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第2章
26 緊張と憂鬱と
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エヴェリは椅子に腰掛けながら、鏡の前でため息をついた。彼女の背後にはエルゼが立っていて、丹念にエヴェリの金髪を結い上げていた。今は髪の飾りとして何処に花を挿すかで延々と悩んでいて、たまに悩む声が漏れ出ていた。
鏡に映る自分の身を包むのは、最高級の生地と王都一の腕前を持つクラーラの最高傑作だ。作成に費やせた時間は少なかったはずだが、それを感じさせることのないほど意匠に凝っていた。
エヴェリの陶磁器のように白い肌と蜂蜜色の髪の美しさを引き立たせる、淡いアイスブルーのドレスは端によるほど波打っていて、細かい刺繍があちらこちらに散りばめられている。ドレスに併せて作られた手袋をはめ、大きく開いた胸元を飾る首飾りをそっと触れる。
(とうとう当日が来てしまいました)
やれることはやった。死ぬ気で練習したおかげでお相手の足を踏むようなこともなくなったし、ダンスのステップは体に叩き込むことができたので、最初のダンスは乗り切れるだろう。けれども。
鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。
舞踏会が近づくにつれ、エヴェリの心には憂鬱な影が差していた。
(セルゲイさまは『何もしなくていい。隣に居てくれれば後は全てどうにかする』と事ある毎に伝えて下さりますが、予想外のことはよく起こりますし……私のせいでセルゲイさまの負担が増えることは申し訳ないです)
避けて通れない運命であるが、エヴェリは貴族の駆け引きなんて分からない。
セルゲイが舞踏会終了までエヴェリの隣に居てくれる保証なんてないし、一人になるタイミングもあるだろう。そうなった時に、エヴェリは果たして狡猾な者が多い貴族の面々と渡り合うことは出来るのだろうか?
(私は上手く躱せるでしょうか)
紫水の瞳が揺れ、無意識にシェイラに扮する命綱となっている指輪が嵌った指を握る。
(いいえ、しなければならないのですよ。これ以上、お荷物になりたくなりませんもの)
ペシンと軽く頬を叩いて喝を入れる。モヤモヤとした感情を箱に押し込んで鍵をかける。今から悩んでいたって仕方ない。その時が来たら考えようと気持ちを切替えたところで、エルゼが櫛を置いて満足気に額の汗を拭った。
「出来ました。奥様、とてもお綺麗ですよ!」
「エルゼ、ありがとう」
礼を言えば、エルゼは嬉しそうに綻ばせ、エヴェリの肩に寒さに対応できるようショールをかける。
エヴェリは椅子から立つ直前、窓の外の月明かりに目をやり、心の中で静かに祈った。
(今宵の舞踏会を上手く切り抜けられますように。神様、どうかお願いします)
セルゲイとは大階段を下ったエントランスホールで待ち合わせていた。慣れない靴とこれまた着慣れないドレスに四苦八苦しながらもエントランスホールへ向かう。
既に身支度を終えてエヴェリを待っていたセルゲイは、二階から聞こえてくる靴音でエヴェリが来たことに気づいたらしい。
「セルゲイさまお待たせいたしました」
階段上から声をかけると見上げたセルゲイと目が合う。普段はあまり表情を変えず、けれども最近はエヴェリと二人の時は柔らかな表情を見せる彼が、最近では珍しくピタリと固まってしまう。
彼はこくりと息を呑んだ気がした。一瞬だけ赤面し、隠すようにそっぽを向いた。
ドキドキしながらセルゲイの元にたどり着く。それでもまだ顔を逸らすので、もしやこのドレスが似合っていないのかと不安になってしまった。
「わたくしにこのドレスは似合いませんでしたか?」
「まさか!」
大きな声で否定される。
「すまない、目を逸らした理由は別にあって」
しどろもどろになるセルゲイは視線も合わない。最終的に顔を覆って彼は告白した。
「似合いすぎていたんだ。まるで女神が私の元に降臨したかのようだった。呼吸さえも忘れてしまうほど美しいよ」
最上級の褒め言葉に今度はエヴェリが赤面してしまう。似合わなかったらどうしようかと不安だった心が払拭され、安堵と嬉しさも感じる。
「あ、ありがとう……ございます。セルゲイさまもいつになくお美しいです」
濡れ羽色の黒髪はきちんとセットされていて、エヴェリの首飾りと対になるエメラルドのカフスボタンが手首付近を飾っている。
普段から見目麗しいセルゲイが、舞踏会という社交の場のために最大限に着飾ると、エヴェリの語彙では言い表せないほど妖艶で美しかった。
「時間も差し迫ってきている。そろそろ行こうか」
