上 下
6 / 44
プロローグ

5.魔法

しおりを挟む
 部屋に戻り、用意されたお菓子を齧りながらネレスはほっとひと息ついた。温かい紅茶と甘いクッキーで緊張がほぐれる。
 お菓子なんて何年ぶりだろうか。オンディーラだった時代は貧困で買う余裕がなかったから、おそらく前前世以来だろう。最後に食べた記憶があるのは化学の塊みたいなこねにこねまくる知育菓子だ。懐かしい。
 カーテンを締め切ったゴミだらけのワンルーム、隙間風のひどいあばら家ときて、今は豪奢な屋敷にいる。

(環境が違いすぎてどうすればいいやら……あ~めっちゃうま。このクッキーだけで生きれるわ)

 ネレスはカリカリと無心にクッキーを齧って堪能した。その光景を穏やかに眺めていたアルヴァロが「甘いものは好きか?」と尋ねる。

「ング……すみ、ごめん、食べすぎた……」
「食欲があるのは喜ばしいことだ。思う存分食べてくれ。好きかどうか知りたかっただけだからな」
「あ……お、おいしい、すごく」
「それなら良かった」
(毎回思うけど、ワイこんなに挙動不審なのによくニコニコしてられるな……)

 微笑んでいるアルヴァロから目を逸らしつつ、ネレスはクッキーをもうひとつ手に取った。やはり彼のことはよく分からない。しかし先程の騒動で守ってくれたおかげか、緊張と警戒はやや薄れ始めていた。

 お菓子を食べ終え、相変わらず波打っている紅茶も飲み干した頃。アルヴァロは「魔法を使ってみないか」と口を開いた。

「ま、魔法……!? ワ、私が……?」
「ああ。私が最初に使った、この――」

 そう言いながら指先に水のベルを作りだし、リンッと鳴らす。

「――呼び出しのベルだけでも覚えておくと、何かあったときに便利だからな」
「わ、私にもできる……?」
「勿論。きっと簡単にできるはずだ」

 そうは言われても、オンディーラだった頃は一度も使えなかったのだ。まず使い方を知らなかったせいではあるが、いきなり魔法を使えと言われてもできる気がしない。
 失敗したらどうしようと焦っていたとき、ノックの音が響いてキアーラが部屋に入ってきた。

「お、お呼びでしょうか」
「ネレスに魔法を教えるから、すこし手伝ってくれ」
「かしこまりました!」
(人が増えた……いや緊張するんやが!?)

 強ばった表情で唾を飲み込む。アルヴァロは「大丈夫だ、失敗することはない」と安心させるように言った。

「先に基本的な話をしよう。魔法には水、火、土、風、木、光、闇の七属性が存在する。そしてそれぞれの属性に対応するニュムパが大気中に存在しているんだ」
「み、水のにゅむぱ、って言ってたやつ……?」
「そうだ。よく覚えていたな。ニュムパは常に魔力を発している。私たちは彼らから魔力を分け与えてもらい、魔法を行使するんだ。使い方は簡単で、頭の中でイメージするだけでいい」
(イメージするだけ!? 詠唱とかないんや……)

 ぽかんと口を開けながらネレスは「おお……」と呟く。ニュムパというものが未だによく分からないが、魔力をくれる精霊みたいなもの、と脳内で変換して大丈夫だろうか。

「ニュムパは精神の声を聞く。明確なイメージと、強い精神であればあるほど届きやすい。言葉や魔法陣などで補助する場合もあるが今は置いておこう」
(アッ詠唱もあるっぽいわ)
「ネレス」
「ファ、はい!?」
「これと同じものを指先に生み出すよう、ゆっくりイメージしてくれ」

 アルヴァロはもう一度水魔法でベルを作ってみせた。
 もう始まったのかと慌ててネレスは居住まいを正す。彼と同じように人差し指を出して、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。

(明確なイメージだっけ!? もう言われたこと忘れたんやけどやばいマジでほんまに出来るんかこれ!? えー、水でベルを作る、水のベル、水を集めて、ちっちゃくて綺麗……パパ上のと同じやつ……ウーン……)
「ン~…………」

 唇を引き結び、人差し指の先を見つめる。
 不意に空気が動いたような気がした。瞬きをした直後、指先へ急速に水滴が集まる。アルヴァロよりも濃く暗い色をした水が、小さなベルを形作った。

「アッ、ワッアッ!」
(で、できた!? なんか色違うけど!?)

