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8章.なな色ウエディング

01.

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「お疲れ様です」

受付時間はとうに過ぎ、照明が絞られた病院の裏口で、警備員さんのチェックを受ける。人気のなくなった静かなロビーを通って別棟に渡り、担当のナースセンターで再びチェックを受けて許可をもらい、その向こうに続く病室へ急ぐ。木製のドアが温かみを与える病室の前で立ち止まって深呼吸を一つ。静かにドアを開けた。

この部屋の奥で、ななせが眠っている。

「ななせ、ただいま」

病室の白いベッドの上に横たわっているななせは、もちろん動かなければ返事もしない。静かに目を閉じたまま。陶器みたいに滑らかな肌にそっと触れると温かく、それだけが私に安心をくれる。

ななせの頭や身体には様々な機械が取り付けられ、規則正しく健康状態の観察記録が為されている。腕に刺さった点滴の管から栄養が入れられ、時々顔をしかめたりするものの、繋がれた機械を除けばただ普通に寝ているように見える。

侑さんからななせが強行治療に踏み切ったと聞いて丸三日。仕事帰りに病室に立ち寄ることを許してもらっている。もう二度と目を覚まさないかもしれないと聞いた時は目の前が真っ暗になったけれど、無事に記憶を取り戻して目覚める可能性もあるわけだから、悲観するのは止めた。記憶を取り戻したななせと週末に挙式できる未来だってある。ななせだって、その可能性に賭けて治療を決めたわけだし。

…ななせ。

力なく置かれたままのななせの手に手を重ねてみる。

ななせの左手薬指には、綺麗に磨かれた結婚指輪がはめられている。テロリスト集団との諸々の後、物証として警察に預けていたななせの指輪を、返してもらっていたらしい。指輪をはめたななせの手を見ると、泣きたくなる。私と結婚を誓って、私を守ってくれた指輪。それをはめてくれてるのは、目覚めた時に結婚式をしてくれるため。

『…嫌だ。お前も侑も、俺は要らないんだろ。俺を消して、元の俺に戻したいんだろ』

あんなに嫌がっていたのに。
川辺で聞いたななせの寂し気な声は、今思い出しても胸が痛い。ななせはずっと治療を受けることを拒否していた。元のななせに戻ったら、あのななせは、…私のことをウニ呼ばわりしたおたんこななせは、いなくなってしまうから。

『…違う。お前が俺じゃダメなんだよ』

だけど、それでも。それなのに。
自分を消しても、元の自分に戻ろうとしてくれた。結婚を誓ってくれた元のななせで、結婚式を挙げるために。

『もしも明日世界が終わるとしたら』
『最後にお前に触りたい』
『ウエディングドレス、着たとこ見たい』

それはどんなに寂しくてやるせないことだったろう。自分が消えてしまうことに恐怖を感じないわけがない。

『…ななせ、どこにも行かないよね?』
『…行かないよ。ちゃんと、帰ってくる』

ななせの言ってた言葉の意味が、今なら分かる。
返してくれるつもりだったんだ、私が好きになった以前のななせを。

『…ありがとう、つぼみ。俺を受け入れてくれて』

…ななせのバカ。

ななせの手を両手で包んで持ち上げた。重力のままに重たいその手を、自分の額に押し当てる。

私の好きをみくびらないで欲しい。

私はななせが好きなんだよ。
優しくても意地悪でも、ウニでもおたんこでも。以前のななせも今のななせも、ななせなら全部。どんなななせでも、ずっと好きなんだよ。

『侑さん、心ってどこにあるんでしょうか。好きな気持ちはどこにあるんですか。胸が痛くなったり、涙が出たり、ぼんやりしたり、最強になれたりしますけど』

『医学的なことを言えば、それはやっぱり脳ということになるんだろうけど』

『記憶がなくなったら、気持ちもなくなってしまうんですか』

『俺の個人的な意見としては、そんな簡単なもんじゃないと思うけどな』

侑さんとの会話を思い出す。

ななせのバカ。
いなくなったりしなくても、そのままのななせでいいのに。いつでも、どんなななせでも、ななせのことが、

…こんなに好きなのに。
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