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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

~別記~

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 ―――深夜。
 スティンバルは静かにソファへと腰を掛ける。
 室内にはランプが僅かに灯るだけ。
 薄暗いそこで彼は独り、ため息をついた。

「こういうとき…アイツがいてくれたらハーブティーの一杯でも持って来てくれただろうか……」

 寂しく天井を見上げ、そう呟くスティンバル。
 彼の独り言は国王としての建前ではない、一人の夫としての本音だった。
 誰も居ないからこそ吐き出された言葉。
 決して誰も聞くべきではない言葉。
 の、はずだった。




「……大切な者ほど居なくなって初めて恋しさ愛しさに気付くもんでさぁな」

 室内、奥の暗がりから聞こえてきた声。
 突然の登場であったにも関わらず、スティンバルは驚く様子もなく。

「ゴンズ…ようやく一人になれる時間だと言うのに…こんな深夜に姿を見せなくとも良いものを」

 そう言ってもう一度ため息をついたほどだった。

「事件の処理やらエミレス様についての口止め回りやらでこのような時間になってしまいやして…申し訳ありやせん」

 暗がりの向こうからゆっくりと近付き、姿を現すゴンズ。
 彼は軽く肩を竦め、それからスティンバルの前で片膝を付いた。

「私も多忙続きで一人になれる時間は限られているからな…仕方がない」

 スティンバルはそう言うとソファから立ち上がり、後方の硝子棚に置かれていたボトルを手に取る。
「最近ではこれがハーブティー代わりでな」と言ってそのボトル―――酒を見せるとゴンズは苦笑を洩らした。

「…それに、この時間を待っていたということは他言出来ない話がある……ということだろう?」

 二つのグラスを用意するとスティンバルは赤色のワインをそれへと注ぐ。

「へい…御察しの通り、件の調査結果の報告をば」

 スティンバルの手が、一瞬だけ止まる。
 ランプの灯りによって紅く輝き、ゆらめく酒。

「それは確かに…他の者には聞かせられない話だな」

 人知れず、スティンバルは呟いた。






「王城襲撃に使用され、後に湖畔へ沈められた件の兵器について……先刻弟子と潜って調べてみましたが…やはりあの砲台の型は暗黒三国時代に使用されていたもののようです」
狩人ハンター資格があった時代に回収されたはずの『失われし兵器』か…」

 ソファに再度腰を掛け、スティンバルはそう言う。
 彼は注いだワイングラスの一つをゴンズの方へ差し出しながら話を続ける。

「件の男ならその出処について知っていそうだったが…結局話さず仕舞いだったからな」

 件の男―――事件の首謀者となったフェイケスは今回の襲撃について、終始黙秘でいた。
 彼らの目的が『ネフ族という名の侮辱に対する報復』だと言う話もエミレスから聞いただけであり、彼から直接聞いたわけではなかった。

「侮辱への報復で意気投合、か…」

 グラスを傾け回しながら、スティンバルは呟く。

「気になることでも?」

 酒を勧められたゴンズはスティンバルと向き合うソファへと座る。
 尋ねられたスティンバルはグラスの酒を一口含んだ後、口を開いた。

「今回の事件…矛盾点が多すぎる気がしてな」

 スティンバルに続けてゴンズもグラスの酒を一口飲み込み、それから答える。

「確かに…それについては儂も感じとりました」
 
 と、ゴンズは「随分と重いものを飲んでおるんですな」と付け足す。
 彼の言葉を聞き、スティンバルは「お前の口には合わなかったようだな」と苦笑交じりに返した。

「『失われし兵器』の使用や襲撃者たちがわざわざ顔を潰していたこと等…襲撃への用意周到さは確かです。がしかし―――」
「襲撃の最終目標がエミレスの力を暴走させて王城に大打撃を与えるという…賭けにも近い場当たり的な考えがどうにも解せなくてな」

 事件の首謀者はリョウ=ノウであり、彼の目的が“エミレスの力の暴走を再現することで父が追放隠ぺいされた事件を明るみに出すこと”にあったため、そこに違和感はなかった。
 だが、リョウ=ノウが首謀者であること自体にスティンバルは違和感を覚えるようになった。

「エミレスの暴走に頼らずとも『失われし兵器』を用いれば、王城の制圧さえも容易かったはず。と言うより元々ネフ族はエナを危険視した反対派の民族だった……尚のことネフ族がリョウ=ノウと結託する理由と利点がない」

 あるとするならば、リョウ=ノウを利用して兵を自在に動かせる王妃ベイルを取り込み易くすることくらいだろう。
 すると、ゴンズが俯きながらおもむろに口を開いた。

「…儂は間違いなくリョウ=ノウは首謀者ではなく良いように利用された身代わりだったと思いやす。でなきゃあ最期にあんなことを口走ったりはせん…」

 俯いたままそう語るゴンズ。
 その脳裏にはリョウ=ノウの最期が過っているのだろうと、スティンバルは眉を顰める。
 彼の最期はスティンバルから見ても可笑しいものだった。
 違和感を抱くようになったのはもしかするとそれが切っ掛けだったのかもしれないほどだ。

