256 / 313
第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~
6項
しおりを挟む「こりゃああぁっ! カムフ!! 何をサボっておるか!!」
旅館内に響く怒声。
エントランスを一望できる階段から勢いよく駆け下りてくる老人。
持っていた杖を振り上げ、曲がっているはずの腰を真っ直ぐにさせながら。老人は急ぎ青年へと駆け寄る。
が、その無茶が良くなかったようで、老人は階段を下りきるなり、むせ返りながら腰を丸めた。
「あーほら、無理すんなって、じいちゃん」
怒りの矛先である当の青年ことカムフは狼狽えることなく。むしろ苦笑を浮かべて返す。
そんな余裕ぶった言動がまた老人―――彼の祖父の怒りを逆撫でてしまい、彼は睨みながら言った。
「ば、ばかもん…わしゃあ、まだまだ、いけるわい…!」
呼吸を整えながらも反論する老人はカムフへ杖の先を突きつけた。
「お客様を見送った後は直ぐにシーツの取り替えじゃ! それと風呂場の掃除もまだ残っておる!」
カッカと顔を真っ赤にしている祖父に対して、カムフはため息交じりに突き付けられた杖を退かす。
「言われずともわかってるって、じいちゃん。けどさ、今日から暫くは予約も入ってないし、こんなとこにお客さんが突然来るわけもないんだし…そう慌てなくっても大丈夫だって」
そう言って呆れた顔を見せる孫に対し、益々顔を紅くさせる祖父は弾かれた杖を再び引き戻し、その頭を殴った。
「いてっ」と、カムフは頭を押さえる。
「ばかもん! いつお客様が来ても良いように、いつでもお出迎えの準備をしておく……それが『ツモの湯』の基本なんじゃ!」
「じいちゃん、暴力は良くないって…」
頭を押さえるカムフを後目に、祖父は杖を下すと旅館の玄関を一瞥した。
両扉の玄関上に飾られた、いくつかの古びた絵画。そこには歴代大将の肖像画が飾られていた。
「そもそもな! この旅館は今を遡ること八百年も昔から続いておる由緒正しき旅館でな…」
そう言ってくどくどと語り始める祖父。
その様子にカムフは呆れ顔のまま、また始まったとばかりに吐息を洩らした。
祖父にとってこの『ツモの湯』は、何よりも代え難い宝であった。
歴代大将が守り続けたこの旅館が誇りであり人生そのものである祖父は、旅館の伝統と歴史を次代の大将である孫に教えるが生き甲斐と言っても過言ではなかった。
それ故に、こんなにも口うるさく頑固な性格になってしまったようで。
そんな性格故に、旅館を新しく建て直すなんて以ての外。というわけであった。
「その話はもう耳に胼胝ができるくらい聞いてるって…」
しかし、毎度延々と聞かされ続けているカムフにしてみれば、もう退屈で苦痛で仕方がなかった。
仁王立ちで語る祖父を横切り受付カウンターに座ると、カムフは頬杖をついて「早く話終わらないかな」と切に願うのが日常茶飯事であった。
「更にこのツモの湯にはその昔、『花色の教団』の開祖と謳われている聖人、『花色の君』が訪れたこともあると云われておってだな……おい、聞いておるのかカムフ!?」
「はいはい、聞いてますよ」
カムフは適当に返事をし、退屈そうにもう一度ため息を洩らす。再度長い長い旅館の歴史を語り始めた祖父を見つめつつ、カムフは今日の晩御飯はどうしようか。などと考えに耽っていた。
そのときだ。
旅館の扉が突如勢いよく開いた。
「大変だよ! カムフ! ノニ爺!!」
何事かと一瞬目を丸くして玄関を見た二人であったが、その正体に気付くなり、二人はいつもの表情へと戻っていく。
「村に帰って来たんだな。おかえり、ソラ」
「こりゃソラ! 扉は静かに開けい! まだまだ現役でも流石に寿命が縮まるじゃろが!」
穏やかにソラを迎え入れるカムフとは対照的に、彼女に向かって杖の先端を向けて叫ぶ祖父―――もといノニ爺。
「そんなことより大変なんだって! ホントに!」
しかしノニ爺の怒声に恐縮する様子もなく、ソラは彼よりも大きな声で訴える。
よく見ると村で一番体力のある彼女が肩で呼吸をし、その表情は真っ青に染まっていた。
と、直後。ソラは力無くその場に座り込んでしまった。
ただ事ではないようだと、ようやくカムフは慌てた様子で彼女へと駆け寄った。
「ど、どうしたんだ?」
蹲るソラの身体を起こしつつ尋ねるカムフ。
緊張が走り、思わずノニ爺も息を呑む。
「まさか…セイランの身に何か―――」
「や、山に魔女が! 真っ黒魔女が出たっ!!」
ちなみに、『真っ黒魔女』とはソラが祖母から聞いた伝承の通称だ。
その単語をソラが叫んだ直後、カムフとノニ爺は顔を合わせ、それから声も合わせて言った。
「はあ?」
「はあ?」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
隠された第四皇女
山田ランチ
ファンタジー
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
婚姻初日、「好きになることはない」と宣言された公爵家の姫は、英雄騎士の夫を翻弄する~夫は家庭内で私を見つめていますが~
扇 レンナ
恋愛
公爵令嬢のローゼリーンは1年前の戦にて、英雄となった騎士バーグフリートの元に嫁ぐこととなる。それは、彼が褒賞としてローゼリーンを望んだからだ。
公爵令嬢である以上に国王の姪っ子という立場を持つローゼリーンは、母譲りの美貌から『宝石姫』と呼ばれている。
はっきりと言って、全く釣り合わない結婚だ。それでも、王家の血を引く者として、ローゼリーンはバーグフリートの元に嫁ぐことに。
しかし、婚姻初日。晩餐の際に彼が告げたのは、予想もしていない言葉だった。
拗らせストーカータイプの英雄騎士(26)×『宝石姫』と名高い公爵令嬢(21)のすれ違いラブコメ。
▼掲載先→アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる