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第二章 アルメリアでの私の日々

眠り姫と偽りと(3)

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 泣き脅しで婚約を解消しようとしたけれど、結局出来ずに何やかんやジェラルドと出会ってから一年が経とうとしていた。

 侯爵夫人に招かれて私はお兄様と一緒に初めてシモンズ侯爵邸を訪れた。
 王宮の外にあまり出ない私は、馬車の窓から見える街並みに目を奪われていた。

「お兄様、あの高い塔はなあに」

「教会の鐘の塔だね」

「へぇあれがいつも夕方の鐘を鳴らしているのね」

(お外ってもう少し怖いところだと思っていたけれど、面白そうなものがたくさんあるのね)

 レンガ造りの中心街を抜けて森の方へ馬車は進む。

「わあ」

 大きな門をくぐりぬけ、現れたのは豪勢な邸宅。道の左右には庭園が広がり、透き通った水が流れる小川がある。
 屋敷のエントランスに馬車は横付けられた。

「ようこそ侯爵邸へ」

「ご招待ありがとうございます」

 侯爵夫人と話すのはまだ苦手で、後ろに隠れてしまった私の代わりにお兄様が挨拶をする。

「さあ、案内致しますね。ジェラルドは応接室にいますので」

 王宮とはまた違い、侯爵邸で働く侍女達がじろじろと私を見てくる。囁きの内容は分からないけれど、きっと私の陰口だろうと思うときゅっと身を縮こませてしまう。

 侯爵夫人が応接室の扉を開けるとジェラルドは正面で待ち構えていた。

「これ、あげる」

 ぶっきらぼうに渡されたのは赤と黄色の花で作られた花束だった。

「わたしにくれるの?」

「君以外に誰がいるのさ」

「お兄様かと」

「あいにく同性に花を贈る趣味はないから」

 おそるおそる手を伸ばす。

 花をまとめるリボンは市販の花束よりくたりとしていて解けそうになっている。それに、彼の手には葉っぱで切ったような切り傷があった。

(もしかして……)

「わたしのために貴方が作ってくれたの?」

「僕が? まさか、そんなことしないさ。庭師が勝手に持たせたんだ」

 視えるのは恥じらいの赤色で。優しい嘘だった。

「庭師が?」

「そうだよ」

「そっか、そうなのね」

(……うそつき)

 けれども嫌いな嘘じゃない。そう、思えたから。築いていた壁をちょこっとだけ取り払ってもいいかなって。

(……ラナンキュラス)

 王宮の庭園を散歩するのが日課な私は花の名前をよく覚えていた。もちろん、花言葉も。

 即席で作ったと思われる花束だからジェラルドは花言葉まで考えてないはずだけれど……きちんと心のこもった贈り物を家族以外からもらうのは初めてだった。

 だからすぅっと花の匂いを嗅ぎながら私は小さな声で言うのだ。

「……ありがとう。とてもうれしい」

 私の狭い世界にまた一人、新しい住人が増えた瞬間だった。


 ◇◇◇


 彼はするりと私の世界に溶け込んできたから、いつ好きになったとかそういうのは分からない。ただ、自分が抱くこの感情が周りから見て「好き」という感情なのだと知ったのは、とても遅いけれど、彼と出会って四年目の夏だった。

 この頃には彼が婚約者として私にそばにいるのが当たり前のように感じていたし、将来は彼と結婚するのだろうと頭の片隅にもあった。

 誕生日を迎えた私は媚びを売るために贈ってくる貴族たちのプレゼントを脇に置いて、ジェラルドが会いに来るのを待っていると、彼はいささかぎこちない笑顔で姿を現す。

「リタ、誕生日おめでとう」

 そう言って花束と共に小さな箱を目の前に出した。促されて開けてみると中に入っていたのは小ぶりの指輪。

「侯爵家の婚約者──好きな人に代々贈る指輪なんだ」

「好き?」

 オウム返しすると彼は耳まで真っ赤になる。

「好きに決まってる」

「なんで私なんかを好きなの。だって、知っているでしょう? 周りが私のことをどう呼ぶのかを」

 ここに来て素直になれず、突き放すようなことを言うなんて、私は可愛くない最低な婚約者だ。

「リタ自身が貶すことを言うな」

 ジェラルドは怒りをあらわにする。

「何を考えているのか分かるし、そう思ってしまうのも仕方ないかもしれない。けど、僕が好きなのはリタなんだよ。目の前にいるいつも可愛くてちょっと泣き虫なリタだよ」
 
 そんなことをサラッと言うのがジェラルドで。ジェラルドだけが出来ることだ。
 彼は箱から指輪を抜き取ると強引に私の左手薬指に嵌めてしまう。

「君は僕の大切で大好きな婚約者だ」

 その言葉にぶわりと涙が溢れてしまう。

(いつも私が欲しい言葉をくれるのね)

 彼は私にとって眩しいくらいの太陽のような人だった。

 ひねくれた方向に考え、日陰に入ろうとする私を包み込み、陽の当たる場所へ連れていってくれるのだ。

「そういう君は僕のことどう思っているのさ」

 思えば、私は視えるから彼の気持ちが分かるけれど、ジェラルドは私が濁さず真っ直ぐ言わないと分からないのだ。

 共に過ごせる日は指を折って数えるくらい楽しみで、彼が笑うと私も嬉しい。手を繋いだり、愛称を呼ばれるのはもっと嬉しい。

 この温かな感情をどう表現すればいいだろうか。ジェラルドだけがくれる感情を。
 説明するには私の語彙力では無理そうだった。
 
(ああでもこれだけは伝えなきゃ)

「私も貴方のこと大好きよ。本当に好き」

 泣きながら愛を告げる。

「だからずっと一緒にいてね。私、貴方じゃないとダメみたいなの」

 そう、私から願ったのに。自分の意志で彼の手を離すのを、まだ、この時の私は知らないのだ。
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