「はい」
差し出されたセルゲイの手に自身のを重ねる。大勢の使用人たちの見送りを受けながら、エヴェリはヴォルガに来てから一番の難関となる、舞踏会に向かうのだった。
鏡に映る自分の身を包むのは、最高級の生地と王都一の腕前を持つクラーラの最高傑作だ。作成に費やせた時間は少なかったはずだが、それを感じさせることのないほど意匠に凝っていた。
エヴェリの陶磁器のように白い肌と蜂蜜色の髪の美しさを引き立たせる、淡いアイスブルーのドレスは端によるほど波打っていて、細かい刺繍があちらこちらに散りばめられている。ドレスに併せて作られた手袋をはめ、大きく開いた胸元を飾る首飾りをそっと触れる。
(とうとう当日が来てしまいました)
やれることはやった。死ぬ気で練習したおかげでお相手の足を踏むようなこともなくなったし、ダンスのステップは体に叩き込むことができたので、最初のダンスは乗り切れるだろう。けれども。
鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。
舞踏会が近づくにつれ、エヴェリの心には憂鬱な影が差していた。
(セルゲイさまは『何もしなくていい。隣に居てくれれば後は全てどうにかする』と事ある毎に伝えて下さりますが、予想外のことはよく起こりますし……私のせいでセルゲイさまの負担が増えることは申し訳ないです)
避けて通れない運命であるが、エヴェリは貴族の駆け引きなんて分からない。
セルゲイが舞踏会終了までエヴェリの隣に居てくれる保証なんてないし、一人になるタイミングもあるだろう。そうなった時に、エヴェリは果たして狡猾な者が多い貴族の面々と渡り合うことは出来るのだろうか?
(私は上手く躱せるでしょうか)
紫水の瞳が揺れ、無意識にシェイラに扮する命綱となっている指輪が嵌った指を握る。
(いいえ、しなければならないのですよ。これ以上、お荷物になりたくなりませんもの)
ペシンと軽く頬を叩いて喝を入れる。モヤモヤとした感情を箱に押し込んで鍵をかける。今から悩んでいたって仕方ない。その時が来たら考えようと気持ちを切替えたところで、エルゼが櫛を置いて満足気に額の汗を拭った。
「出来ました。奥様、とてもお綺麗ですよ!」
「エルゼ、ありがとう」
礼を言えば、エルゼは嬉しそうに綻ばせ、エヴェリの肩に寒さに対応できるようショールをかける。
エヴェリは椅子から立つ直前、窓の外の月明かりに目をやり、心の中で静かに祈った。
(今宵の舞踏会を上手く切り抜けられますように。神様、どうかお願いします)
セルゲイとは大階段を下ったエントランスホールで待ち合わせていた。慣れない靴とこれまた着慣れないドレスに四苦八苦しながらもエントランスホールへ向かう。
既に身支度を終えてエヴェリを待っていたセルゲイは、二階から聞こえてくる靴音でエヴェリが来たことに気づいたらしい。
「セルゲイさまお待たせいたしました」
階段上から声をかけると見上げたセルゲイと目が合う。普段はあまり表情を変えず、けれども最近はエヴェリと二人の時は柔らかな表情を見せる彼が、最近では珍しくピタリと固まってしまう。
彼はこくりと息を呑んだ気がした。一瞬だけ赤面し、隠すようにそっぽを向いた。
ドキドキしながらセルゲイの元にたどり着く。それでもまだ顔を逸らすので、もしやこのドレスが似合っていないのかと不安になってしまった。
「わたくしにこのドレスは似合いませんでしたか?」
「まさか!」
大きな声で否定される。
「すまない、目を逸らした理由は別にあって」
しどろもどろになるセルゲイは視線も合わない。最終的に顔を覆って彼は告白した。
「似合いすぎていたんだ。まるで女神が私の元に降臨したかのようだった。呼吸さえも忘れてしまうほど美しいよ」
最上級の褒め言葉に今度はエヴェリが赤面してしまう。似合わなかったらどうしようかと不安だった心が払拭され、安堵と嬉しさも感じる。
「あ、ありがとう……ございます。セルゲイさまもいつになくお美しいです」
濡れ羽色の黒髪はきちんとセットされていて、エヴェリの首飾りと対になるエメラルドのカフスボタンが手首付近を飾っている。
普段から見目麗しいセルゲイが、舞踏会という社交の場のために最大限に着飾ると、エヴェリの語彙では言い表せないほど妖艶で美しかった。
「時間も差し迫ってきている。そろそろ行こうか」
「はい」
差し出されたセルゲイの手に自身のを重ねる。大勢の使用人たちの見送りを受けながら、エヴェリはヴォルガに来てから一番の難関となる、舞踏会に向かうのだった。
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