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少女を探して振り回されて
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しおりを挟むアスレイは、先ほどからざわつく嫌な予感に胸が締め付けられていた。実際に何かが胸を締め付けているのではと感じるくらいだ。
なぜなら、目的地に近付いている筈なのにそこから物音は全くなく。話し声さえも一向に聞こえてこないのだ。
先ほど聞こえたあの女性の悲鳴も、一度聞いたきり何も聞こえない。
「カズマ…!」
アスレイは全身全霊を込め、全力で走り続けた。
と、背後からいきなり叫び声が聞こえた。
「待てアスレイ!」
その声に慌てて足を止めるアスレイ。
背後を振り返ると、後を追いかけて走ってきたのだろうレンナとネールの姿があった。
「足下を見ろ」
ネールにそう言われ、アスレイは自身の足下を見やる。
「ッ!?」
そこには、おびただしい量の血痕が地面一面に広がっていた。
アスレイは声にならない悲鳴を上げ、硬直する。
僅かに震えた頭から、汗が一滴垂れ落ちる。
暗がりの路地裏であるため確認し難いものの、街頭に照らされたそれは、紛れもない赤い鮮血であった。
突然出現した血痕にアスレイは動揺を隠せず、その顔はみるみる蒼白していく。
そんな彼を後目にネールは、その場に駆けつくなりしゃがみ込んだ。
彼女は恐ろしいほど冷静であり、全力疾走による疲労の色さえ微塵も表れていない。
地面を覗き込む彼女は、静かにそれへと触れる。拭いとったそれは彼女の指に付着する。
「それってまさか、血…?」
ネールの隣に並び、その指先を覗き込むよう眺めながらそう尋ねるレンナ。
肯定に軽く頷き答え、ネールは口を開く。
「まだ新しい…間違いない。悲鳴のあった場は此処だ」
「そ、そんな訳が―――」
ない。
そう言いかけ、アスレイは口を噤む。血痕こそ残されているが、しかし此処には人の姿が、駆けつけた三人以外は誰一人もいなかった。
これだけの鮮血。仮に怪我によるもので逃避中だとしても、自力で移動などまず無理と思われた。
そもそも先立って走り去ったカズマさえも、此処にはいなかった。
だから此処が悲鳴のあった場所だとは思えない。思いたくない。アスレイはそう言いたかった。
だがしかし、悲鳴の聞こえてきた方へと向かって走ってきた先で発見されたのがこの場所なのだ。だとすれば、安易に否定など、出来ようもなかった。
「……まさかカズマさんの…?」
レンナのそんな言葉を耳にし、アスレイは顔を歪める。
信じたくはない言葉。しかしこのような事件性を感じられる現場にカズマがいないというのは、あまりにも不自然であった。
「まだ彼のものだという証拠はない―――が」
そう言ったネールは不意にあるものに気づき、その方へと視線を移す。
彼女の右方向―――その通路の隅にあった小さな下水溝に、何かが落ちていた。
人の手が丁度入る隙間のそこへ、手を伸ばすネール。
「これは…?」
街並みの隙間から零れる、僅かな月光を反射させていたそれは、数種の花が描かれた鮮血と同じ赤色のコンパクトミラーだ。
折り畳み式のそれは何故か開かれたままであり、鏡面には弧を描くようになぞられた血痕が付着していた。
「それって…まさ、か……!?」
ネールが拾ったコンパクトミラーを見つけた瞬間、レンナは目を見開きながら言葉を詰まらせ、驚いていた。
「―――カズマのだ」
と、背後からゆっくりと歩み寄ってきたアスレイが、静かにそう告げた。
彼の鼓動は段々と高鳴り、激しく胸を締め付けていく。間近で確認したそれは間違いなくカズマに見せてもらった、妹から貰ったというコンパクトミラーだった。
そして同時にそれが『此処にある鮮血がカズマのものである』という証拠となってしまった。
アスレイは力無くその場に座り込む。
「何で…そんな、カズマが…まさか…」
ポツリと思わず呟く。
と、アスレイは不意に彼が最後に言っていた言葉を思い出す。
『後で聞いてくれ…俺の過ちと、隠していた事実を……』
走り去っていく直前にカズマは、自分の犯した行動を悔い改めていたようであった。
しかし、その決心が故に彼はこんな事態に陥ってしまったのだろうか。
そもそもカズマを問い詰め、動揺を与えていなければ、こんな事態は引き起こらなかったのだろうか。
もっと早く彼に追いついていれば、彼を助けることが出来たのだろうか。
先ほどまでアスレイのしていた言動一つ一つが、彼の中で大きな後悔へと変わっていく。
「そんな…俺の…俺のせいでッ!!」
地面へ拳を強く叩きつけながら、アスレイは叫ぶ。
動揺を隠せない顔色に怒りと後悔による叫びは、半ば錯乱状態とも言えた。
彼と同じく動揺していたレンナであったがアスレイのそんな様子を見つけ、慌てて彼を羽交い絞めにして押さえつける。
「お、落ち着きなさいよアスレイ!」
しかしアスレイは青ざめた顔を俯かせ、「俺のせいで」と空しく呟き続ける。
彼の持つ異常なお人好しさと人一倍強い責任感は以前から察してはいた。が、そこまで自分を追い込むとは。と、内心ネールは思いつつ、彼へ告げる。
「彼女の言う通りだ。元より此処にある血痕が本当に彼のものなのかどうか。彼の生死についても確たる証拠があるわけではない。まだ生存の可能性は充分にある」
ネールの言葉を聞いたアスレイは唇を噛みしめ、湧き上がってくる自身の感情を鎮めさせようとする。
が、レンナは「だけど」と、ネールの言葉を否定する。
「確か…『黄昏誘う魔女』ってわざと悲鳴を上げて、助けに駆けつけた男たちを浚ってたっていうじゃん。今回もそれと同じ感じだったし。もしかしてカズマは……魔女にはめられて浚われたんじゃ…」
彼女の言葉にネールは静かに顔を顰める。
確かに彼女の言う通り、この町で噂になっている『黄昏誘う魔女』の犯行手口には、そうした実例があったと言われている。ネールもその話は聞いており、だからこそこの現場を目撃したとき、彼女はその可能性の高さを考えていた。
これは、魔女による仕業と見た方が良い、と。
しかしその見解を今のアスレイに告げるのは、更なる混乱を招くと思い、あえて伏せていたのだ。
「魔女が…カズマを……じゃあ、それってつまり、ホントに、この町には魔女が居たってこと…なのか?」
アスレイはまるで感情が抜けてしまったかのようにその場に座り込む。その眼差しは虚ろで、いつもの真っ直ぐな輝きがそこには無かった。
(彼女の言う通り、彼は此処に来るべきではなかったのかもしれない…)
ネールはそう思い、人知れず、静かに瞼を伏せた。
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