上 下
39 / 84
第二章 アルメリアでの私の日々

絡んで縺れる赤い糸(1)

しおりを挟む
「分からない。本当に分からない……」

 ブツブツと呪言のようにそれだけをジェラルド様は呟く。それは夜、暗闇の中に聞こえてきそうな亡霊の囁きのようで、止めないと今日の夢に彼が出てきて魘されそうだ。

「つかぬ事を伺いしますが、ジェラルド様はマーガレット王女殿下のことをどう思っていらっしゃるのですか?」

 『──現時点ではね』と不穏な言葉を残して去っていったマーガレット王女。もしかして二人の婚約は政略の中でも無理矢理なのだろうか。ならば、あれほど嫌っているのも少しは理解できるけれど。

「──政略、ではあるが私はマーガレットのことが好きだよ。世界でいちばん可愛い。婚約者以上に可愛い令嬢は見たことがない」

「惚気か」

 すかさずアレクシス殿下が突っ込む。

「事実だ。私の中ではそうなんだよ」

 嘘偽りには見えない。想いは本当のようで、朗らかにジェラルド様は私に婚約等の経緯を教えてくれた。

 ジェラルド様がマーガレット王女と婚約したのは一歳にも満たない赤子の頃。どうしてそんな早くに両家によって結ばれたのかと言うと、マーガレット王女の出生がやはり関わっていたのだとアレクシス殿下から補足が入る。

「不吉だとされる妹が適齢期になった時、貰い手がいない状況になるのを母上が心配したんだ」

 令嬢は子息よりも結婚にシビアだ。適齢期と呼ばれる年齢の間に結婚しなければ、行き遅れと死ぬまで後ろ指を指される。

 本来王女という身分は引く手あまただろうに、マーガレット王女の場合は双子に赤い眼がその価値を地の底まで下げていた。

 貴族は昔からの言い伝えを信じる者が特に多い。仮に婚約の申し込みが来ても、それは王女の降嫁で得る一時の利益のみが欲しいだけ。まともな嫁ぎ先にはならないだろう。

 娘には幸せになって欲しい。そう思うならば、そんなところには嫁がせられない。

「それで母上が信用し、王家に嫁ぐ前から親交があったシモンズ侯爵家に打診したんだ。ちょうど嫡男であるジェラルドが数ヶ月前に産まれていたから年齢的にも釣り合うと」

「それでは初めて会ったのは赤子のときですか?」

「ううん、私がマーガレットと顔合わせをしたのは六歳のとき。それまで王家の姫は隠されるように育てられていて、外見の噂以外の情報は無し。公式行事はアレクシスと一緒に不参加だった」

「マーガレットだけ欠席するより、私も欠席すれば悪意のある噂は立ちにくくなるからね。表……だけだけど」

 きっとまだ小さかったマーガレット王女を周りから守るためだろう。

「婚約者がいるのだと両親から伝えられたのはそれよりも前。物心ついた……頃かな? 聞いた時、両親の敷いたレールを歩くようで私は癇癪を起こしたんだ。恥ずかしいけど、幼子なりに自分が選んだ女の子と一緒になりたかったから」

「随分と夢見がちだ。貴族に生まれたのならば不可能なのに」

「うるさいぞアレクシス」

 ジェラルド様はアレクシス殿下を睨みつけた。

「一部の子息たちには、お前は可哀想だ。婚約を破棄してしまえ、とか何も知らないのに彼女の噂だけで私に哀れみの目を向けて来て……嫌で嫌で仕方なかった」

(会う前から周りにあれこれ言われるのは私も嫌だわ)

「それに反して、アレクシスからは妹を頼むぞと散々お願いされた。両親、アレクシス、恐れ多いことに王妃殿下にまで……たった六歳の私にだよ?」

 ジェラルド様は肩を竦ませ、降参だとばかりな仕草をした。

「鬱陶しいほど同じことを言われると、それと反対のことをしたくなるのが人間の性。だから初めて対面する時、馬鹿だった私は意地悪して婚約を白紙に戻してやろうと玩具の蛇をこっそりポケットに忍び込ませた」

 行おうとしていることが完全にあれだ。好きな子に意地悪したくなるというやつ。この場合はまだ出会ってないから違うけれど。

「だけど、不安そうにアレクシスと手を繋いで王妃殿下の後ろに隠れるマーガレットを見たら、悪戯なんて忘れてしまって……」

 恥ずかしそうに頭を搔く。

「王妃殿下に促され、おずおずと伸びてきた陶器のような白い手。〝こんにちは〟とそのぷっくり張りのある赤い唇から紡ぎ出された言葉。不吉だと言われていた燃えるような瞳は宝石のようで。その一挙一動に、目を奪われた。良い意味で視線を外せなかった」

