74 / 84
第二章 アルメリアでの私の日々
眠り姫と偽りと(3)
しおりを挟む
泣き脅しで婚約を解消しようとしたけれど、結局出来ずに何やかんやジェラルドと出会ってから一年が経とうとしていた。
侯爵夫人に招かれて私はお兄様と一緒に初めてシモンズ侯爵邸を訪れた。
王宮の外にあまり出ない私は、馬車の窓から見える街並みに目を奪われていた。
「お兄様、あの高い塔はなあに」
「教会の鐘の塔だね」
「へぇあれがいつも夕方の鐘を鳴らしているのね」
(お外ってもう少し怖いところだと思っていたけれど、面白そうなものがたくさんあるのね)
レンガ造りの中心街を抜けて森の方へ馬車は進む。
「わあ」
大きな門をくぐりぬけ、現れたのは豪勢な邸宅。道の左右には庭園が広がり、透き通った水が流れる小川がある。
屋敷のエントランスに馬車は横付けられた。
「ようこそ侯爵邸へ」
「ご招待ありがとうございます」
侯爵夫人と話すのはまだ苦手で、後ろに隠れてしまった私の代わりにお兄様が挨拶をする。
「さあ、案内致しますね。ジェラルドは応接室にいますので」
王宮とはまた違い、侯爵邸で働く侍女達がじろじろと私を見てくる。囁きの内容は分からないけれど、きっと私の陰口だろうと思うときゅっと身を縮こませてしまう。
侯爵夫人が応接室の扉を開けるとジェラルドは正面で待ち構えていた。
「これ、あげる」
ぶっきらぼうに渡されたのは赤と黄色の花で作られた花束だった。
「わたしにくれるの?」
「君以外に誰がいるのさ」
「お兄様かと」
「あいにく同性に花を贈る趣味はないから」
おそるおそる手を伸ばす。
花をまとめるリボンは市販の花束よりくたりとしていて解けそうになっている。それに、彼の手には葉っぱで切ったような切り傷があった。
(もしかして……)
「わたしのために貴方が作ってくれたの?」
「僕が? まさか、そんなことしないさ。庭師が勝手に持たせたんだ」
視えるのは恥じらいの赤色で。優しい嘘だった。
「庭師が?」
「そうだよ」
「そっか、そうなのね」
(……うそつき)
けれども嫌いな嘘じゃない。そう、思えたから。築いていた壁をちょこっとだけ取り払ってもいいかなって。
(……ラナンキュラス)
王宮の庭園を散歩するのが日課な私は花の名前をよく覚えていた。もちろん、花言葉も。
即席で作ったと思われる花束だからジェラルドは花言葉まで考えてないはずだけれど……きちんと心のこもった贈り物を家族以外からもらうのは初めてだった。
だからすぅっと花の匂いを嗅ぎながら私は小さな声で言うのだ。
「……ありがとう。とてもうれしい」
私の狭い世界にまた一人、新しい住人が増えた瞬間だった。
◇◇◇
彼はするりと私の世界に溶け込んできたから、いつ好きになったとかそういうのは分からない。ただ、自分が抱くこの感情が周りから見て「好き」という感情なのだと知ったのは、とても遅いけれど、彼と出会って四年目の夏だった。
この頃には彼が婚約者として私にそばにいるのが当たり前のように感じていたし、将来は彼と結婚するのだろうと頭の片隅にもあった。
誕生日を迎えた私は媚びを売るために贈ってくる貴族たちのプレゼントを脇に置いて、ジェラルドが会いに来るのを待っていると、彼はいささかぎこちない笑顔で姿を現す。
「リタ、誕生日おめでとう」
そう言って花束と共に小さな箱を目の前に出した。促されて開けてみると中に入っていたのは小ぶりの指輪。
「侯爵家の婚約者──好きな人に代々贈る指輪なんだ」
「好き?」
オウム返しすると彼は耳まで真っ赤になる。
「好きに決まってる」
「なんで私なんかを好きなの。だって、知っているでしょう? 周りが私のことをどう呼ぶのかを」
ここに来て素直になれず、突き放すようなことを言うなんて、私は可愛くない最低な婚約者だ。
「リタ自身が貶すことを言うな」
ジェラルドは怒りをあらわにする。
「何を考えているのか分かるし、そう思ってしまうのも仕方ないかもしれない。けど、僕が好きなのはリタなんだよ。目の前にいるいつも可愛くてちょっと泣き虫なリタだよ」
そんなことをサラッと言うのがジェラルドで。ジェラルドだけが出来ることだ。
彼は箱から指輪を抜き取ると強引に私の左手薬指に嵌めてしまう。
「君は僕の大切で大好きな婚約者だ」
その言葉にぶわりと涙が溢れてしまう。
(いつも私が欲しい言葉をくれるのね)
彼は私にとって眩しいくらいの太陽のような人だった。
ひねくれた方向に考え、日陰に入ろうとする私を包み込み、陽の当たる場所へ連れていってくれるのだ。
「そういう君は僕のことどう思っているのさ」
思えば、私は視えるから彼の気持ちが分かるけれど、ジェラルドは私が濁さず真っ直ぐ言わないと分からないのだ。
共に過ごせる日は指を折って数えるくらい楽しみで、彼が笑うと私も嬉しい。手を繋いだり、愛称を呼ばれるのはもっと嬉しい。
この温かな感情をどう表現すればいいだろうか。ジェラルドだけがくれる感情を。
説明するには私の語彙力では無理そうだった。
(ああでもこれだけは伝えなきゃ)
「私も貴方のこと大好きよ。本当に好き」
泣きながら愛を告げる。
「だからずっと一緒にいてね。私、貴方じゃないとダメみたいなの」
そう、私から願ったのに。自分の意志で彼の手を離すのを、まだ、この時の私は知らないのだ。
侯爵夫人に招かれて私はお兄様と一緒に初めてシモンズ侯爵邸を訪れた。
王宮の外にあまり出ない私は、馬車の窓から見える街並みに目を奪われていた。
「お兄様、あの高い塔はなあに」
「教会の鐘の塔だね」
「へぇあれがいつも夕方の鐘を鳴らしているのね」
(お外ってもう少し怖いところだと思っていたけれど、面白そうなものがたくさんあるのね)
レンガ造りの中心街を抜けて森の方へ馬車は進む。
「わあ」
大きな門をくぐりぬけ、現れたのは豪勢な邸宅。道の左右には庭園が広がり、透き通った水が流れる小川がある。
屋敷のエントランスに馬車は横付けられた。
「ようこそ侯爵邸へ」
「ご招待ありがとうございます」
侯爵夫人と話すのはまだ苦手で、後ろに隠れてしまった私の代わりにお兄様が挨拶をする。
「さあ、案内致しますね。ジェラルドは応接室にいますので」
王宮とはまた違い、侯爵邸で働く侍女達がじろじろと私を見てくる。囁きの内容は分からないけれど、きっと私の陰口だろうと思うときゅっと身を縮こませてしまう。
侯爵夫人が応接室の扉を開けるとジェラルドは正面で待ち構えていた。
「これ、あげる」
ぶっきらぼうに渡されたのは赤と黄色の花で作られた花束だった。
「わたしにくれるの?」
「君以外に誰がいるのさ」
「お兄様かと」
「あいにく同性に花を贈る趣味はないから」
おそるおそる手を伸ばす。
花をまとめるリボンは市販の花束よりくたりとしていて解けそうになっている。それに、彼の手には葉っぱで切ったような切り傷があった。
(もしかして……)
「わたしのために貴方が作ってくれたの?」
「僕が? まさか、そんなことしないさ。庭師が勝手に持たせたんだ」
視えるのは恥じらいの赤色で。優しい嘘だった。
「庭師が?」
「そうだよ」
「そっか、そうなのね」
(……うそつき)
けれども嫌いな嘘じゃない。そう、思えたから。築いていた壁をちょこっとだけ取り払ってもいいかなって。
(……ラナンキュラス)
王宮の庭園を散歩するのが日課な私は花の名前をよく覚えていた。もちろん、花言葉も。
即席で作ったと思われる花束だからジェラルドは花言葉まで考えてないはずだけれど……きちんと心のこもった贈り物を家族以外からもらうのは初めてだった。
だからすぅっと花の匂いを嗅ぎながら私は小さな声で言うのだ。
「……ありがとう。とてもうれしい」
私の狭い世界にまた一人、新しい住人が増えた瞬間だった。
◇◇◇
彼はするりと私の世界に溶け込んできたから、いつ好きになったとかそういうのは分からない。ただ、自分が抱くこの感情が周りから見て「好き」という感情なのだと知ったのは、とても遅いけれど、彼と出会って四年目の夏だった。
この頃には彼が婚約者として私にそばにいるのが当たり前のように感じていたし、将来は彼と結婚するのだろうと頭の片隅にもあった。
誕生日を迎えた私は媚びを売るために贈ってくる貴族たちのプレゼントを脇に置いて、ジェラルドが会いに来るのを待っていると、彼はいささかぎこちない笑顔で姿を現す。
「リタ、誕生日おめでとう」
そう言って花束と共に小さな箱を目の前に出した。促されて開けてみると中に入っていたのは小ぶりの指輪。
「侯爵家の婚約者──好きな人に代々贈る指輪なんだ」
「好き?」
オウム返しすると彼は耳まで真っ赤になる。
「好きに決まってる」
「なんで私なんかを好きなの。だって、知っているでしょう? 周りが私のことをどう呼ぶのかを」
ここに来て素直になれず、突き放すようなことを言うなんて、私は可愛くない最低な婚約者だ。
「リタ自身が貶すことを言うな」
ジェラルドは怒りをあらわにする。
「何を考えているのか分かるし、そう思ってしまうのも仕方ないかもしれない。けど、僕が好きなのはリタなんだよ。目の前にいるいつも可愛くてちょっと泣き虫なリタだよ」
そんなことをサラッと言うのがジェラルドで。ジェラルドだけが出来ることだ。
彼は箱から指輪を抜き取ると強引に私の左手薬指に嵌めてしまう。
「君は僕の大切で大好きな婚約者だ」
その言葉にぶわりと涙が溢れてしまう。
(いつも私が欲しい言葉をくれるのね)
彼は私にとって眩しいくらいの太陽のような人だった。
ひねくれた方向に考え、日陰に入ろうとする私を包み込み、陽の当たる場所へ連れていってくれるのだ。
「そういう君は僕のことどう思っているのさ」
思えば、私は視えるから彼の気持ちが分かるけれど、ジェラルドは私が濁さず真っ直ぐ言わないと分からないのだ。
共に過ごせる日は指を折って数えるくらい楽しみで、彼が笑うと私も嬉しい。手を繋いだり、愛称を呼ばれるのはもっと嬉しい。
この温かな感情をどう表現すればいいだろうか。ジェラルドだけがくれる感情を。
説明するには私の語彙力では無理そうだった。
(ああでもこれだけは伝えなきゃ)
「私も貴方のこと大好きよ。本当に好き」
泣きながら愛を告げる。
「だからずっと一緒にいてね。私、貴方じゃないとダメみたいなの」
そう、私から願ったのに。自分の意志で彼の手を離すのを、まだ、この時の私は知らないのだ。
4
お気に入りに追加
