上 下
156 / 313
第二篇 ~乙女には成れない野の花~

84連

しおりを挟む
   








 *




 誰かが叫んでいる…。

 何かを喋っている。

 訴えている。
 
 とても温かい…。

 其処に居るのは…誰?




 *




 エミレスは口を僅かに開けた。
 哀しげで、消え入りそうなあの部屋に籠っていた頃と同じ声だった。

「私は皆に嫌われていた…私がとても醜いから……こんな恐ろしい力を持っていたから……私には誰もいない…みんな逃げていった…もういやだ……もう、独りぼっちはいや……」

 ラライは慌てて顔を放しエミレスを見つめる。
 しかし間近にある彼女の表情は先ほどと変わることはない。
 あくまでも唇が微かに動いているだけだ。

「お前は独りじゃないだろ。確かにこんなもんのせいで誰かを傷つけたこともあった。だがそれはお前のせいじゃない」

 まるで氷のように冷たいままのエミレスの身体。
 彼女の双眸に輝きはなく、瞬きさえしていないようであった。

「でも私のせいで皆辛い思いをしていた…嫌いになって離れていく…リャンだって……ずっと会いに来てくれない」
「それは…」

 痛いところをつかれたとラライは内心舌打ちする。
 リャン=ノウは既にこの世にはいない。
 その事実をエミレスが知らなかったことを、彼は今知ったのだ。
 しかしだからといって今此処で事実を告げれば、彼女の暴走がより悪化することは目に見えてわかる。
 彼は静かに口を閉ざした。

「ごめんなさい…違うの、全部私のせいなの…だから、私はこのまま消えたい……その方が皆幸せだから……皆笑顔でいられるなら…ごめんなさい…独りで、消えさせて……?」

 ラライは顔を顰めた。
 絶望による、全てを投げ出したような言葉。
 孤独と苦しみの彼女の訴えに、ラライはより一層と彼女を抱き締めた。




「何がごめんなさいだ…何が皆幸せだ……他人の戯言なんかで自分を犠牲にするな! お前自身が何に苦しいのか、本当に辛いのかちゃんと言えよ! ……全部オレが聞いてやるから、それで全部解決してやるから!」

 そう叫びながらラライは締め付けるように強く。
 けれど苦しまないよう優しくエミレスを抱き締め続ける。
 彼女の凍った身体を溶かすように、抱き締める。

「―――どうして…どうしてそこまで、してくれるの…?」

 やっと、少しだけ彼女が反応したような気がした。
 彼は続けて心の奥にあった本心を語る。

「言っただろ、一緒に変わるって…こう見えてオレは結構変わった。前より手が出なくなったし、喧嘩腰も減った。オレでさえお前のおかげでこんなに変わった…だからお前も―――」
「私は…もう、無理……変わろうとした結果がこれだったもの……だからもう、変わりたくない…もう疲れた…もう嫌なの……」

 悲しく、震えた声。
 拒むような声に、それでもラライは訴え続ける。

「だったら変わらなくて良い」
「え…?」
「変わりたくないと思うってことは、それは少なからず今の自分が好きっだって解ったってことだろう?」
「ち、違っ…私は自分が嫌い……こんな力も、醜い容姿も…全部嫌い」

 ようやく見え出した、彼女の別の感情。
 その何処か慌てたようなエミレスの口振りに、思わずラライは苦笑する。

「ようやっと自分の気持ちを言ったな。だったらまずは自分を好きになってみようぜ。そうすればきっとお前を好いてくれる奴が集まって来る。そうしたらもう、それは変わったも一緒だ」
「む、無理…だって私は……醜いもの……」

