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 あれから二週間が過ぎた。
 ジークヴァルトからあんな話を聞いてしまったので、オリヴィアは彼と距離を置くようにして過ごしていた。
 あの時、彼に『我慢して欲しい』と言われたことを、オリヴィアは素直に守っていたのだ。
 自分勝手な理由で動いて、彼を困らせたくはなかった。
 オリヴィアが一番恐れていることは、彼に嫌われることだから。

 いつだってジークヴァルトはオリヴィアのことを大切にしてくれている。
 そのことを良く分かっているからこそ、本当は寂しいけれど耐えることが出来ているのだろう。
 それがお互いを思いやるということだと、オリヴィアは信じて疑わなかった。
 しかしそれは精一杯のオリヴィアの強がりでもあった。

 領地にいた時とは違い、いつでも会える距離にいるのに、それが出来ないことはとてももどかしく感じる。
 それに寂しいという気持ちは、当然持っていた。
 しかし、オリヴィアは自分の気持ちを押し殺して我慢した。 
 それはジークヴァルトが望んだことだから。

 同じ学園にいるのに学科が違うと言うだけで、あれ以来ジークヴァルトには一度も会っていない。
 だけど寂しく思っているのは、オリヴィアだけではないはずだ。
 だから我慢しなければ……と、オリヴィアは今日も自分に言い聞かせた。

 そしてこの国では、社交界シーズンを迎えようとしていた。


 そんなある日のこと。
 オリヴィアは学園から戻ると執事に呼び止められて、書斎に行くことを言付けられた。
 呼んだのは彼女の父親である公爵だ。

「お父様、オリヴィアです。ただいま戻りました」
「戻ったか。入ってくれ」

 オリヴィアは「はい」と扉に向けて答えると、静かに戸を開き中へと入っていった。
 そして中央に置かれているソファーに向かい合うようにして座る。
 ここにいるのは、オリヴィアと公爵の二人きりだ。

 オリヴィアの母は領地にいるが、父である公爵は王宮での勤めがあるため、ここでオリヴィアと共に暮らしている。

「リヴィ、学園での生活にはもう慣れたか?」
「はい。二ヶ月間の遅れも大分取り戻せました。先日行われた試験もそれなりに……」

「さすがだな。だが、あまり無理はしないでくれよ。メイドから聞いたぞ。深夜近くまで予習をしているのだとな」
「……っ、少しだけです」

「少しか? 毎日だと聞いたが?」

 公爵に疑うような視線を向けられて、オリヴィアは顔を引き攣らせた。

「リヴィ、三ヶ月前に何が起こったのか。忘れたとは言わせないぞ」
「あ、あれはっ……」

 そう、今から三ヶ月前。
 オリヴィアが体調を崩した時期だ。

 原因不明の高熱とされているが、恐らくは心身共に弱っている状態で無理をしすぎたことにより、体のバランスがおかしくなってしまったのだろう。
 周囲の者達は皆そう思っているようだ。

 学園生活も残り一年を切り、卒業したら直ぐにジークヴァルトとの婚姻が結ばれる手筈になっていた。
 その気持ちの焦りから、オリヴィアは普段以上に頑張り過ぎてしまったのだ。
 不安から不眠症を誘発し、眠れないからと言って朝方まで予習をしていた。
 何かに没頭している間は、余計なことを考えなくて済むので楽だった。
 そんな生活を繰り返していたせいで、あんな大事にまで発展してしまった。

「お願いだから、あまり無理をして私達を心配させないでくれ。折角良くなったというのに、これではまた逆戻りだぞ。それに自己管理すら出来ないのでは、殿下の婚約者としては失格だぞ。今までの努力を全て無駄にしたいのか?」
「……ごめんなさい」

 公爵は本気で娘であるオリヴィアのことを心配しているのだろう。
 その気持ちが強く出てしまったが故に、厳しいことを言ってしまったに違いない。
 オリヴィアもそのことには気付いていた。
 だからこそ、また自分の所為で両親に心配をかけてしまったことが堪らなかった。