3,300
あなたにおすすめの小説
私は貴方に堕ちている
夕香里
恋愛
婚約者が自分のことをどうでもいい存在だと思っている。と勘違いしたシャーロットと婚約者の前になると笑えない不器用なエドヴィンのすれ違いの話。
前編・中編・後編の計3話で終わります。
※ふと思いついたまま書き起こしたものなので、設定・文の構成が甘いです。ご容赦ください。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
公爵令嬢ディアセーラの旦那様
cyaru
恋愛
パッと見は冴えないブロスカキ公爵家の令嬢ディアセーラ。
そんなディアセーラの事が本当は病むほどに好きな王太子のベネディクトだが、ディアセーラの気をひきたいがために執務を丸投げし「今月の恋人」と呼ばれる令嬢を月替わりで隣に侍らせる。
色事と怠慢の度が過ぎるベネディクトとディアセーラが言い争うのは日常茶飯事だった。
出来の悪い王太子に王宮で働く者達も辟易していたある日、ベネディクトはディアセーラを突き飛ばし婚約破棄を告げてしまった。
「しかと承りました」と応えたディアセーラ。
婚約破棄を告げる場面で突き飛ばされたディアセーラを受け止める形で一緒に転がってしまったペルセス。偶然居合わせ、とばっちりで巻き込まれただけのリーフ子爵家のペルセスだが婚約破棄の上、下賜するとも取れる発言をこれ幸いとブロスカキ公爵からディアセーラとの婚姻を打診されてしまう。
中央ではなく自然豊かな地方で開拓から始めたい夢を持っていたディアセーラ。当初は困惑するがペルセスもそれまで「氷の令嬢」と呼ばれ次期王妃と言われていたディアセーラの知らなかった一面に段々と惹かれていく。
一方ベネディクトは本当に登城しなくなったディアセーラに会うため公爵家に行くが門前払いされ、手紙すら受け取って貰えなくなった。焦り始めたベネディクトはペルセスを罪人として投獄してしまうが…。
シリアスっぽく見える気がしますが、コメディに近いです。
痛い記述があるのでR指定しました。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
妻と夫と元妻と
キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では?
わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。
数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。
しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。
そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。
まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。
なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。
そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて………
相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。
不治の誤字脱字病患者の作品です。
作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。
性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。
小説家になろうさんでも投稿します。
夫に離縁が切り出せません
えんどう
恋愛
初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。
妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。
断罪イベント? よろしい、受けて立ちましょう!
寿司
恋愛
イリア=クリミアはある日突然前世の記憶を取り戻す。前世の自分は入江百合香(いりえ ゆりか)という日本人で、ここは乙女ゲームの世界で、私は悪役令嬢で、そしてイリア=クリミアは1/1に起きる断罪イベントで死んでしまうということを!
記憶を取り戻すのが遅かったイリアに残された時間は2週間もない。
そんなイリアが生き残るための唯一の手段は、婚約者エドワードと、妹エミリアの浮気の証拠を掴み、逆断罪イベントを起こすこと!?
ひょんなことから出会い、自分を手助けしてくれる謎の美青年ロキに振り回されたりドキドキさせられながらも死の運命を回避するため奔走する!
◆◆
第12回恋愛小説大賞にエントリーしてます。よろしくお願い致します。
◆◆
本編はざまぁ:恋愛=7:3ぐらいになっています。
エンディング後は恋愛要素を増し増しにした物語を更新していきます。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる