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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
59連
しおりを挟む―――あの日。
エミレスにはわからない単語だった。
『あの日』というのは一体いつのことか。
そして何があったのか。
エミレスには、わからなかった。
「本当なら今すぐにでも出て行って欲しいのよ。でも私は心が広いから、顔を合わせないようにしてあげてたの。スティンバルだって貴方には言ってないけど常々愚痴っていたわ。『どうしてこうも似てない妹なのか』ってね」
前向きに自分を見つめようとしていたエミレスにとって、ベイルの言葉は何よりも冷酷で、そして無情に突き刺さった。
どんなに頭の中を真っ白にしようとしても、脳内で復唱してしまうくらいに。
出て行ってくれればよかった。
嫌いだった。
醜い。
相手がリャン=ノウのように心を許している人間だったなら、もっと言い返せたかもしれない。
相手がフェイケスやラライの悪口を言っているのならば、もっと怒りを露に出来たかもしれない。
しかし、ベイルの言葉はそのどれにも当てはまらない。
何より最もエミレスが傷ついたのは、本人を前にしてそれを言っていることだった。
「…うぅ…!」
「傷つく余裕があるくらいなら、今すぐ目の前から消えてくれる? さっさと消えちゃってくれないかしら、ほら」
追いやるように手を払って見せるベイル。
エミレスはそこで限界が来てしまった。
その場に居た堪れなくなり、部屋を飛び出したのだ。
自分が寝間着姿で素足のままだということも忘れ、行き先も決めずに。
ただ夢中で、逃げたい一心で走り出してしまったのだ。
彼女に誘導されたことにも気付かず、部屋を出て行ってしまったエミレス。
残されたベイルは独り静かに、再び紅茶を啜る。
少しだけ口を濁した程度でカップを置き、彼女はその場から立ち上ろうとした。
が、上手く立ち上がれず、ベイルはその場に崩れ落ちた。
気付けば手足は震えきっており、腰が抜けてしまったようだった。
「―――こんなにも生きた心地がしないなんて…思わなかった…」
深呼吸と共に吐き出された言葉。
彼女自身、エミレスに投げかけた罵声が何を意味していたか、嫌と言う程理解していた。
一つ、王女を傷つけない。
一つ、王女にショックを与えてはいけない。
一つ、王女を悲しませてはいけない。
一つ、王女の嫌がることをしない
何せこの『忠告』を最初に提示したのはスティンバルとベイルなのだ。
それを犯せばどんな恐ろしい結末が待っていることか。
彼女は誰よりも理解していたのだ。
「でも、何もなかった…あの話は本当だったようね…」
ベイルはゆっくりと立ち上がり、もう一度深く呼吸を繰り返した。
それから、生気の抜け出た人形のように、彼女は開きっぱなしの扉から部屋を出た。
扉を閉めることもなく廊下に出たベイルは、エミレスの走り去った方向を見つめる。
その先は階段―――そして城外へ出られる正門へと続いている。
「…これで良いんでしょう?」
ベイルは目を細めさせながら呟く。
廊下は雨風の侵入を防ぐべく全ての窓が塞がれていた。
ランプの明かりのみが頼りの薄暗い通路の奥。
外から叩きつける豪雨の音だけが、暗闇の向こうでいつまでも響いていた。
エミレスは逃げるように無我夢中で駆けていた。
何処へ向かおうという目的はなく。
ぐちゃぐちゃになった気持ちから、義姉に言われた言葉から。
逃げるように彼女は走った。
階段を上るより、下りる方が楽だから。
城に自分の居場所を感じられなくなったから。
エミレスの足は自然と、城の外へと向かっていった。
本来ならば城の正門には門番が待ち構えているだろうが、何故か人影はなく。
両開きの大きな扉は僅かに開いたままであった。
彼女はそんな違和感に気付くこともなく、扉の向こうへと飛び出して行った。
(ラライ…リャン、リョウ―――フェイケス…!)
エミレスの姿は雨風が強まる闇の中へと消えて行った。
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