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「オリヴィア様、あの約束はちゃんと守ってくださいねっ!」
「……っ」

 リーゼルは勝ち誇ったような表情を浮かべながら、オリヴィアにそう言い放った。
 傍らにはジークヴァルトの姿があり、リーゼルは彼の腕に身を寄せるようにしてくっついている。
 まさにあの時見た光景に近い映像が目の前に映し出されていて、オリヴィアは必死に声を上げようとしているのだが一向に出てこない。

(嫌……、違うと言って。あなたの婚約者は、わたしなのだと……お願いっ……)

 オリヴィアは何度もそう叫ぼうとしているのだが、表情を歪めて視線で訴えることしか叶わない。

「ジーク様のことは安心して私に任せてくださいね。オリヴィア様の代わりに私が王太子妃になって、ジーク様のことを支えていきますからっ! ふふっ、それでいいですよね? ジーク様」
「……ああ」

 リーゼルはもう婚約者になった気でいるのか、声を弾ませながら楽しそうに話している。
 その光景を前にしてオリヴィアの表情は一層青ざめていくが、どうしても認めたくなくてジークヴァルトに縋るような視線を送り続けていた。
 そんな時、オリヴィアの気持ちが通じたのか彼の視線がこちらへと向いた。

(ジーク様……!)

 目が合った瞬間、オリヴィアの表情は僅かに明るくなる。
 
「リヴィ、ごめん。私はリーゼルとこの国を守っていくことにするよ」
 
 ジークヴァルトは冷たい視線をオリヴィアに向けると、淡々とした声でそう告げた。
 まるで死刑宣告でもされたかのように、オリヴィアの心は絶望感に苛まれていく。

(……え? 何を言って……、冗談、よね?)

「リーゼ、行こうか」
「はいっ! ジーク様」

 彼の視線は直ぐにリーゼルの方に向けられると、先程とは打って変わるように優しい表情へ変化する。
 あの微笑みはいつもオリヴィアに向けられていたものなのに。
 まるでオリヴィアの婚約者としての地位も、大好きだったジークヴァルトの心も全てを奪われてしまったような気分だった。

 リーゼルは頬を僅かに染めながら嬉しそうにジークヴァルトに答えを返すと、ちらりとオリヴィアのことを見て嘲るように口元を微かに上げた。
 今のオリヴィアには、悔しそうな顔で見つめることくらいしか出来なかった。

(悔しい……。どうして、こんなことに……。わたし、なにか間違えた……?)

 つい最近までは、間違いなくジークヴァルトの心はオリヴィアに向いていたはずだ。
 こんなにも突然心変わりするなんて、きっとオリヴィアの知らない所で何かが起こったに違いない。
 そうとしか考えられなかった。
 オリヴィアは自身が何か重大な粗相をしてしまったのではないかと考え、必死に頭の中で巡らせてみるが思い当たる節は何一つ浮かばない。

「オリヴィア様」
 
 そんなことに気を取られていると、不意にリーゼルに名前を呼ばれてオリヴィアは彼女に視線を向けた。
 すると彼女は「さようなら」と突然別れの言葉を述べた。
 二人はオリヴィアに背中を向けて、楽しそうに喋りながら奥へと進んでいく。
 距離が開いていくとそれに比例するかのように、オリヴィアの心にも不安が広がっていく。
 
(いや……、行かないでっ……、ジーク様っ……!! わたしを一人にしないで……、お願い!!)

 その瞬間、ハッと勢い良く目を開けた。
 オリヴィアの手は天井に高く伸ばされ、目からは涙が溢れていた。

「……っ!!」

(……ゆ、め、だったの?)

 薄暗い視線の先には、うっすらと天井が広がっている。
 先程見ていたのが夢だと分かると、オリヴィアはほっとしながら周囲を見渡した。
 ベッドの上にいることは間違いなさそうだが、天蓋が閉じられていて周囲を確認することが出来ない。
 しかし、オリヴィアはここが自分の私室でないことには直ぐに気が付いた。

(ここは……?)
 
 オリヴィアは上半身を起こし、ゆっくりと考えを巡らせていく。
 しかし考え始めようとした数秒後に、突然外から騒がしい声が響いてきた。

「……母上!」

 その声は紛れもなくジークヴァルトの声だった。
 オリヴィアはその声を聞いた瞬間、今しがた起こっていたことを全て思い出した。

(ジーク様……)

「随分と騒々しいわね。ここには誰も通すなと言っておいたはずなのだけど」
「申し訳ありません、王妃様。殿下が強引に離宮に入られて来て、止めようとしたのですが聞き入れて貰えず……」

 王妃が落ち着いた声で答えると、侍女らしき者が困ったような声で謝っていた。
 オリヴィアは現在天蓋の奥にいるため、声は聞こえてくるがその様子を窺うことは出来なかった。
 
「ジークヴァルト、一体何用ですか?」
「突然夜分に押しかけてしまい、申し訳ありません。ここに、リヴィが来ていると聞いたもので……」

 王妃の声は冷静さを保ったように聞こえてくるが、ジークヴァルトは僅かに息を切らしているようで、その声質も少し焦っているように感じた。

(わたしに、会いに……? まさか、婚約破棄……)

 彼がオリヴィアを探してここまで来たのだと分かると、彼女の表情は次第に困惑していく。
 あんなことがあったばかりで、その上気持ちの整理も出来ていない状況なのだから、戸惑ってしまうのは当然のことなのだろう。
 そしてあの会場で『婚約破棄』という不穏な言葉を聞いてしまったことを思い出し、オリヴィアはさらに落ち着けなくなっていく。
 この天蓋をまくられて、この場で婚約破棄を言い渡されたら……、どうしようとつい考えてしまう。

「残念だけど、オリヴィアさんはここには来てないわ」
「嘘はおやめください。ここに入るのを見たと証言する者がいます。それで私はここに来たのですから」

 ジークヴァルトは間髪入れずに答えた。

「王妃である私が嘘を付いていると言いたいの?」
「……はい」

 二人の表情を見ることは出来ないが、声だけでも緊迫している様子がオリヴィアにも伝わって来る。
 王妃の言葉に対し、ジークヴァルトは一切引く様子はなさそうだ。
 オリヴィアは口元を塞ぎ、息を潜めるかのようにじっとしていた。

 あんなことさえなければ、直ぐにでもこの天蓋を開いて彼の前に現れたことだろう。
 しかし今のオリヴィアは酷い顔をしている上に、ジークヴァルトの姿を一目でも見てしまったら、きっとまた泣いてしまうことが分かっていた。
 だからこそ会いたくはなかった。
 これ以上自分の情けない姿を晒して、嫌われるのが怖かったから。
 
「もし、ここにオリヴィアさんがいるとして、貴方は何をするつもりなの?」
「説明をします。リヴィには今回のことをまだ何一つ話していない。あれはリヴィを守る為には仕方が無かったことだと……」

「あれのどこを見て、守るだなんて言葉が出て来るのか不思議でならないわ。追い詰めるの間違いではなくって? 誰がどう見てもそのようにしか思えなかったわ」
「……っ」

 王妃は冷たい言葉であしらった。
 それから暫くの沈黙が続く。
 しかしいつまで経ってもジークヴァルトの言葉は返ってこない。

「答えられないということは、自分の非を認めるのね」
「……たしかに、私が取った行動によりリヴィを追い詰めてしまったことは認めます。私だってあんなこと……、したくはなかった。しかし、他に方法がなかった……。無力な自分自身に腹が立ちます」

 ジークヴァルトの声は自責の念に苛まれているかのように響いていた。

「お願いです、母上。私に弁明をする機会を与えてください。このまま誤解されたままでいるなんて耐えられな……、もしかして……。リヴィ、そこにいるのか……?」

 ジークヴァルト何かに勘付いたようで、オリヴィアのいる方角に向けて声を掛けてきた。

(気付かれた……!?)
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