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7章.あした色リユニオン
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雨が冷たい。雨が悲しい。
瞬く間に濡れていく、雨が痛いよ。
結構な強さで雨が降っていたけれど、傘を買う気にも雨宿りをする気にもなれず、駅を出てそのまま雨の中を濡れながら歩いた。気の毒そうな顔を向けてくる人や自転車でずぶ濡れになっている同士、減速せずに水溜まりの水を跳ね飛ばしていく車たちと行き交いながら、もはや走る気力もなくとぼとぼ歩いた。
…ななせ。
ななせがいたらどんな土砂降りだって平気だったのに。
ななせがいなきゃ、こんなにも雨が痛いよ。
痛くて冷たくて、一人じゃ立っていられないんだよ。
もういっそ開き直って下着の中までびっちょびちょに濡れた。髪から落ちる雨粒で前が見えない。靴の中に溜まった水が音を立てて気持ち悪い。ようやく帰り着いたマンションでもエントランスやエレベータに水を滴らせてしまい、迷惑な住人だな、と自己嫌悪に陥った。
自宅のある階で降りて玄関のドアを開けると、中から明かりが漏れているのが見えた。
「…ななせ!?」
それまでの重い足取りが嘘のように、我ながら驚くほどの俊敏さで部屋に駆け込んだ。
「ななせっ? …ななせっ!?」
リビング、ダイニング、寝室、お風呂、トイレ、クローゼットの中まで、気が狂ったように開け閉めして行き来して部屋中駆け回り、どこもかしこもびしょ濡れにしてようやく悟る。
電気消すの、忘れたのか。出掛け、急いだからな。
力が抜けてずるずる座り込みそうになり、
『…早く帰れよ』
ななせの声が聞こえた気がして勢いよく振り返った。
結果、水分を含んで重くなった自分の髪に顔を打たれただけだった。
…だよね。
自嘲して、お風呂場までのろのろ歩く。
『つぼみ、濡れた?』
脱衣場で、雨の匂いを嗅ぎ取るななせの気配を感じた。鼻の奥がつんとする。気のせいだって分かってるけど振り返ってしまい、水滴を無駄に飛び散らかせた。現実に打ちのめされる。
嗚咽が込み上げてきて天井を仰ぐ。
衣服が重くて沈み込みそうになる。
『ちょお―――っ、自分で脱げるしっ! ってか、こっち見ないでよっ』
『お前今更。だから、…』
この家のバスルームが広いのは、ななせがお風呂好きだから。
「…おねがい」
いや、無理だ。無理だよ、ななせ。
ななせがいなくなってからまだ24時間も経っていない。
家の中はどこもかしこもななせでいっぱいで。
何をしてもどこを見てもななせしか見えない。
「…ななせ」
奥歯を噛みしめて、重く湿った服を脱ぎ、洗濯機に放り込んで雑に回すと、浴室に飛び込んだ。シャワーを全開にして頭から被りながら、声を上げて泣いた。
なんで。
自分の身体にさえまだななせの余韻が残っているのに。
『…違う。お前が俺じゃダメなんだよ』
なんで、ななせ。何がダメなの? なんでダメなの?
