上 下
51 / 88
3章. ゆい

machi.50

しおりを挟む
「久しぶりね」

翔の妊娠を告げて以来、4年ぶりに会う母は、どことなく小さくなったように感じた。

母が、稜さんのマンションを訪ねてきたのは、3月も終わりの桜が咲き始めた頃だった。一連の報道を見て、上京し、病院に訪ねてきたところを、稜さんが連れてきてくれたのだ。

「ゆい、ごめんね…」

警戒した翔を抱いたままの私に、母が腕を回す。

「もう、いいわ。もう、いいのよ…」

私の肩に顔を埋めたまま、母は涙声で細い肩を震わせた。
親を泣かせることなんて、しないと思っていた。
ずっと、地味で真面目で平凡な、「イイコ」だった。

なのに、大人になって思い出すのは、母の泣き顔ばかり。
それでも、私は。
今でもやっぱり、あの日の自分を後悔しない。
あれは私の平凡な人生に訪れた奇跡の夜だった。

「ゆい。よく頑張ったね」

ひとしきり泣いた母は、リビングで少し照れたように翔を撫でた。

「お父さんが、迎えに行って来いって言うの。…もう、充分だって。
私たちまでゆいを責めなくて、いいんじゃないかって」

母が涙に濡れた目で、私を見た。

「本当に一人で頑張るとは思ってなかったわ。
一人で子どもを育てるなんて大変だから、私もお父さんも、そのうち根を上げて帰ってくると思ってた。なのに、毎月、学費まで振り込んで、本当に…」

軽く首を振ると、寂しそうに笑った。

「こんなことになって、…あなた、本当に彼が好きなのね」

母の言葉は、行き場を求めてさまよっている私の気持ちを揺らし、
また、泣きそうになって、慌てて唇を噛んだ。

私の中はまだ悠馬でいっぱいで、ほんの少しでも揺らされたら
想いが涙になって溢れてしまう。

母はともかく、一度実家に戻ってくるように言って
翔を抱きしめ、帰って行った。

それがいいのかもしれない。
いつまでも、稜さんに甘えて、マンションに閉じこもっているわけにはいかない。

杏子師長からも、別の職場を世話してくれると言われている。

「秋田か。…遠いな」

実家に帰ろうと思っていると告げると、
稜さんは私を抱きしめてうなった。

「確かに、一度東京を離れたほうがいいかもしれないけど…」

稜さんの腕に力がこもる。

「会いに行くよ」

稜さんは思案するように私の髪をなでて、

「ゆい。もしも…」

聞こえないくらい小さく息を吐き、額にキスしてくれた。
その先を言わないのは、多分稜さんの優しさなんだと思う。
マリカちゃんも言っていた。

いつも、私を励ましてくれた広くて温かい稜さんの腕の中。
寂しさも切なさも悲しさも、包んでくれた大きな腕。

私は一人じゃない。

稜さん、杏子師長、マリカちゃん、…
みんなが支えてくれたから翔と歩いてこれた。

だから大丈夫。
これからも、きっと大丈夫。

桜の花が満開に咲いた日、
私は翔と共に、悠馬と出会った東京を後にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

年下の彼氏には同い年の女性の方がお似合いなので、別れ話をしようと思います!

ほったげな
恋愛
私には年下の彼氏がいる。その彼氏が同い年くらいの女性と街を歩いていた。同じくらいの年の女性の方が彼には似合う。だから、私は彼に別れ話をしようと思う。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編

タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。 私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが…… 予定にはなかった大問題が起こってしまった。 本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。 15分あれば読めると思います。 この作品の続編あります♪ 『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏
恋愛
れいわ紡績に就職した新入社員、花森沙穂(はなもりさほ)は社内でも評判の鬼上司、東御八雲(とうみやくも)のサポートに配属させられる。 ドジな花森は何度も東御の前で失敗ばかり。ところが、人造人間と噂されていた東御が初めて楽しそうにしたのは花森がやらかした時で・・。 孤高の人、東御八雲はなんと間抜けフェチだった?! その上、育ちが特殊らしい雰囲気で・・。 ハイスペック超人と口だけの間抜け女子による上司と部下のラブコメ。 久しぶりにコメディ×溺愛を書きたくなりましたので、ゆるーく連載します。 会話劇ベースに、コミカル、ときどき、たっぷりと甘く深い愛のお話。 「めちゃコミック恋愛漫画原作賞」優秀作品に選んでいただきました。 ※大人ラブです。R15相当。 表紙画像はMidjourneyで生成しました。

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

処理中です...