「学者が調べたところ、あれはどうやら何らかの技術でエナを液体化させたものだったようだ」
「エナエネルギー、ですか…」
「ああ。当然我らの現在の技術では作り方どころか扱い方さえ未知の代物…そうでなくともそんなものを摂取して先ず無事でいられるわけがない…母とエミレスのような奇跡でも起こらない限りはな…」

 スティンバルは顔を顰めたまま、ワイングラスを傾ける。
 
「だからこそ俺もリョウ=ノウは謀られたのだと思っている。真の首謀者は間違いなく別の者だったのだろう」

 そう言うとスティンバルはもう一口、ワインを飲んだ。
 グラスの中でゆらめく紅い液体。
 これと同じ目をした青年が、脳裏に過る。

「…その点について。これはあくまでも儂の憶測ですが、きゃつ等ネフ族そもそもの目的が…エミレス様だったように思いやす」

 ゴンズの言葉にスティンバルは目を見開く。

「どういう意味だ…?」
「だとすれば辻褄が合うような気がするんでさぁ。」

 エミレスの力の暴走に狙いをつけ。
 その野望を抱いていたリョウ=ノウに近付き利用し。
 『失われし兵器』を使用してまで目的を果たそうとした。

「それこそ、いくらなんでもお粗末過ぎるだろう…結果彼らは失敗し、襲撃者のほとんどが命を絶ち、兵器の技術も我らが知ることとなってしまったのだぞ?」

 そう言いながら、スティンバルはある仮説に気付く。
 余りにもたちの悪いその仮説を、ゴンズが代わりに語る。

「おそらく…きゃつ等の真の目的はエナの危険性を改めて証明すること……ただその一つが叶うならば、計画が失敗しても良かったんでさぁ」

 空になったグラスを、スティンバルは音を立ててテーブルに置いた。
 その振動でゴンズのグラスが、中のワインが揺らぐ。

「まさか…」
「それでも不可解な点は残っとりますが…まあ真相は今やもう闇の中ではありやすがね…」

 スティンバルは静かに息を呑む。
 深く考えれば考えるほど、襲撃者たちの目的も動向も。何もかもが闇で蠢く何かのようで、此方が呑まれていくように思えた。




「―――っ、酔いの頭で考えることではないな…」

 と、スティンバルは頭を抱えながらソファーへと凭れ掛かる。
 見上げた天井は、ランプの灯りに照らされながら何処か揺らめいているように見えた。

「父親譲りの下戸なのでしょう…だのに寝酒なんぞ…体に祟りますぞ?」

 ゴンズは慌てて立ち上がると戸棚に置かれていた水差しを手に取る。
 グラスにその水を注ぎ、スティンバルへ手渡した。

「すまない…この話はここまでにしてくれ」
「言われなくとも。疲労もあるだろうて、今日はもう安静に寝てくだせえ」

 そう言うとゴンズはスティンバルに肩を貸し、ベッドまで運んだ。
 倒れ込む彼の顔色は紅く、睡魔に襲われているのかしきりに瞼が下がっていた。

「色々と世話を掛けるな、ゴンズ…長らく隠居していたお前をこんなにも無理させてしまって…」

 酔いのせいか、吐き出された言葉は随分と気弱なものにゴンズは聞こえた。
 苦笑を洩らし、彼はスティンバルの身体に布団を掛けた。

「……何を言っとりますか。この調査は複雑な事情故、他の密偵などには任せられませんからのう…ばか弟子共々こき使ってくだせえな」

 その言葉が耳に届いたのか届いてないのか、間もなくしてスティンバルは寝息を立て始めた。
 心労と酔いで完全に参ってしまったのだろうと、ゴンズはため息をつく。
 だが彼の疲弊も無理はなかった。





 あの襲撃事件から、時は一月と経過していた。
 襲撃者の中で唯一の生存者であったフェイケスは、事件の全容を語ることなく国外追放と処された。
 彼自体が何も語らないことに痺れを切らせたためでもあったが、王国側からしてもその方が好都合だったのだ。
 この事件には『エミレスの力』と『ベイルの裏切り行為』という二つの真相が付いて離れないからだ。
 何処でどう真相が、噂が、漏れ出るかわからない。
 そのため、二つの真相を『ネフ族が引き起こしたもの』と改ざんすることを条件に、事件の追及は取りやめられることとなってしまった。
 ゴンズとしては、聞きたいことは多々あったというのに。



 『エミレスの力』についても、彼女たっての願いによって全て無かったことに改ざんされようとしている。
 力のことも、彼女の存在自体さえも。
 そしていつの日か、史実でも良いように改変されていくことだろう。
 隠ぺいされた事件によって抹消された―――クェン=ノウのように。






「…確かに、語られぬ過去について頭を使っていても…酔いが回るばかりじゃのう」

 そう言って笑うとゴンズは自分のグラスを手に取り、その酒を一気に飲み込んだ。
 芳醇でずっしりと重い香りと風味が口内から鼻腔へと抜けていく。

「じゃが、儂もまだまだ…若いもんには負けとりゃあせん」

 ゴンズはそんな独り言を洩らし、グラスをそっとテーブルに置く。
 そして、その隻腕を軽く回しながら室内の奥―――暗がりの向こうへと消えていった。
 間もなくして彼の気配は消え、後には床に就くスティンバルだけが残された。







   
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