 未だに消極的な言葉。
 まだ一押しが足りないのだ。
 決定的な言葉をラライは探す。
 心の奥にしまっていた言葉を、探す。



 と、ラライは舌打ちを洩らすと直後、エミレスの顎を持ち上げた。

「…無理じゃない。オレは一度だって醜いと思ったことは無い、エミレス」

 強引に上げた目線によって、二人の双眸がようやく重なる。

「―――初めて会ったあの嵐の日。雨宿りも傘もせずずぶ濡れになって何かを待ってるお前を見て、正直とんでもない能天気なお姫様がいたもんだと思った。だがな、同時に…懸命に待つその姿を……美しいと、思ったんだよ」

 ラライ自身、そのようなことまで口に出すつもりはなかった。
 それは自分でも不思議なほど自然と出てしまった言葉―――彼の本音だった。

「う、嘘…信じない」
「オレは自分に嘘はつかん。知ってるだろ?」

 乾いていた唇も、ようやく水を得たように動く。

「嘘じゃ…ない…?」
「ああ」

 エミレスの瞳に、輝きが戻っていく。
 いつになく真っ直ぐなその眼差しに、ラライは思わず視線を逸らしてしまう。

「エミレスが変わろうが変わるまいが、オレはずっと傍にいる。約束する。寂しいときも誰かに後ろ指刺されたときもいる…だからもう独りぼっちとか…面倒くさいこと言うな」




 真っ赤にさせた顔を背け続けるラライ。
 それは、エミレスも良く知っている顔だった。
 ついこの先日までの、自分と同じ顔だった。
 だからこそそれがラライの本心であると、エミレスは思った。
 本当の想い。
 本当の気持ち。
 エミレスは目を大きく見開き、ゆっくりと瞬かせる。

「…うん………」

 その言葉と共に、エミレスにはまた別の感情が溢れ出る。



 エミレスは思い出した。
 ―――ラライ。
 彼だけはいつも本当の気持ちを、感情をぶつけてくれていたことを。
 頬を打ったり、孤独になった自分を支えてくれたり、一緒に変わろうと言ってくれたのも、ラライだったことを。



 どうして、彼のことを忘れていたのだろう。
 こんなにも、こんなにも想ってくれている人がいたのに。
 ずっと独りじゃなかったのに…。



 ラライはぎこちなく、しかし今までにないほど自然な微笑みを返していた。
 それを見つめるエミレスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていった。

「……ありがとう…」








   
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

隠された第四皇女

山田ランチ
ファンタジー
 ギルベアト帝国。  帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。  皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。 ヒュー娼館の人々 ウィノラ(娼館で育った第四皇女) アデリータ(女将、ウィノラの育ての親) マイノ(アデリータの弟で護衛長) ディアンヌ、ロラ(娼婦) デルマ、イリーゼ(高級娼婦) 皇宮の人々 ライナー・フックス(公爵家嫡男) バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人) ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝) ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長) リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属) オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟) エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟) セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃) ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡) 幻の皇女(第四皇女、死産?) アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補) ロタリオ(ライナーの従者) ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長) レナード・ハーン(子爵令息) リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女) ローザ(リナの侍女、魔女) ※フェッチ   力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。  ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

婚姻初日、「好きになることはない」と宣言された公爵家の姫は、英雄騎士の夫を翻弄する~夫は家庭内で私を見つめていますが~

扇 レンナ
恋愛
公爵令嬢のローゼリーンは1年前の戦にて、英雄となった騎士バーグフリートの元に嫁ぐこととなる。それは、彼が褒賞としてローゼリーンを望んだからだ。 公爵令嬢である以上に国王の姪っ子という立場を持つローゼリーンは、母譲りの美貌から『宝石姫』と呼ばれている。 はっきりと言って、全く釣り合わない結婚だ。それでも、王家の血を引く者として、ローゼリーンはバーグフリートの元に嫁ぐことに。 しかし、婚姻初日。晩餐の際に彼が告げたのは、予想もしていない言葉だった。 拗らせストーカータイプの英雄騎士(26)×『宝石姫』と名高い公爵令嬢(21)のすれ違いラブコメ。 ▼掲載先→アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ

勇者の凱旋

豆狸
恋愛
好みの問題。 なろう様でも公開中です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...