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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

36連

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 泣き崩れるエミレスの、数歩分後方にいたラライは無意識に顔を逸らし、眉を顰めていた。
 と、エミレスへと近寄る足音。
 ラライは逸らしていた顔を戻し、近付く人影を睨む。
 それは、瑠璃色のドレスを纏った麗しい女性であった。

「顔をあげなさい、エミレス。折角の可愛い顔が台無しよ」
「……お義姉様………その…」

 お義姉様と呼ばれた彼女は、エミレスへ目線を合わせるように屈みこむ。 
 そして穏やかに微笑んだ義姉は、取り出したハンカチをエミレスに手渡した。

「エミレス――」

 玉座に座ってままであった兄が、エミレスへ言葉を掛けようとする。
 だが、彼の言葉を遮るかの如く、義姉が先に口を開いた。

「―――此処までの道中色々あって疲れたでしょう? 身体もこんなに薄汚れているし…今日は部屋に戻って早く休んだ方が良いわ」

 エミレスの返答も聞かず、義姉は彼女の肩を抱く。
 それからそそくさとエミレスを謁見の間の外へと導き始めた。
 エミレスとしては、人前をさっさと抜け出せられる有り難い助け舟ではあった。
 しかし、今のエミレスは、あともう少しだけ、兄たちと会話をしたかった。

「あ、あの…」

 半ば強引に連れて行かれる中、エミレスは振り返り兄の方を一瞥する。
 『もう少しだけ会話をさせてください』
 それがもっとちゃんと言えたなら、どれだけ良かったことか。
 だがエミレスの微かな声は誰の耳にも届いてはいなかった。
 ただ一人を除いては。

「それじゃあ私はエミレスを部屋に連れて行くわね」
「ああ、すまないなベイル」

 その言葉を残し。
 更にはそこまで付き添っていた乳母や密偵さえも残して。
 二人は謁見の間を出て行ってしまった。
 




 強引に腕を掴まれ、部屋へと案内されるエミレス。

「お義姉様…」

 声を掛けるが、聞こえていないといった様子で。
 前方を歩くベイルの足は一向に止まらない。
 と、思っていたが、間もなく足は止まった。

「この部屋よ」

 エミレスの手を解放すると同時に、目の前の扉を開け放つベイル。
 その室内はノーテルの別邸よりも小振りな部屋。
 装飾の類も他の客室や廊下より少なく見える。
 しかし、そんなこの部屋にエミレスは見覚えがあった。

「此処は貴方が9歳まで使っていた部屋よ。懐かしいでしょ?」
「…はい……」

 飾ってあるぬいぐるみ。
 壁に作ってしまった傷跡や落書き。
 ベッドの天幕にひっそりとあるシミ。
 そのどれもが彼女にようやく、懐かしさを与えた。

「一応侍女たちが毎日掃除していたわけだし、問題ないはずよ。それじゃあ、私はこれで」

 しかし、エミレスは浮かばない表情でいた。
 義姉は踵を返し、ドアノブに手を掛ける。
 が、それに気づいたエミレスは彼女を呼び止めた。

「あ、あの…」
「何かしら?」
「……お兄様と…お話し…」
「あ、今日はもう無理よ。貴方もあの人も疲れているわ。それにもう会えないわけじゃないんだから…明日でも良いでしょ?」

 早口で淡々と話す彼女の言葉が、まるで氷柱を突きつけられたように刺さっていく。
 先ほどまでの笑みはなく、冷淡とも取れる顔を見せるベイルへ、エミレスは俯きながら「…そうですね」と零した。
 
「じゃあ、私は戻るわね。困ったことは世話役のクレアに聞いて頂戴」

 最後に義姉はそう言い残し、扉を閉めた。
 独り残されたエミレスはおもむろに近くの椅子に腰掛ける。
 艶やかな装飾の、しかし随分と色褪せてしまっている椅子。
 しかし、彼女がこの椅子に座っていた記憶は少ない。
 幼女には大きめのこの椅子は、現国王である兄と、父、そして母のための特等席だったからだ。

「懐かしい…」

 向かい合う小さ目の椅子にはいつも幼い頃のエミレスがいた。
 蘇る記憶の光景で、其処に座る彼女達は満面の笑みを浮かべていた。
 兄がいつもいて、その隣には義姉がいて。
 三人はいつも一緒だったのだ。
 そしていつも、この部屋で色々語ったり遊んだりして、幸せだった。

(もう…あの頃には戻れないのかな……)

 ふと過ぎる不安にエミレスの顔色が曇る。
 楽しかった幼少の日々が、笑いの耐えなかったあの日々がまた戻ってくる。そうエミレスは信じていた。
 そう願うことでリャン=ノウやリョウ=ノウ、そしてフェイケスたちのいないこの悲しみを忘れられると思っていた。
 しかし、そう願っていた結果―――今、彼女は独りだった。
 この狭い部屋に懐かしさがあっても、思い出があっても―――喜びと幸福がない。
 押し寄せてくる感情は、悲しみと寂しさだった。
 明かりもつけず暗闇の中で、エミレスは独りですすり泣く。
 





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