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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~
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しおりを挟む「―――キ・ネカ!」
そう叫びながら、男性は女性の手を懸命に掴んでいた。
どんなに苦しかろうと辛かろうとも、この手だけは決して放してはいけない。
彼はそう思い、より一層と彼女の手を強く握り締める。
キ・ネカと呼ばれた女性も、男性の手を放さんと必死であった。
と、彼女は不意に辺りを見回す。
朱く染まった空の向こうに見える、黒い煙。嫌でも鼻につく草木の焼ける匂い、
時折倒れている同胞を見つける度に、彼女は声ならぬ悲鳴を上げる。
「キ・ネカ!」
思わず立ち止まりそうになっていた女性の名を叫び、男性は無理矢理に引っ張った。
そして二人は、更に力強く走る。
周りを見てしまわないように。
悲しみと憎しみによって足を止めないように。
少しでも長く生き延びられるように。
男性と女性は、必死に走り続けた。
人を寄せ付けない鬱蒼と生い茂る森林。
その川沿いに上っていくと、そこには小さな滝があった。
肩で呼吸を繰り返しつつ、二人はその傍にある大岩へ向かって叫んだ。
「僕です、キ・シエです! 扉を開けてください、仲間よ!」
するとそれに呼応するかの如く、大岩がゆっくりと動き出す。
横へとずれた大岩の向こう―――そこには、真っ暗な洞穴が姿を見せた。
「『有事の際はこの滝が我らを守る』…そう云われてはいたけど…」
そう言って女性は男性を見つめる。
男性もまた、半信半疑と言った顔で女性を見つめていた。
それは集落に古くから伝わっていた言い伝えであったが、実際にその洞穴を目の当たりにしたのは初めてだった。
しかし戸惑っている暇など二人にはなく。
男性たちは恐る恐る、その狭い入口の中へと入っていった。
屈まなければいけない程狭い通路を通ったその向こう。
開けた空洞に辿り着くと、そこに彼らの仲間たちが待っていた。
「キ・シエ! キ・ネカ! 無事だったのね」
ピチャリと音を立てる水滴。
苔生した匂いが漂う其処に灯りはない。
が、男性は紛れもない仲間の気配だけは、確かに感じ取れていた。
「おお…キ・ネカや…!」
「お父様! よくぞご無事で…!」
と、暗がりから聞こえてきた声にキ・ネカは急ぎ振り返る。
闇に慣れてきた視界。そこで見えてきた父の姿に、彼女は大粒の涙を零していた。
男性もまた安堵に胸を撫で下ろし、彼女たちの再会を静観する。
「お前こそ捕えられずに…良かった、良かった…!」
キ・ネカは洞穴の奥で腰を据える老人へと駆け寄り、共に強く抱き合った。
喜ぶ彼女の横顔を眺めてい男性は、おもむろに周囲を見渡す。
此処に逃げ延びた者は二人も含めて20人足らず。
いずれも老人や女子供ばかりであったが、それでも辿り着けただけでも奇跡と言えるのが現状であった。
「まさか…我らの隠れ里が見つかるとは……外界の情勢は知っていましたが、決して辿り着けないと思っていただけに迂闊でした…」
そう言うと男性―――キ・シエはギリリと奥歯を噛みしめる。
王国が長年伝にしてきた悪行については知っていた。
過去の大罪による罰を未だに受け続けさせられ、仇敵の如く迫害され続け、虐げられている立場であったことも理解していた。
だが、解っていただけだった。実際は対岸の火事だと思っていて何の対策も準備も出来ていなかった。
この場所が見つかるはずなどないと、思い込んでいた。
キ・シエはそう思い、後悔した。
「無理もない…国境にも近く、生い茂る藪地に隠されていたこの里をわざわざ見つけ出そうとは…誰も思ってもおらんかった…これはお前だけの責任じゃない」
キ・ネカを優しく抱き留めながらそう語る老人。
彼はそのか細い手で、おもむろに洞穴の岩肌に触れた。
「しかし此処に隠れておれば見つかる心配はまずない…晶の力を少しだけ借り、外からは何があっても開かないようにしておるからのう…」
遥か昔より、この場所は『特別な地』として、一族が代々守り継いできた。
それは、此処が晶の集まる場所だからだと云われている。
「しかしまさか晶石で造られたという伝説の洞穴…それが実在していたとは…」
「本来晶は我らの傍にあるが、決して触れることの許されぬ大地の力…だからこそ平時はその存在を隠し一族の長のみが守り続けてきた。じゃがしかし……『一族の存亡が関わるとき、晶は晶使いを通して力を貸し与えてくれる』とされておる…」
そして今がその有事のときなのだと、キ・ネカの父である老人は語る。
確かにこの洞穴は、光がほとんど漏れていない程の密閉空間であるにも関わらず、不思議と息苦しくはなかった。
それが晶の力であり、その力によって守られているのだろうとキ・シエは感じていた。
「仮に追手が此処までやって来たとしても…開けることは絶対に不可能、と…言うことですね」
「ああ…我らが大地を監視せし父神への祈りがあれば、決して敵を通しはせん…」
老人は愛娘を優しく抱き留めつつも、未だその片手を洞穴の壁へと触れ続けている。
まるでそれが祈りであるかのように。
まるでそれが条件であるかのように。
「…心配はいらぬ…後は時が来るまで耐えるのみじゃ…」
老人のその言葉を受け、其処に居た者たちも次々と祈りを始める。
ある女性は虚ろ気に。
ある子供は泣きじゃくりながら。
伝の神よ、どうか我々を守り給えと。
切に願い続けた。
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