きっと。それが分からないからダメなのかな。
こんなにもななせでいっぱいのこの家に残されたら、ななせに溺れて息が出来ない。でもむしろ、それは幸せなことかもしれない。
ななせと一緒に引っ越したこの家には、ななせの荷物がそのまま残っている。ウエディングドレスだってタキシードだってそのまま残っている。だから、帰ってくるかもしれない。必要なものだってあるかもしれないしね。
『…ありがとう。愛してる、…―――』
そう思いながら、そんなことはないって誰よりもよく分かっていた。
ななせの面影と窒息するか、ここから離れるか、どっちがいいだろうかと考えて、考える前から決まっている答えに自嘲が込み上げた。
「あのさ、お前大丈夫か?」
お風呂場で散々泣いて、ひどい顔選手権の最悪状態を更新し、浴室を出てバスタオルで髪を拭きながら、水を飲みにダイニングに戻ると、放り出したままのバッグから転がり落ちたスマートフォンに通知が来ているのに気づいた。着信履歴が何度もある。それを見て無意識に落胆している自分を恥じながらかけ直した。
「…侑さん」
ぞっとするくらいがっさがさな声が出て、また余計な心配をかけてしまうんだろうなと自己嫌悪を重ねた。
瞬く間に濡れていく、雨が痛いよ。
結構な強さで雨が降っていたけれど、傘を買う気にも雨宿りをする気にもなれず、駅を出てそのまま雨の中を濡れながら歩いた。気の毒そうな顔を向けてくる人や自転車でずぶ濡れになっている同士、減速せずに水溜まりの水を跳ね飛ばしていく車たちと行き交いながら、もはや走る気力もなくとぼとぼ歩いた。
…ななせ。
ななせがいたらどんな土砂降りだって平気だったのに。
ななせがいなきゃ、こんなにも雨が痛いよ。
痛くて冷たくて、一人じゃ立っていられないんだよ。
もういっそ開き直って下着の中までびっちょびちょに濡れた。髪から落ちる雨粒で前が見えない。靴の中に溜まった水が音を立てて気持ち悪い。ようやく帰り着いたマンションでもエントランスやエレベータに水を滴らせてしまい、迷惑な住人だな、と自己嫌悪に陥った。
自宅のある階で降りて玄関のドアを開けると、中から明かりが漏れているのが見えた。
「…ななせ!?」
それまでの重い足取りが嘘のように、我ながら驚くほどの俊敏さで部屋に駆け込んだ。
「ななせっ? …ななせっ!?」
リビング、ダイニング、寝室、お風呂、トイレ、クローゼットの中まで、気が狂ったように開け閉めして行き来して部屋中駆け回り、どこもかしこもびしょ濡れにしてようやく悟る。
電気消すの、忘れたのか。出掛け、急いだからな。
力が抜けてずるずる座り込みそうになり、
『…早く帰れよ』
ななせの声が聞こえた気がして勢いよく振り返った。
結果、水分を含んで重くなった自分の髪に顔を打たれただけだった。
…だよね。
自嘲して、お風呂場までのろのろ歩く。
『つぼみ、濡れた?』
脱衣場で、雨の匂いを嗅ぎ取るななせの気配を感じた。鼻の奥がつんとする。気のせいだって分かってるけど振り返ってしまい、水滴を無駄に飛び散らかせた。現実に打ちのめされる。
嗚咽が込み上げてきて天井を仰ぐ。
衣服が重くて沈み込みそうになる。
『ちょお―――っ、自分で脱げるしっ! ってか、こっち見ないでよっ』
『お前今更。だから、…』
この家のバスルームが広いのは、ななせがお風呂好きだから。
「…おねがい」
いや、無理だ。無理だよ、ななせ。
ななせがいなくなってからまだ24時間も経っていない。
家の中はどこもかしこもななせでいっぱいで。
何をしてもどこを見てもななせしか見えない。
「…ななせ」
奥歯を噛みしめて、重く湿った服を脱ぎ、洗濯機に放り込んで雑に回すと、浴室に飛び込んだ。シャワーを全開にして頭から被りながら、声を上げて泣いた。
なんで。
自分の身体にさえまだななせの余韻が残っているのに。
『…違う。お前が俺じゃダメなんだよ』
なんで、ななせ。何がダメなの? なんでダメなの?
きっと。それが分からないからダメなのかな。
こんなにもななせでいっぱいのこの家に残されたら、ななせに溺れて息が出来ない。でもむしろ、それは幸せなことかもしれない。
ななせと一緒に引っ越したこの家には、ななせの荷物がそのまま残っている。ウエディングドレスだってタキシードだってそのまま残っている。だから、帰ってくるかもしれない。必要なものだってあるかもしれないしね。
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