上 下
22 / 88
1章. ゆい

machi.21

しおりを挟む
仕事を終えて帰ろうと、職員用の通用口を出たところで、
目の前に黒っぽい服装をした人物が迫ってきて、
有無を言わせず、車に引きずりこまれた。

あまりにも一瞬の出来事で、叫ぶ間もなく、
呆然としているうちに車は走り出していた。

「…手間かけさせ過ぎだろ」

「…悠馬っ⁉」

信号で止まって、運転席から振り向いたのは、黒ずくめの格好をした悠馬だった。

「な…、何して…」

こんなことが自分に起こるなんて信じられない。

拉致?
しかも、今をときめく話題の芸能人に?

現実離れしすぎて、言葉が出ない。

「…んで、かけてこないんだよ」

運転を再開して前を向いてしまったから、悠馬の表情が見えない。
でも、いらだっているような、ふてくされているような、呟き。

「…悠馬?」

「携帯! 必ず連絡させるとか言って、全然かかってこないし! あん時といい、今度といい、なんで…! …会いたかったのは、俺だけかよ」

あ…れ? あれ?

光の中でオーラをまとって輝く悠馬は、手が届かない遠い存在なのに。
なのに。どうして。
運転席でぶつぶつ言っている悠馬を普通の人みたいに感じる。
近しい、というか。

なんか、…可愛い?


「…はい」

人気のない公園の駐車場に車を停めた悠馬は、自動販売機で飲み物を買ってきてくれた。

「あ、…」

慌ててお財布を出そうとすると、

「…馬鹿」

なぜか、悠馬が切なそうな顔をして、後部座席に乗り込んできた。

途端に緊張して、悠馬の方を向けない。
手のひらに包まれた『ハチミツゆず茶』が愛しい。温かい。

「…ゆい」

この静かな空間に2人だけでいるのが、奇跡のよう。
悠馬が近い。

何度も何度も思い描いた、悠馬の姿。
悠馬の声。匂い。温かさ。

本当は、手の届かない人なのに。

呼吸するだけで、泣いてしまいそうで、目元に力を入れて瞬く。

「…結婚して、子どももいる、…んだって?」

沈黙に、悠馬の静かな声が響いた。

…え?

言われたことにピンと来なくて、緊張で隣を見れなかったことも忘れ、
目を上げて悠馬を見る。

街灯の光が反射して悠馬の瞳が揺れていた。
強くて、きれいなブラウンの瞳が、私を映して揺れていた。

「あの、眼鏡かけて、一緒に車乗ってたヤツ? ダンナ」

悠馬が皮肉めいた口調で言う。

それは多分、…絶対、結城先生だけど。
悠馬、いつ、見た?

「俺がニューヨーク行ってる間に、ゆいは大学辞めて結婚してたんだな」

なんとなく、咎めるような言い方にカチンときて、気づいたら口が勝手に動いていた。

「…結婚したのは、悠馬でしょ」

「あ? …ああ、…知ってたんだ」

悠馬が自嘲気味に言って目をそらす。

訪れた沈黙を振り切るように、

「これ、今度出す新曲。俺、本格的にバンドデビューしたんだ」

悠馬がCDを差し出す。

「…うん」

受け取ろうと手を伸ばすと、悠馬が触れそうなくらいすぐ近くにいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

年下の彼氏には同い年の女性の方がお似合いなので、別れ話をしようと思います!

ほったげな
恋愛
私には年下の彼氏がいる。その彼氏が同い年くらいの女性と街を歩いていた。同じくらいの年の女性の方が彼には似合う。だから、私は彼に別れ話をしようと思う。

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編

タニマリ
恋愛
野獣のような男と付き合い始めてから早5年。そんな彼からプロポーズをされ同棲生活を始めた。 私の仕事が忙しくて結婚式と入籍は保留になっていたのだが…… 予定にはなかった大問題が起こってしまった。 本作品はシリーズの第二弾の作品ですが、この作品だけでもお読み頂けます。 15分あれば読めると思います。 この作品の続編あります♪ 『ヤリたい男ヤラない女〜デキちゃった編』

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

鬼上司は間抜けな私がお好きです

碧井夢夏
恋愛
れいわ紡績に就職した新入社員、花森沙穂(はなもりさほ)は社内でも評判の鬼上司、東御八雲(とうみやくも)のサポートに配属させられる。 ドジな花森は何度も東御の前で失敗ばかり。ところが、人造人間と噂されていた東御が初めて楽しそうにしたのは花森がやらかした時で・・。 孤高の人、東御八雲はなんと間抜けフェチだった?! その上、育ちが特殊らしい雰囲気で・・。 ハイスペック超人と口だけの間抜け女子による上司と部下のラブコメ。 久しぶりにコメディ×溺愛を書きたくなりましたので、ゆるーく連載します。 会話劇ベースに、コミカル、ときどき、たっぷりと甘く深い愛のお話。 「めちゃコミック恋愛漫画原作賞」優秀作品に選んでいただきました。 ※大人ラブです。R15相当。 表紙画像はMidjourneyで生成しました。

好きな男子と付き合えるなら罰ゲームの嘘告白だって嬉しいです。なのにネタばらしどころか、遠恋なんて嫌だ、結婚してくれと泣かれて困惑しています。

石河 翠
恋愛
ずっと好きだったクラスメイトに告白された、高校2年生の山本めぐみ。罰ゲームによる嘘告白だったが、それを承知の上で、彼女は告白にOKを出した。好きなひとと付き合えるなら、嘘告白でも幸せだと考えたからだ。 すぐにフラれて笑いものにされると思っていたが、失恋するどころか大切にされる毎日。ところがある日、めぐみが海外に引っ越すと勘違いした相手が、別れたくない、どうか結婚してくれと突然泣きついてきて……。 なんだかんだ今の関係を最大限楽しんでいる、意外と図太いヒロインと、くそ真面目なせいで盛大に空振りしてしまっている残念イケメンなヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりhimawariinさまの作品をお借りしております。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

処理中です...