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1日目~1
しおりを挟むレイハウゼンの町から外れて半々日ほど歩いた辺り。
そこには美しい湖がある。
それだけで一枚の絵になるようなきれいな湖ではあるが、何故か人を寄せつけない。
『その湖は人を誘い沈めようとする怪物がいる』
『魔女が毒を流しているから決して飲んではいけない』などなど。
湖自体にあまり良い噂がないからだ。
そんな湖の畔に、大きな屋敷がある。
まるで湖を臨むために造られたような、貴賓館のようにも見える屋敷。
そこに僕はやって来ていた。
持っている物はしばらくの野営用の簡素な装備と、絵画の道具一式。
僕は画家だった。
そして、画家としてこの誰もいなくなった屋敷にやって来ていた。
◆
さかのぼること数日前。
僕はレイハウゼンの町で、いつものように画家の仕事に勤しんでいた。
画家の仕事…と言っても路上で頼まれれば人物やら風景やらを描いて、駄賃をもらうというもので。
生計を立てるには少々厳しいものだった。
それでも生活に困ることは特にないから、こうして画家を生業と呼んで細々と暮らしている。
「でもそれってつまり売れない画家ってことでしょ? 画家って言うのは依頼があって成り立つものだもの」
そう言って僕を冷やかしに来たのはテレーザ。
彼女は幼馴染に当たる存在で、商家の一人娘だ。
「…楽しく暮らせているんだからそれで良いだろう?」
「楽しいだけで稼げてないならどうにもならないでしょ?」
テレーザはそう言うと僕の絵を覗き込んでくる。
今は客もおらず、適当にその辺の風景を描いていたところだ。
「でももったいないのよね、こんなにも温かくてステキで上手な絵なのに…」
慌ててスケッチを隠そうとする僕よりも早く、テレーザはその絵を奪い取った。
僕の絵を見てキラキラした瞳を見せる彼女。
僕はそんな顔をする人を見る度に、絵を描いていて良かったと思えるんだ。
「…だけれど、ちゃんとした画材がなければしょうがないよね…君からプレゼントしてもらったスケッチブックだってもう残りのページがないんだし」
細々と暮らすには事足りている。
けれど、肝心の画材がないから僕はもらったスケッチブックと炭だけで描いている。
絵筆すら本当は握ったことがないんだ。
「―――じゃあ、もしも画材を揃えてあげるって言ったら…どうする?」
「え…?」
予想外の言葉に僕は目を丸くする。
これまでにない興味が湧く。
「実はね、『ある頼み』を聞いてくれるなら画材を揃えてあげようかなって思ってるのよ」
「『ある頼み』って…?」
頼みの条件にもよるけれど、断る理由なんてない。
だってタダで画材を用意してくれるっていうのだから。
「それがね…ちょっと変わった頼みごとなんだけど……『エーデルヴァイス夫人を笑顔にして欲しい』の」
「え…?」
それはつまり、僕に大道芸でもやれということだろうか?
テレーザの言葉に僕は首を傾げる。
するとテレーザはクスクスと笑いながら頭を振った。
「ああ、ちょっと違うかな…実はこの町の外れに大きな屋敷があるらしくって。そこに昔エーデルヴァイス夫人って人が住んでいたらしいの」
そう語るテレーザもなぜか疑問符を浮かべているような顔つきで。
具体的な頼みの内容はあまりよく解っていないらしい。
僕だって18年間この町に過ごしてはいるけれど、そんな夫人の名前も屋敷も初めて聞いたくらいだ。
「でしょでしょ? 私もエーデルヴァイス夫人なんて初めて聞いた。でもどうやら私たちが生まれるより前に亡くなったらしくってね…で、その夫人の絵を描いてほしいの」
昔に亡くなった人を?
まあ、肖像画があれば描けなくはないけど…。
「その屋敷…今は誰も住んでいないみたいなんだけど、そこには今も夫人の私物がそのまま残されているらしいの、それで肖像画とかを参考にして描いてみて欲しい―――」
「ちょっと待って、僕がその屋敷に行くみたいな感じだけど…」
するとテレーザは迷うことなく首を縦に振った。
「そうよ」なんて笑顔で。
「待って待って! そんな何十年も誰も住んでない屋敷に僕一人で行くなんて…」
少し背筋がゾッとした。
絶対そんな場所、廃墟と化しているに決まっているから。
けど、ここでテレーザは僕の弱みに付け込んできた。
「画材、欲しいんでしょ? 最高級の一式、揃えてあげるから」
そう言われると僕は何も言い返せない。
「じゃあ決まり! 詳しいことはまた後日、私の執事が教えてくれると思うから。楽しみにしててね!」
テレーザはそう言い残し、僕を置いてさっそうと人波の向こうへと消えてしまった。
取り残された僕には、ちょっとの喜びと、それ以上の不安が募っていく。
「屋敷に行って『エーデルヴァイス夫人を笑顔にして』だなんて…わけわからないよ……」
ポツリと、僕は独り言を言って、しばらくその場で呆然としていた。
だけど、このときの僕はまだ知らなかったんだ。
この依頼によってあんな体験をすることになるだなんて…想像もしていなかった―――。
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