46 / 92
彼女の今世
閑話 セシル・アリリエットⅢ
しおりを挟む「皇帝陛下にご挨拶を申し上げます」
視界がぼやける中、正面に座っていた人物にカーテシーをする。
「──いらぬ」
「え?」
「挨拶などいらないと言っている」
視線を合わせようともせずに、そっぽを向いていた陛下はそう言った。
零れ落ちそうになっていた涙が引っ込む。
「……まずは対面すればよかろう」
指し示す先は──帳が降ろされた質素で小さい寝台。
覚束無い足取りで近づく。
……ねえお姉様。私、お姉様に謝りたいことが沢山あるの。許してくれなくてもいいわ。根負けして許してもらえるまで、謝り続けるから。
ううん、恨まれててもいいわ。ただ話したいことがたっくさんあるの。仲良くなりたいの。微笑みかけて欲しいの。セシルと呼んで欲しいの。私もお姉様をリーティアお姉様と呼びたいの。だから……カーテンを開けたら────
暴きたくない、まだ信じていたい。震える手でゆっくり左右に動かす。
感じていた冷気がより一層強くなる。
(ああ、ダメだ。もう……)
氷を纏い、花が優雅に咲いている1人の女性が眠っている。
誰も寄せ付けない。全ての人間を拒絶するように、氷は厚かった。
崩れ落ちそうなのをどうにか耐える。見間違えであって欲しいけれど、そんなことがあるはずもなく、紛れもない亡骸。
冷たい液体が瞳から溢れ、口元を押さえても嗚咽が漏れる。
「セシルこちらに来なさい」
陛下の正面に座っていたお父様は静かに私を呼んだ。
「お父様────お姉様の病名は?」
顔を顰めたままのお父様の隣に座り、一番気になっていたことを尋ねると、お父様はますます眉間に皺を寄せた。
「それは陛下がお答えしてくれるだろう。そうですよね」
冷ややかな声色。いつも陛下に尋ねる時とうって変わり、その声は言葉で人を刺すような感じだった。
それはまるで──愛する娘を殺されたかのような憎悪を伴って。
私は驚いた。
これまで、リーティアお姉様に関係することは教育以外無関心だったはずなのに。それがまるで嘘だったかのような豹変ぶりだ。今さら愛情が湧いてきているのだろうか?
「────だ」
「今なんと?」
熱が冷める。掠れた声が口から漏れて、頭が真っ白になった。
「……栄養失調が医師の見解だ」
バツが悪そうに、床を見ながら陛下は二度目を告げた。
まるで自分のせいではないと言わんばかりの態度。
全身の血が頭に昇る。怒りで手が震える。
──ふざけるな! 貴方のせいでお姉様は!
私は勢いよく立ち上がった。咄嗟に、いや、感情に任せてテーブルに置かれていた紅茶を陛下の頭にかけていた。
「ふざけないで頂けます? 皇族が栄養失調とは何の冗談でしょうか。面白いと誰が思いますか? もっとましな嘘は付けないのですか? タチが悪すぎますよ陛下!」
紅茶は冷めていたようで、陛下は熱さを感じていないようだ。だが、何も言わない。微動だにせず、床を見つめている。頭からはぽたぽたと赤色の紅茶が垂れていた。
それが私をもっとイラつかせるには十分で、怒りが収まることはなかった。
この国の中で一番食料が潤沢にあり、食糧難に困ることも無いはずの宮殿。今年は何処も飢饉等なく、市井でも、農村地帯でも、食糧不足とは聞いていない。それなのに、栄養失調だと? 夢物語にもならないくらい、ありえない話だ。
この話だけでお姉様がどうこの宮の中で過ごしていたのが嫌というほど分かる。要は使い捨て同然の扱いを受けていたのだ。
替えのきく、優秀な〝機械〟として、居たら便利、居なくても少し不便だが物事を回せるような存在として。
──外から見たら豪華絢爛、市井の者にとって憧れの宮殿は、彼女を気にかける者がいない地獄に作り変わっていたのだ。
栄養失調ということは、食事がまともに取れていなかったのだろう。下の者は上の者が怖くて、普通は生死に関わる嫌がらせができるはずがない。つまり、上が冷遇していた。だから給仕等も食事を取らせないように出来たのだ。
皇妃であるお姉様よりも上の地位には2人しかいない。
そう、あの気に食わないレリーナとかいう皇后と目の前にいるアルバート陛下。
今、目の前にいる陛下に対しても紅茶をぶっかけるだけでは許せないが、この場にレリーナがいたら頬を叩いていただろう。それぐらい、いや、もっと憎かった。
悲劇は──あの人が全ての元凶だ。にこにこと何もせずに、ただ宮殿に居座っているとしか思えない。そんな聖女とかいう下々の者には実態がわからない存在のせいで、お姉様は……! 儚く旅立って逝ってしまった。