 ベルの形を作れたはいいが、これが成功なのか分からない。指先のベルとアルヴァロの顔を交互に見る。彼は微笑みながら「完璧だ、よくやった」とネレスを褒めた。

「い、色が……なんか、違う……」
「ああ、それは君が闇のニュムパにも愛されているからだろうな。光と闇は使える者が少ないんだ。そのぶん影響が大きく、他の属性を使っても混ざりこんでくる」
「はえ……」
「……私は光魔法を使えるため、水魔法にも光が混ざる。だから余計に君が生み出す水とは違って見えるんだろう」

 彼は口を少しへの字に曲げた。色が違っては駄目なのかと一瞬勘違いしかけたが、そういえばミフェリルは光と大樹の女神だったと思い出してネレスは笑いそうになった。子供のような拗ね方で面白い。

「だから色を気にする必要はない。きちんと成功しているよ」
「あ、ありがとう……」
「すごいです、お嬢様! 初めてでこんなに綺麗な魔法を使えるなんて!」

 少し離れた位置から見守ってくれていたキアーラにも褒められ、頬を染めながら「へへ……」と視線を泳がせる。
 まさか本当に魔法が使えるなんて思わなかった。もっと早く知っておけばオンディーラの頃も楽だっただろうに。しかし、過去のことは考えても仕方ない。

「よし。では、次は同じものをキアーラの隣にも作ってくれ」
「隣?」
「ああ。ベルは双方にないと呼び出せないからな」
「アッ、そ、そか……」

 言われてみればそうだ。指先にあるものを、キアーラの隣にも。彼女に視線を向けると満面の笑みで「キアーラはここです!」と手をぶんぶん振られた。

 コツがなんとなく分かったおかげで、2つ目のベルもスムーズに作り出すことができた。手元にあるベルをちょんとつつけば、ネレスとキアーラの両方からリィンと幾重にも重なった深みのある音が響く。成功したようだ。

「音が違うので、アルヴァロ様とネレスお嬢様のどちらなのかすぐに分かりますね」
「そうだな。キアーラは君の世話係だから、何かあったらこの魔法を使ってすぐに呼んでくれ。勿論私を呼んでもいい」
「わ、わかった……」

 頷いて、ネレスは自分の作り出したベルを見ながらそっと微笑む。

「魔法は想像によって形を様々なものに変える。水を魚にすることも、防御壁にすることも、キアーラが使う得意魔法のように岩で小さな玉を作り、光の速さで打ち出して獣を1発で仕留めることもできる」
「……エ?」
「なななアルヴァロ様、なんてことを! ああっお嬢様、怖がらないでください、キアーラは善良なメイドです!」

 一瞬聞き間違いかと思ったが、キアーラの反応的にそうではなさそうだ。「ほ~ら大丈夫ですよ~怖くな~い」と不思議な動きをするキアーラへアルヴァロは肩をすくめた。

「つまり、世話係と護衛を兼ねているから安心して彼女を頼ってくれ、ということだ」
「な、なるほど……わかった……」
(護衛って言うけど、その魔法人に打ったら死ぬんじゃ……)

 実質銃みたいなものだろう。
 ちょっと可愛いなと気になっていたメイドが思っていたより物騒で複雑な気持ちである。しかし彼女があまりにも必死に怖くないアピールをするので、思わず小さく笑いながら「大丈夫だよ、こわくないよ」とフォローした。

 その日はベルの作り方だけだったが、以降ネレスはアルヴァロと話す時間のたびに小さな魔法を教えてもらうこととなった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

君は今日から美少女だ

恋愛
高校一年生の恵也は友人たちと過ごす時間がずっと続くと思っていた。しかし日常は一瞬にして恵也の考えもしない形で変わることになった。女性になってしまった恵也は戸惑いながらもそのまま過ごすと覚悟を決める。しかしその覚悟の裏で友人たちの今までにない側面が見えてきて……

【完結】いせてつ 〜TS転生令嬢レティシアの異世界鉄道開拓記〜

O.T.I
ファンタジー
レティシア=モーリスは転生者である。 しかし、前世の鉄道オタク(乗り鉄)の記憶を持っているのに、この世界には鉄道が無いと絶望していた。 …無いんだったら私が作る! そう決意する彼女は如何にして異世界に鉄道を普及させるのか、その半生を綴る。

異世界転移した先で女の子と入れ替わった!?

灰色のネズミ
ファンタジー
現代に生きる少年は勇者として異世界に召喚されたが、誰も予想できなかった奇跡によって異世界の女の子と入れ替わってしまった。勇者として賛美される元少女……戻りたい少年は元の自分に近づくために、頑張る話。

あさおねっ ~朝起きたらおねしょ幼女になっていた件~

沼米 さくら
大衆娯楽
ある日の朝、普通の男子高校生「日向 蒼」は幼女になっていた……!? 繰り返すおねしょ、おもらし。おむつを穿かされたり、可愛い洋服を着せられたりな新しい日常。 その中で彼は少しづつ女の子になっていく……。 よくあるTSモノです。 小説家になろうより転載。カクヨム、ノベルアッププラス、pixivにも掲載してます。 可愛い彼(?)の活躍にご期待ください。 おねしょやおもらし、おむつなどの描写があります。苦手な方はご注意下さい。