「私も覚えているよ。君の間抜けな顔を見たのは、後にも先にもあの時だけだ。マーガレットは少し怖がってたけど。視線が外れなくて気持ち悪いって」

 揶揄うようにジェラルド様の脇をつつく。

「私も後々言われた。最初の印象は変な人で、婚約を白紙に戻してもらおうと陛下に泣き縋ったらしいし……」

 相手にそれを言えるということは仲は良好だったのだろう。となるとやっぱり、あそこまでマーガレット王女が嫌悪感を示した理由が付かない。

「そういうのもあって最初の頃はマーガレットも私のことを警戒して表情が固かった。話しかけても、強ばった顔で当たり障りのない返答が返ってくるだけ」

 だけどね、とジェラルド様は続ける。

「何度か交流するうちに打ち解けてきたのか、出会って一年後くらいかな? 彼女と視線が合った時──始めて花開くようなあどけない笑顔が目に映って、胸が高鳴ったんだ」

 〝好き〟という感情が伝わってくる。一点の曇りもない純愛がそこにはあって、とても、眩しかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は貴方に堕ちている

夕香里
恋愛
婚約者が自分のことをどうでもいい存在だと思っている。と勘違いしたシャーロットと婚約者の前になると笑えない不器用なエドヴィンのすれ違いの話。 前編・中編・後編の計3話で終わります。 ※ふと思いついたまま書き起こしたものなので、設定・文の構成が甘いです。ご容赦ください。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

公爵令嬢ディアセーラの旦那様

cyaru
恋愛
パッと見は冴えないブロスカキ公爵家の令嬢ディアセーラ。 そんなディアセーラの事が本当は病むほどに好きな王太子のベネディクトだが、ディアセーラの気をひきたいがために執務を丸投げし「今月の恋人」と呼ばれる令嬢を月替わりで隣に侍らせる。 色事と怠慢の度が過ぎるベネディクトとディアセーラが言い争うのは日常茶飯事だった。 出来の悪い王太子に王宮で働く者達も辟易していたある日、ベネディクトはディアセーラを突き飛ばし婚約破棄を告げてしまった。 「しかと承りました」と応えたディアセーラ。 婚約破棄を告げる場面で突き飛ばされたディアセーラを受け止める形で一緒に転がってしまったペルセス。偶然居合わせ、とばっちりで巻き込まれただけのリーフ子爵家のペルセスだが婚約破棄の上、下賜するとも取れる発言をこれ幸いとブロスカキ公爵からディアセーラとの婚姻を打診されてしまう。 中央ではなく自然豊かな地方で開拓から始めたい夢を持っていたディアセーラ。当初は困惑するがペルセスもそれまで「氷の令嬢」と呼ばれ次期王妃と言われていたディアセーラの知らなかった一面に段々と惹かれていく。 一方ベネディクトは本当に登城しなくなったディアセーラに会うため公爵家に行くが門前払いされ、手紙すら受け取って貰えなくなった。焦り始めたベネディクトはペルセスを罪人として投獄してしまうが…。 シリアスっぽく見える気がしますが、コメディに近いです。 痛い記述があるのでR指定しました。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

断罪イベント? よろしい、受けて立ちましょう!

寿司
恋愛
イリア=クリミアはある日突然前世の記憶を取り戻す。前世の自分は入江百合香(いりえ ゆりか)という日本人で、ここは乙女ゲームの世界で、私は悪役令嬢で、そしてイリア=クリミアは1/1に起きる断罪イベントで死んでしまうということを! 記憶を取り戻すのが遅かったイリアに残された時間は2週間もない。 そんなイリアが生き残るための唯一の手段は、婚約者エドワードと、妹エミリアの浮気の証拠を掴み、逆断罪イベントを起こすこと!? ひょんなことから出会い、自分を手助けしてくれる謎の美青年ロキに振り回されたりドキドキさせられながらも死の運命を回避するため奔走する! ◆◆ 第12回恋愛小説大賞にエントリーしてます。よろしくお願い致します。 ◆◆ 本編はざまぁ:恋愛=7:3ぐらいになっています。 エンディング後は恋愛要素を増し増しにした物語を更新していきます。

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

処理中です...