 オリヴィアは唇を噛みしめ、ぎゅっと掌を握りしめた。
 
(どうして……頑張ろうとすると、他のことが上手くいかなくなるのかな。ずっとそんなことの繰り返しばかり……。こんなんじゃダメなのは分かっているのに……)

 オリヴィアはどうしていいのか分からず、困り果てていた。

「分かってくれたならそれでいい。それはそうと、殿下とは上手くいっているのか?」
「……は、はい」

 突然話題が変わり、オリヴィアはビクッと体を震わせたが咄嗟に頷いてしまった。

(今は本当のことは伝えない方がいいわね。またお父様を心配させてしまうわ……)

「そうか。もうすぐ社交界シーズンだ。王宮内は慌ただしいが、夜会を中止にしてしまえば周囲に変に思われることで、今年も例年通り開催されるそうだ」
「大丈夫なのですか? 今はそれどころではないのでは?」

 公爵は現国王の傍で執務を手伝っている。
 そのため、今王宮で起こっている混乱についてはオリヴィアよりも詳しいはずだ。

 今年はこんな状態だだから、中止か延期になるものだと思っていた。
 しかし例年通り開催されると知って、オリヴィアは僅かに表情を明るくさせた。

「今のところ大きな火種になりそうな問題は起きていないからな」
「そうなのですね」
 
「今後どうなるかは、まだなんとも言えない状態だ。こんな状態で夜会を楽しむのは難しいかもしれないが、来年になれば、お前は殿下と婚姻を結び王太子妃になっているはずだ。そうなると色々と大変になるだろう。お前にとって気楽に楽しめる夜会は今年で最後になるかもしれないな」

(そっか……。来年の今頃にはジーク様の妃になっているんだわ……)

 そんな風に思ってしまうと、急に嬉しさが込み上げてきてしまう。
 オリヴィアがずっと夢見て来た事が、ついに現実になり叶う。
 そのことを思い浮かべると、彼女の口元は緩み、自然に笑みが溢れて来てしまう。

「随分と嬉しそうな顔をしているな。もう浮かれているのか? 早すぎだろう」
「やっとジーク様の妃になれるのだと思うと嬉しくて……」
 
 娘の惚気ている姿を見て、公爵はなんとも言えない表情を浮かべていた。

「それを喜んでいたのか。全く、お前ってやつは。だが、リヴィがずっと昔から殿下のことを慕っていたことは見て来たからな。リヴィの想いが成就することを、私もすごく嬉しく思う」
「お父様っ……」

「しかし、複雑な気持ちでもあるな。大事に育ててきた娘が傍からいなくなるのは寂しいからな」
「お父様は王宮勤めじゃないですか。会おうと思えばいつだって会えるかと……」

 オリヴィアが間髪入れずに突っ込むと、公爵は「まあ、そうなんだが……」と寂しそうに呟いた。

「ふふっ、心配なさっているのですか?」
「親の気持ち子不知とはこのようなことを言うんだな……」

 公爵ははしゃぐような姿を見せる娘を眺めながら、困った様に溜息を漏らした。

「え?」
「いや、なんでもない。リヴィが幸せなら何も言うことはない」

 公爵の言葉がオリヴィアの心の奥の方にじーんと響き、胸の中が熱くなった。
 こんなにも両親に大切に思われて、愛されている自分は幸せなのだと改めて思い知った。
 
(わたしって本当に幸せものね。お父様の期待を裏切らないように、もっと頑張らないと……!)

 その思いがオリヴィアの心を奮い立たせた。
 
「話を戻すが夜会に着ていくドレスは用意しているのか?」
「今年は開催しないと思っていたので、何も……」

「問題無いだろう。きっと今年も殿下が用意してくれているはずだ」
「……そう、ですね」

 毎年王宮で夜会が開かれる際には、ジークヴァルトがドレスを送ってくれる。
 オリヴィアにとってそれは楽しみの一つでもあった。
 彼がオリヴィアの為に選んでくれた、という行為が何よりも嬉しかった。
 
(今年はどんなドレスを送ってくれるのかしら。すごく楽しみになってきたわ!)
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