「セシルやめなさい。陛下のお顔に紅茶をかけるなんて──」
「いいえやめません! こいつが殺したも同然ですもの! 紅茶を被るのは当然の報いです。人殺し! お姉様を、リーティア・アリリエットというひとりの罪もない人間を、殺した愚帝。返してください。お姉様を返せっ!」
陛下を指し、胸ぐらを掴み、正面から睨みつける。
不敬罪で捕らわれてもいい。湧き上がってくる感情を全てぶつけてしまいたかった。
「セシルっ!」
悲鳴のような声がかかる。お父様は何をやっているんだと私を見ていた。
それでも止めない。止まらない。激情が己を突き動かす。
なのに、陛下の瞳は凪いでいる。深く、闇の中に沈みこみながら。
「なにか……仰ったらどうですか。たとえばこんなことをしでかしている私を捕らえろと、外の騎士に言えばいいのでは?!」
感情を見せて欲しかった。不敬に怒るでも、お姉様の死に悲しむでも、こんなことになるはずではなかったと言い訳をするのでも。
大声を出している私の声は外まで聞こえているはずなのに、誰も入ってこないのもおかしな話だ。
「なにも……言うことはない。これが現実だ。そして事実だ」
罵声や罵倒でも、全てを受け止める覚悟なのか抵抗をしない。
「ふざけるな、これが現実? 愚者が……逃げるな! 陛下が招いた結果でしょう?」
言葉使いが荒くなる。陛下のシャツを強く握りしめすぎて、手が白くなっていた。
「……ああそうだ。 私が招いた結果だ! これで満足か?!」
ようやく、声を張り上げて、荒げて、叫ぶように陛下は言った。
「わかっている! 公爵とセシル嬢に言われるよりも!!! 私がリーティアを殺したんだと! 文官達からも言われた! わたしは……!」
大きな音を立てて陛下の拳がテーブルに当たる。その反動で置かれていた他のティーカップとポットが、床に落ちて割れた。
「──今更後悔しているのですか?」
感情に任せて振り下ろされた拳と零れるローズティーを見ていると、身体の中から湧き上がっていたものが冷めて、冷静さが戻ってくる。
「後悔……? そんなものではないな。いや、していたが……自分には権利がないだろう」
「では何なのですか? 自分が招いた結果だとは認めたくないようですので」
痛いところを突かれたかのように鋭く睨まれる。私はそれに気がつかないふりをして、カップの破片を手に取った。お父様は何も言わない。ただじっと座って動かない。
──ああ、嫌だ。自分自身も、今ここにいる陛下とお父様も。
「陛下も陛下ですが、お父様もお父様ですよね」
破片を拾い続けながら話し始める。
「……どういうことだ」
困惑と怒りを滲ませながら。お父様も私を睨みつけてきた。
それを見て、自分の感情とは裏腹に口角が上がる。
私が怒っているのは陛下だけではない。両親にだって言いたいことがある。だからお父様の方を振り返った。後がどうなってもいい。ここで全部言わせてもらう。
「私は貴方も許せない。今頃親のような顔をして……お父様はお姉様の何者ですか? どんな人なのですか? 結局は機械のように扱っていたでしょう? それなのに、〝どういうことだ〟と言える神経、とおっっっても尊敬できます」
人に何か言える立場ではないが抑えられなかった。お姉様からしたら、私の存在も恨み、憎む対象だろうに。
娘から言われた嫌味を含んだ残酷な言葉に、お父様は口が聞けないようだった。これ幸いにと私は捲し立てる。
「いつもいつもいつも、お父様はキツい言葉をかけるだけ! お姉様を褒めたことがありますか? 私に言ってくれたように愛していると伝えたことは?」
「それ……は……」
言い返してこない。それが答えだ。
──馬鹿馬鹿しい。
「言ったことないですよね? だって私聞いたことないですもの。親なのに、親らしいことを何もせず、死んでから自分の可愛い、大切な、娘扱いしているとお姉様が知ったらどう思いますかね。可笑しくて笑ってしまわれるのでは?」
「…………」
「誰でしたっけ。リーティアは陛下を慕ってはいないと言った人は」
追い討ちをかけることにした。今、一番刺さるであろうこと。
「わたし……だが、それは事実だろう?」
「──言わせてもらいますが、それ、誤解ですよ」
憔悴しきっていたお父様の目が見開かれ、絶望が浮かぶ。
「お姉様は、レリーナが現れるまでは確実にアルバート陛下のことを慕っていました。それに気が付かないなんて……お父様よりもお姉様と会えなかった私でも知っていたのに……親として失格なのでは?」
「嘘だ。だってそんなことあの子は一言も」
頭を抱え、酷く狼狽している。己の選択は間違っていたのかと後悔しても遅い。とても遅すぎる。一体今まで何をやってきていたんだろうか。多分何もしてきてないのだろう。だからこういう結果になっているのだ。
私と違って権力を持ち、多少ならばアルバート陛下にも対抗出来るカードは持ち合わせていたはずなのに。
お姉様というひとりの娘を、まともに見ていなかったのは誰であったのか。
縋るような、嘘だと──冗談だと言って欲しいかのような表情に、優しく返せるほど私は完璧な淑女ではない。
「言えるはずがないでしょう。口を開けば完璧な淑女になれと言ってくる人に。家族だと──思えないような相手に」
脆くなったところにもう一度刃を向ければ、いとも簡単にお父様は切り崩される。
脆い。脆すぎる。
ここは形式的でも言い返す場面ではないのか? それがお姉様を蔑ろにしてきた愚かな父親の姿なのではないだろうか。
絆さえなかったようなものだ。愛情を貰えず、信頼なんて生まれるはずもなく、本音を言える環境ではなかった公爵家。
お姉様にとって地獄のような所だったはず。たとえ地獄でなかったとしても、落ち着けて安らげる場所ではない。
冷たい床に座り込んだお父様とアルバート陛下の拳から滴る鮮血を見ながら、私は未だ燻る焔をどうするか考えていた。
100
お気に入りに追加
4,080
あなたにおすすめの小説
旦那様に離縁をつきつけたら
cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。
仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。
突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。
我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。
※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。
※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
あなたへの想いを終わりにします
四折 柊
恋愛
シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)
かわいそうな旦那様‥
みるみる
恋愛
侯爵令嬢リリアのもとに、公爵家の長男テオから婚約の申し込みがありました。ですが、テオはある未亡人に惚れ込んでいて、まだ若くて性的魅力のかけらもないリリアには、本当は全く異性として興味を持っていなかったのです。
そんなテオに、リリアはある提案をしました。
「‥白い結婚のまま、三年後に私と離縁して下さい。」
テオはその提案を承諾しました。
そんな二人の結婚生活は‥‥。
※題名の「かわいそうな旦那様」については、客観的に見ていると、この旦那のどこが?となると思いますが、主人公の旦那に対する皮肉的な意味も込めて、あえてこの題名にしました。
※小説家になろうにも投稿中
※本編完結しましたが、補足したい話がある為番外編を少しだけ投稿しますm(_ _)m
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
ゼラニウムの花束をあなたに
ごろごろみかん。
恋愛
リリネリア・ブライシフィックは八歳のあの日に死んだ。死んだこととされたのだ。リリネリアであった彼女はあの絶望を忘れはしない。
じわじわと壊れていったリリネリアはある日、自身の元婚約者だった王太子レジナルド・リームヴと再会した。
レジナルドは少し前に隣国の王女を娶ったと聞く。だけどもうリリネリアには何も関係の無い話だ。何もかもがどうでもいい。リリネリアは何も期待していない。誰にも、何にも。
二人は知らない。
国王夫妻と公爵夫妻が、良かれと思ってしたことがリリネリアを追い詰めたことに。レジナルドを絶望させたことを、彼らは知らない。
彼らが偶然再会したのは運命のいたずらなのか、ただ単純に偶然なのか。だけどリリネリアは何一つ望んでいなかったし、レジナルドは何一つ知らなかった。ただそれだけなのである。
※タイトル変更しました
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる