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こちら御山ダンジョン管理局鑑定部生物部門調理班です

夜!

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 午後3時25分、一人の男が食堂に駆け込んできた。
「一大事!」
 坊主頭がトレードマークの運搬部、木田川きたがわだ。「高橋さんいる!?」と声を張り上げる彼に何事かと休憩室の彼らも顔を出す。
 調理班の総指揮を任されている高橋が鍛え上げられた体をゆったりと揺らしながら食堂へと姿を現した。
「どうした」
「い、今、解体班がマジックベアの解体やってて」
 木田川がひどく言いにくそうに声を絞り出した。同じ鑑定部生物部門にある解体班。文字通り生物や魔物の行うその部署が仕事をしているということは、その後調理班に解体済みの肉が運ばれてくるということである。高橋が野太い声で「はあっ?」と言えば木田川は一瞬怯んだ。が、しかし、情報を伝えるという自身の任務を全うすべくさらに続けた。
「さっき密猟者がマジックベアに襲われてて、それで倒したから解体班が解体してて、このあと肉が出るから先に知らせておけってことで来ました」
「本当にマジックベア? ボアじゃなくて?」
「マジックベアで間違いない。しかも今日は柊がいたから簡単に倒しちまって」
 高橋はそれ以上聞かずに近くにあった鍋とお玉をむんずと掴むと力いっぱい叩いた。木田川は恐れをなして「じゃあ俺は戻るな!」と言って一目散に駆け出し、逆に食堂・調理班にいた人々は大急ぎで高橋の元に集まった。
「昼食班はまだ帰ってないだろうな。いいか、緊急事態だ。これから対マジックベア用のシフトに組み替える。休みは無しだ! 踏ん張れよ! 代わりに残業手当は目いっぱいもぎ取ってやるから気合入れろっ!」
 その場にいた──エルを除いた──全員が「おおー!」と応えて拳を突き上げる。地響きのように轟く声、そして戦争でも始まるかのような熱気に彼は完全に気圧された。気づいたときには鈴木に手を引かれて彼は厨房にいた。
「ちょっと今から大変なんだけど、頑張ろうね」
 鈴木は相変わらず応援してくれる。しかし先ほどまでの可愛らしい年相応の笑顔はなく、力強くこちらを見据えるのは覚悟の決まった女の顔だった。エルの口から出たのはか細い「はい」の声だけだった。

 マジックベアに限らず魔物の肉を食用にするためには加工処理が必要だった。肉に含まれる魔力を抜かなければならないのだ。生きている間は全身を巡る魔力は生物が死ぬと死骸に溜まり、肉を有害なものに変質させてしまうのだ。それを防ぐためには素早く適切な処理をしなければならない。
 ミスは許されない。なぜなら廃棄した分だけ報酬が減るから。魔物肉の販売による収入は鑑定部だけでなく御山ダンジョン管理局全体にとっての重要な収入源の一つだ。さらに言えば食堂にとっても貴重で美味しい食材が手に入るため食費が浮く。ゆえに食堂全体での士気も高まっていた。
 今回のエルは皿洗い担当だった。「今日働き始めたばかりの新人ですでに就業時間は終えているんですが帰ってはいけないんですか」なんてことは口が裂けても言えなかった。常識的な考えは捨てよう、とエルは頭を振った。密猟者の発見による今回の騒動は、食堂だけではなく御山ダンジョン全体を大混乱に陥れているはずだ。新人として一体どれほどの助けになるのかは分からないが協力すべきだとエルは考えた。
 また、自分を納得させるための言い訳ではないのだが彼は人並み以上に体力があると自負している。元々忙しく動き回ることも好きだ。そして何よりもこのお祭りのような雰囲気にワクワクしていた。だからエルは気合を入れ、むしろやる気に満ち溢れていた。
「まずはマジックベアのお肉を煮込む用の大鍋を洗ってきて。外に出してあると思うから、そのまま近くの洗い場使ってね。全部洗い終わったら今度は夜の準備。食堂の掃除をして黒板にメニューを書いて開店準備をお願い。その後は厨房に戻って来て昼と同じように皿洗いね」
 鈴木は流れるようにテキパキと指示を出す。エルは言われた通りに最初の仕事、大鍋洗いに取り掛かった。魔力を抜くためにはまず薬草と一緒に肉を煮るのだ。食堂の裏手にある洗い場ではすでに人が集まっており、人間を煮込めそうなほどの大鍋がいくつも転がっている。
 ここでエルはとても重宝された。背の高い彼は大鍋の底まで難なく洗うことができるのだ。すぐに役割分担が行われ、エルは鍋をスポンジで洗う係、他の者はそれをホースで洗い流す係だ。洗った大鍋は布巾で簡単に水気を取ると1か所に集められ、魔術による風で乾かすことになる。乾かす係はあまり魔術が得意ではないらしく、肌を優しく撫でるようなそよ風を起こしたり、かと思えば次は周り巻き込むようなつむじ風を起こしたりと忙しい。
「下手くそ!」
「うるさい! じゃあお前がやれ!」
「ちょっと! ホコリが舞うんだけど!」
 怒号と風で騒がしいことこの上ない。エルは黙って大鍋を洗い続けた。
 鍋を全て洗い終えたところでまた騒がしくなる。どうやら件の肉が届いたようだ。人だかりに吸い寄せられるようにエルも人々の後ろから肉を見る。
 それは彼の想像をはるかに超える大きさだった。一つの塊だけで牛ほどの大きさである。しかもひっきりなしに続々と届くのだ。
 さらに肉は毒々しいまでの赤黒さだった。血の塊ではないかと思うほどだ。魔物の肉は決して珍しい食材ではなく、エルも食べたことがあるし加工処理済みのものなら見たことがあった。しかし初めて見る捕りたての魔物肉は想像以上のおぞましさだった。思わず「すごい」と呟けば隣にいた山本が「そうだろう」とでも言いたげに頷いた。
「普通の肉とは全然違う色してるだろ? あれは魔力が肉の表面に集まってきてるからなんだ。時間が経つとどんどん『魔力焼け』を起こしていくから、早いうちに表面に固まってる魔力を落とさなきゃならない。魔力さえ落ちればあとは普通の肉と変わらないさ」
 肉がどんどん並べられていく。食堂の彼らは次々と包丁を手に集まって肉を切り出した。
「エルも切るのを手伝ってくれよ」と山本に言われエルは素直に従った。マジックベアの肉にも興味がある。
 血の匂い、新鮮な肉の匂い。それらに交じって魔力が有機物に侵食するときの独特な匂いがする。思わず顔をしかめると横から布巾を手渡された。高橋だ。
「エルはこっちだ。見ながら覚えな」
 口元を布巾で覆っているせいで細く鋭い目つきが強調されている。まるでどこかのギャングのようだ。続けて手袋も渡される。エルにとっては随分とサイズの大きいものだったが彼は黙って手にはめた。
「大きさはこのくらい」と高橋が手本を見せる。よどみのない動きでなめるように肉の上を包丁が滑る。ひと息で切られた肉の断面は、やはり魔物の口の中のようにおどろおどろしい赤色だ。それをさらに半分に切って先ほど洗った鍋にどすんと投げ入れる。
「どんどん切っていって。じゃないと使えなくなる」
 エルは肉に刃を入れた。硬い。とてもじゃないが高橋のように滑らかに刃が入るものではない。刃を上下に動かそうとも謎の弾力、粘り気があって思うように動かない。見よう見まねでどうにか一つの塊を切り出した頃には高橋はすでに次の大きな塊を切り始めていた。まずい、とエルは焦った。これでは残りの部分が魔力に侵食されて食べられなくなってしまう。
 だから彼は少しだけずるをした。先ほどと同じように切るふりをして肉に触れる。意識を集中させ──他の誰にも気づかれないように──自分の魔力を流し込む。確かに肉の表面に魔力が集まっているのを感じた。あとは魔力を操作して肉から引っ張り出してしまうだけだ。余分な魔力を有さないならば魔力焼けの心配もない。エルは落ち着いて肉に刃を入れる。あんなに切り辛かったのが嘘みたいに簡単に刃が入った。どうやら魔力のせいで肉が固くなっていたらしい。なんともあっけなく彼は二つ目を切り分けた。
「なかなか上手いじゃない」
 無我夢中でやっていれば高橋からそんな言葉をかけられる。エルは気まずくて曖昧に笑った。




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