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1章. ゆい

machi.14

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仕事で同僚に厳しいことを言われたり、
翔の成長が普通と違うと言われたり、
祖父母が孫と遊んでいる様子を見かけたり、
学生時代の友人には一切連絡を取れなかったり、…

時々、どうしようもなく、寂しさが込み上げてくるときに、

彼の歌声を聴いていた。

彼が私を呼ぶ声や温もりや匂いや甘く触れられた感じは、
一生忘れないと思ったけれど、
過ぎていく時間に少しずつ遠ざけられて、
霞がかっていくのが怖かった。


悠馬は、私の前からいなくなった後、
大学にも来なくなって、
すっかり消息が分からなくなっていたけれど、

1年程前、街中でいきなり彼の声を聴いて
通りがかりの音楽ショップで
EXZイグズというバンドのメンバーとして
デビューしていたことを知った。

EXZの楽曲をダウンロードするのは、私が自分に許した数少ない贅沢の一つだった。

彼の声を聴くと、強くなれる気がした。

多くを知ると、愚かな望みを抱いてしまうから、
EXZの情報は探さなかった。

時々彼の声を聴ければ、それで良かった。

確かにあの夜、彼がそこにいた証があって、
彼が忘れていった小指のリングがあって、

それで良かった。


それなのに、どうして。

『結婚したんだって』

どうして今更、ショックを受けるんだろう。

どうして…


ゆい。
ゆい。


例えば、あまりにも大切で。

誰にも見つからないように鍵をかけて、
引き出しの奥深くに閉じ込めて、
勿体なくて開けてみることさえはばかられるような、

…そんなものが、
ある日突然、無くなった、そんな喪失感。

だけど、本当は、もともとそこには、
何もなかったのかもしれない。

ただの幻想。

私だけがしまっておいたの。
私だけが…


やばい。

と思った時にはもう遅く、涙が床に落ちていた。

仕事中にこんなところで泣くわけにいかない。
誰か、戻ってくるかも。
患者さんが、用事があるかも。
コールが鳴るかも。

奥歯を強くかみしめて、ごみを片付けて清掃を終える。

もう少し。
もう少し。

用具を片付けて、備品を入れ替え、使用済みのものをまとめる。

午前中の清掃を終えて、職員控室に戻ると、西村さんが昼食をとっていた。

「すみません、ちょっと外出てきます」

返事も待たずに、病院裏の通用口から外に出て、とたんに我慢が決壊した。

気づいた人が驚いたように振り返っても、もう涙を止めることができない。

風が痛い。
のどが痛い。
胸が痛い…

私も、「好き」って言ってもらいたかったな。

そんなどうしようもないことが頭に浮かんだ。

嘘でもいいから。
一度だけでいいから。

誰もいない真冬の公園で、ベンチの脇にしゃがみ込んで泣いた。
どうしてもどうしても、涙を止められなかった。

私は馬鹿だ。

ちゃんと分かっていて、ちゃんと出来ると思っていたのに。
何があっても大丈夫だと思っていたのに。

今更、泣くなんておかしい。

神様が気まぐれでくれた奇跡だって、
わかっているのに、泣くなんておかしい。

おかしいおかしい。

それでもどうしても、涙が止まらなかった。
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