時間を止めて ～忘れられない元カレは完璧な容姿と天性の才能を持つ世界一残酷な人でした 【完結】

time.4

息が止まる。
時間が止まる。

私を抱きとめている力強い腕。引き締まった身体。
滑らかな肌触り。心地よい温もり。
ほのかに薫る石鹸の匂い。

『ここ』

甘くかすれた声。柔らかく緩んだ瞳。
くすぐったい髪。優しく触れる唇。

どうして？　なんで？

『手つないでやろうか』

彼の手があれば、他には何もいらなかった。
彼と一緒に、どこまでも行けると信じてた。

愚かな私。

長い手足も柔らかな髪も。
くっきり二重も整った鼻筋も。
澄んだ瞳も艶やかな唇も。
ありとあらゆるパーツが完璧で配置も申し分ない。

神様に選ばれた完璧な外見と。

五か国語を操り、コンピュータスキルに長け、
絶対音感を持ち、ピアノとヴァイオリンで世界を魅了し、
億単位で取り引きされる絵画を描く。

天性の才能を持つこの人は。

「チアキ、くん…」

もう二度と会いたくなかった初めての彼。

私を世界で一番幸せにして、失意のどん底に叩きつけた。

忘れたくて忘れたくて忘れたくて、
あれから5年。
ようやく思い出さずに過ごせるようになったのに、
そのまなざしだけで、一瞬のうちに彼しか見えなくなる。

でも。

どんなに好きになっても、彼は絶対に私を愛さない。

世界一愛しくて世界一残酷な常盤千晃は、忘れられない元カレだった…

「…あれ？　俺のこと知ってる？」

私をそっと床に降ろす卒のないしぐさと甘い声。

こんなに胸が締め付けられて、ちぎれそうなくらい痛いのに、
現実はどこまでも残酷で、
千晃くんは少し驚いたようにまじまじと私を見つめた。

吸い込まれそうに澄んだ瞳。
この瞳には確かに私が映っているのに。

「…あ。いえ」

笑え、ここ。

「人違いです。すみません」

薄っぺらい笑いを貼りつけて、千晃くんの澄んだ瞳から目を逸らす。

「助けて下さってありがとうございました」

なんで、千晃くんがここにいるかな。
なんで、千晃くんが助けてくれちゃうかな。

奥歯を噛みしめながら深々と頭を下げると、

「なんか、…いじめられてんの？」

千晃くんがその完璧に麗しい顔を無邪気に傾けて私をのぞき込む。

いや、千晃くん。
近いから。

…ていうか。

「いじめられてません、…」

多分。

「なら、いいけど。立ち入り禁止の看板立ってたからさ」

千晃くんは入り口をうかがい見るように振り返ると、

「やべえな、俺。変質者みたい」

ふっと唇に淡い笑みを浮かべて、

「じゃあね」

ほんの少しも振り返らずに颯爽と出て行ってしまった。

千晃くんの笑顔。
少年みたいに無邪気で。大好きだった。

胸の前で両手を組んで大きく息を吸って吐いた。

大丈夫、ここ。生きていける。
だって千晃くんは、何にも覚えていないから。