だ。人前で治癒魔法は、絶対に使ってはいけない。アレクではないと疑われるきっかけになるかもしれない。
俺は、さらに用心深くしなければと、気を引きしめて、テレーズの家を後にした。
「こっちからも、会いに行くからな!」
テレーズは、顔全体で微笑みながら、見送ってくれた。
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