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3章.かすみ色メランコリー

03.

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「…雨宮さんっ!」

雨霞に覆われた異国のメインストリート。知り合いなんて誰もいない夕暮れの街に日本名が響いた。しかも、慣れ親しんだ自分の名前。

目の前の英国男性がびくりと身体を震わせ、はずみで我に返る。

この現実から連れ出してくれるなら何でもいい。
こんな私、どうでもいい。もう何の価値もない、なんて。

ななせの役に立てないからって自暴自棄になって、一体私は何をしようとしているんだ。誰とどこに行こうとしているんだ。

「Thank you for your help. I know her well. She is my friend. Let me worry about the rest.」

霧雨の中から現れた日本人男性が後ろから私を引き寄せて英国男性と距離を取り、戸惑っている英国男性に何やら英語で説明した。英国男性は私の後ろに立った日本人男性と私を交互に見比べてから、やや名残惜しそうな表情で私を見ると、

「OK, see you!」

素早く一瞬だけ唇で私の頬に触れてから、片手を上げて歩き去って行った。

「…雨宮さん。何してるんですか」

事態が飲み込めずに呆然としている私に、日本人男性の呆れたような視線が突き刺さる。

「…すみません、でした」

いたたまれなさを感じながら、ともかくも男性に頭を下げた。

背が高く大柄で骨っぽい身体つきの男性は、英国男性をも怯ませる威圧感を放っている。普通に怖い印象だけど、ふらふらしているバカな私を見かねて手を貸してくれたんだから、多分いい人なんだろう。

それに。

「…あの、えーと、…えーと、あの、…」

どうやら私のことを知っているらしい。
しかしながら、誰だったか、どこで会ったんだか、まるで思い出せない。

清家せいけです。天照ライフ食品営業部二課。雨宮さんのことは会社で時折お見かけしていました。芸能人のご主人を持って大変そうだな、と」

ああ~っ、会社の人かあ。
ここ数日、怒涛のような現実に襲い掛かられて、会社のことなんてすっかりどっか行っていた。という、社会人失格な私。

清家さんににこりともせずに上から見下ろされて、労われてるんだか責められてるんだかさっぱり分からずに、

「…はあ、どうも」

間抜けな返答をしてしまった。

「それで、どうしたんですか。ご主人の大切なライブの真っ最中なんじゃないんですか」

会社の先輩であろう清家さんは、私の間抜けた返答などどうでもいいらしく、黒い傘を開くと差し掛けてくれた。「濡れますよ」と。
やはり見た目によらず親切な人なのだ。

「あー、まあ、…そうなんですけど」

人生二度目の相合傘は、何の感慨もなく、ただひたすらにバツが悪い。どうしようもなく居心地が悪い。

私がななせの妻だと知っている日本の方から見たら、ちょっと理解できない状況だろう。大事故から復帰する夫のライブに飛んできたのに、会場から追い出されているという。

妻も失格というか。離縁を突きつけられているというかね。

「…無理に話す必要はありませんが。こんなところで濡れていたら目立ちます。ただでさえ日本女性は狙われやすいですし、不埒な輩が寄ってこないとも限らない」

「…すみません」

仰る通りです。
さっきの人も悪い人ではなかったと思うけど、なんかキスされたし。

それに、こんなの、また世間の皆さんに面白おかしく想像するネタを与えるようなものだ。いやもう、既に何かしら言われているかもしれないけど。

「お時間があるのなら、アフタヌーンティーでも行きましょうか。少し遅い時間ですが、雨宿りにもなりますし」

「あ、…はい。どうも」

詳しく聞かれなくて助かった。

清家さんはスマートな身のこなしで、格調高そうな英国ホテルのアフタヌーンティに案内してくれた。
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