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feel.10

02.

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「…火事?」

急速に拡大する火の手に動揺して胃が嫌な感じに引きつった。喉が渇いて汗が滲む。

「…美南か」

黎くんがつぶやいて、辛そうに顔を歪めるのが見えた。

みなみ?

言われてみれば、美南さんの匂いがする。

植物。ひまわり。田畑。大地。
焦げた緑。香ばしい小麦色。

澱んだ沼。湿地。濁った緑色。
全てを焼き尽くす大量の炎。
山火事。延焼。飛び火。

同時に、強力なANの匂いが立ち込めていた。

濃い紫。極めて黒に近い深い赤紫。
恨み。怨念。復讐。絶望。心中。
ANで感情が崩壊して暴走している。

誰かが、…美南さんが、アパートに火を放った?

「ゆの、行くぞっ」

3階の通路にいても熱さを感じる。
コンクリートの床も柱も天井も、熱で空気が歪んで見える。

黎くんが私の手を取ると、階段に向かって走った。階下に降りようと踏み出しかけたけれど、既に踊り場まで火の海だった。

火の回りが早い。アパートは3階建で、屋上はない。

「口、押さえて」

私の手を引いて、黎くんが通路を戻る。
通路にもあっという間に黒い煙が充満して視界が遮られた。

熱い。熱い。熱い。

高温の熱に巻かれて息が吸えない。
沸騰した空気と煙の渦に包まれて、恐怖に覆いつくされる。
絶望に飲み込まれて気が遠くなる。

空気が薄いからか、強力な感情崩壊に取り込まれているのか、
感覚がなくなって意識が薄れていく。

「ゆの」

さまよい始めた意識を現実に引き戻してくれたのは、

「俺のことだけ考えて」

私の手を強く握る黎くんの手の感触。
私を抱え上げる黎くんの力強い腕。

恐怖と絶望に支配されていた身体に、黎くんから透明な希望が沁み込んできた。

「黎くん、…」

黎くんは、感情の匂いが視えない。

いつも。どんな時も。
絶望に取り込まれそうになる私に希望の光をくれる。

黎くんが私を抱え上げたまま、自分の部屋のドアを蹴破り、煙が充満して歪んだ視界の中を一気に突っ切って、ベランダに出た。

「絶対に、手を離すなよ」

黎くんは私を背負うと、ベランダの手すりから避難梯子を投げ、それを伝って外に躍り出た。

さっきまでいた部屋とベランダが濃い煙と炎に包まれていく。
風にあおられて揺れる梯子に、煙と炎が追随する。

階下の方が火の勢いが強い。
足元に火の手が迫りくる。

梯子から手を離した黎くんが、私に腕を回すとしっかり抱え寄せて、空に飛び出した。

「大丈夫。絶対守ってやる」

最後に聞こえたのは、黎くんの優しい声。
最後に見えたのは、黎くんの煌めく瞳。

全てを飲み込む黒い煙。燃え盛る不気味な炎。
覆い尽くす熱。爆ぜる音。塵と埃。汗。
暗闇。浮遊感。耳に唸る轟音。急激な落下。
生理的な涙。焼けつく喉。

衝撃は感じなかった。
痛みも感じなかった。

ただ、黎くんの匂いと黎くんの温もりに包まれて、
感覚を失い意識を手放して、何もない暗闇に落ちていった。
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