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序章
九宇時那岐 3
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「噂の《のけ反り》か。こんなところにいるなんて……」
那岐は動揺した様子もなく嘯く。
――りぃん。
鈴の音が聞こえる。仄青い光が見えた。
那岐の声が、静かに、何かを唱える。
「掛けまくも畏き伊邪那岐、伊邪那美大神の大前に畏み畏みも白さく、諸の罪、穢れ、禍事に囚われ、我留羅と成りし魂魄を憐れみ給い、慈しみ給い、導き給え。セイ、ジン、チ、ジャ、タイ、ウン、メイ――」
那岐の右手が跳ねあがり、掌が女の逆さ顔へと向けられる。
「ぐるりぐるりと」
瞬間、耳の中に鳴り響いていた重低音が消え、煌津は自分がまるで空の上にいるかのような、静かだが、体の緊張の一切から解き放たれたような気がした。
赤い服を着た、逆さの顔の女はもうそこにはいなかった。煌津の横で、さながら全力疾走でもしてきたかのような那岐が、ふーっと息を吐いた。
「今のは……?」
「ちょっとヤバめの奴」
那岐は額の汗を拭った。
「前の方にいるのはわかっていたんだけど、考えていたのよりちょっとレベル高かった。まあでも、祓う事は出来たから……。穂結さんを巻き込むつもりはなかったんだけども」
それから、那岐はにっと笑った。
「見ちゃったねえ。幽霊」
とても笑えるような心境ではなかったが、とにかく今見た事の衝撃があまりにも大き過ぎて、煌津は思わずひきつるように笑った。
――これが、煌津が初めて出くわした幽霊の話である。
この日以来、煌津の日常は変わってしまったと言っていい。
九宇時那岐はそれから少し経った頃、実家の都合で故郷の宮瑠璃市に戻る事になった。
煌津は友人達と企画して、ささやかだが那岐の引っ越し会をやり、東京駅で旅立つ彼を見送った。
それから、高校二年生になり、春が過ぎ、夏を越え、秋を迎える手前になった。
※
その日、宮瑠璃市、宮瑠璃駅前の渦状に並べられたタイルの上に、人間の体らしき物が置かれていた。
発見されたのは早朝。ちらほらと通勤客の姿が見え始める時刻だった。最初の発見者は、はじめは寝袋でも置いてあるのかと思ったという。
だがそれが、さながら雑巾のように極限まで捩じられた女性だとわかると、駅前には絶叫が木霊していた。
七時を過ぎ、通勤通学のピーク時間になっても、駅前は騒然としたままだった。
宮瑠璃市を象徴する瑠璃色の渦状タイルの上に、冒涜的な形で遺棄された死体。
それは、まるで街全体にかけられた呪詛のようであった。
那岐は動揺した様子もなく嘯く。
――りぃん。
鈴の音が聞こえる。仄青い光が見えた。
那岐の声が、静かに、何かを唱える。
「掛けまくも畏き伊邪那岐、伊邪那美大神の大前に畏み畏みも白さく、諸の罪、穢れ、禍事に囚われ、我留羅と成りし魂魄を憐れみ給い、慈しみ給い、導き給え。セイ、ジン、チ、ジャ、タイ、ウン、メイ――」
那岐の右手が跳ねあがり、掌が女の逆さ顔へと向けられる。
「ぐるりぐるりと」
瞬間、耳の中に鳴り響いていた重低音が消え、煌津は自分がまるで空の上にいるかのような、静かだが、体の緊張の一切から解き放たれたような気がした。
赤い服を着た、逆さの顔の女はもうそこにはいなかった。煌津の横で、さながら全力疾走でもしてきたかのような那岐が、ふーっと息を吐いた。
「今のは……?」
「ちょっとヤバめの奴」
那岐は額の汗を拭った。
「前の方にいるのはわかっていたんだけど、考えていたのよりちょっとレベル高かった。まあでも、祓う事は出来たから……。穂結さんを巻き込むつもりはなかったんだけども」
それから、那岐はにっと笑った。
「見ちゃったねえ。幽霊」
とても笑えるような心境ではなかったが、とにかく今見た事の衝撃があまりにも大き過ぎて、煌津は思わずひきつるように笑った。
――これが、煌津が初めて出くわした幽霊の話である。
この日以来、煌津の日常は変わってしまったと言っていい。
九宇時那岐はそれから少し経った頃、実家の都合で故郷の宮瑠璃市に戻る事になった。
煌津は友人達と企画して、ささやかだが那岐の引っ越し会をやり、東京駅で旅立つ彼を見送った。
それから、高校二年生になり、春が過ぎ、夏を越え、秋を迎える手前になった。
※
その日、宮瑠璃市、宮瑠璃駅前の渦状に並べられたタイルの上に、人間の体らしき物が置かれていた。
発見されたのは早朝。ちらほらと通勤客の姿が見え始める時刻だった。最初の発見者は、はじめは寝袋でも置いてあるのかと思ったという。
だがそれが、さながら雑巾のように極限まで捩じられた女性だとわかると、駅前には絶叫が木霊していた。
七時を過ぎ、通勤通学のピーク時間になっても、駅前は騒然としたままだった。
宮瑠璃市を象徴する瑠璃色の渦状タイルの上に、冒涜的な形で遺棄された死体。
それは、まるで街全体にかけられた呪詛のようであった。
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