異世界TS転生で新たな人生「俺が聖女になるなんて聞いてないよ!」

マロエ
ファンタジー
普通のサラリーマンだった三十歳の男性が、いつも通り残業をこなし帰宅途中に、異世界に転生してしまう。 目を覚ますと、何故か森の中に立っていて、身体も何か違うことに気づく。 近くの水面で姿を確認すると、男性の姿が20代前半~10代後半の美しい女性へと変わっていた。 さらに、異世界の住人たちから「聖女」と呼ばれる存在になってしまい、大混乱。 新たな人生に期待と不安が入り混じりながら、男性は女性として、しかも聖女として異世界を歩み始める。 ※表紙、挿絵はAIで作成したイラストを使用しています。 ※R15の章には☆マークを入れてます。

強制変更アプリ

C7
ファンタジー
物の形を変更できる不思議なアプリを手に入れてしまい、試しに自分の体を女体化させることに。

七罪の聖女 ~結婚なんかしていられるか! 俺は独り身でいさせてもらう!~

ぽぽぽ
ファンタジー
 佐藤雄二はお気に入りのゲームをいつものようにプレイしていると、急に眩暈に襲われ気を失ってしまう。そして意識を取り戻せば見知らぬ森の中で倒れていた。しかも自分のアバターである少女、メアの姿で。とりあえずメアとして第2の人生を歩もうとした彼は、行く先々で無双してはその美貌と実力を見初められ求婚されてしまう。「結婚して?」「嫌です……」「お前は一体何者なんだ……?」「通りすがりの美少女ですよ?」これはそんな物語。 ※精神的BLのタグは保険です。シチュエーションによってはそう思ってしまう方がいるかもしれないので。この作品は小説家になろう様にも投稿しています。

お持ち帰り召喚士磯貝〜なんでも持ち運び出来る【転移】スキルで異世界つまみ食い生活〜

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
ひょんなことから男子高校生、磯貝章(いそがいあきら)は授業中、クラス毎異世界クラセリアへと飛ばされた。 勇者としての役割、与えられた力。 クラスメイトに協力的なお姫様。 しかし能力を開示する魔道具が発動しなかったことを皮切りに、お姫様も想像だにしない出来事が起こった。 突如鳴り出すメール音。SNSのメロディ。 そして学校前を包囲する警察官からの呼びかけにクラスが騒然とする。 なんと、いつの間にか元の世界に帰ってきてしまっていたのだ! ──王城ごと。 王様達は警察官に武力行為を示すべく魔法の詠唱を行うが、それらが発動することはなく、現行犯逮捕された! そのあとクラスメイトも事情聴取を受け、翌日から普通の学校生活が再開する。 何故元の世界に帰ってきてしまったのか? そして何故か使えない魔法。 どうも日本では魔法そのものが扱えない様で、異世界の貴族達は魔法を取り上げられた平民として最低限の暮らしを強いられた。 それを他所に内心あわてている生徒が一人。 それこそが磯貝章だった。 「やっべー、もしかしてこれ、俺のせい?」 目の前に浮かび上がったステータスボードには異世界の場所と、再転移するまでのクールタイムが浮かび上がっていた。 幸い、章はクラスの中ではあまり目立たない男子生徒という立ち位置。 もしあのまま帰って来なかったらどうなっていただろうというクラスメイトの話題には参加させず、この能力をどうするべきか悩んでいた。 そして一部のクラスメイトの独断によって明かされたスキル達。 当然章の能力も開示され、家族ごとマスコミからバッシングを受けていた。 日々注目されることに辟易した章は、能力を使う内にこう思う様になった。 「もしかして、この能力を金に変えて食っていけるかも?」 ──これは転移を手に入れてしまった少年と、それに巻き込まれる現地住民の異世界ドタバタコメディである。 序章まで一挙公開。 翌日から7:00、12:00、17:00、22:00更新。 序章 異世界転移【9/2〜】 一章 異世界クラセリア【9/3〜】 二章 ダンジョンアタック!【9/5〜】 三章 発足! 異世界旅行業【9/8〜】 四章 新生活は異世界で【9/10〜】 五章 巻き込まれて異世界【9/12〜】 六章 体験! エルフの暮らし【9/17〜】 七章 探索! 並行世界【9/19〜】 95部で第一部完とさせて貰ってます。 ※9/24日まで毎日投稿されます。 ※カクヨムさんでも改稿前の作品が読めます。 おおよそ、起こりうるであろう転移系の内容を網羅してます。 勇者召喚、ハーレム勇者、巻き込まれ召喚、俺TUEEEE等々。 ダンジョン活動、ダンジョンマスターまでなんでもあります。

処理中です...