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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
28連
しおりを挟むそこから、ようやく進展があったのは夕暮れだろう朱い日差しが幌の中に射し込んできた頃。
馬車の外から聞こえてきたドスン、という音。
直後、それまでずっと動かないでいた男が立ち上がり、馬車の外へと飛び出した。
「遅いぞ、じいさん!」
「すまん、色々と手間取ったわい」
聞こえてきた第三者の声は初老と思われる男性のしゃがれた声。
男の言葉から察するに、待っていた人物は間違いなく彼のことだろう。
「んで、エミレス様は…?」
「寒いらしくってな、ずっと震えてんだ」
と、幌が揺れ、隙間の向こうから二人が顔を覗かせた。
先ほどまでいた彼とは別に―――優しそうな物腰とは裏腹に額から頬にかけて大きな傷が印象的な―――初老の男の姿がある。
首謀者と思われる人物の登場に、エミレスは恐怖に耐え、身体を出来る限り縮めた。
その直後、男の怒声が響く。
「ばかもん! なんも話しとらんのか、お前は…!!!」
怒号とほぼ同時に聞こえてきた鈍い音。
そして男の呻き声も聞こえてくる。
「っつーーーッ!! 説明って面倒だろ……そういや、何も話してなかったな…」
初老の男の呆れ果てたと言わんばかりのため息をつく。
と、突然幌の中へとなだれ込むように入る二人。
拳骨が落ちただろう頭を押さえたままでいる男と、そんな彼を引っ張る初老の男。
二人は予想外の行動に出た。
「申し訳ございません、エミレス様!」
その言葉にエミレスは思わず目を丸くする。
「オレはてっきり寒いもんだとばかり思ったんだが…」
「どう見ても怯えて震えとるんじゃ、本当にばかもんが…!!」
そぼやく男の頭を掴み、これでもかと強引に下げさせる初老の男。
穏やかそうな顔つきからは想像も付かないような鬼の形相は、エミレスにまた別の恐怖を抱かせる。
「あ、ああの…」
「……そうですな、申し送れましたが私めはゴンズ。こやつはラライと言います…リャン=ノウに雇われとります密偵でさぁ」
聞き馴染みのあるその名前にエミレスは瞳を大きくさせる。
「リャンの…」
するとゴンズと名乗った初老の男はあることに気付き、突然幌の外へと飛び出して行く。
どうしたのかと首を傾げる間もなく、彼は戻ってきて両手に抱えている荷袋を取り出した。
「とにかく。まずはお召し物を着替えくだせぇ。風邪を引いては困りますんで」
疑心はまだ抱いたままであったが、エミレスは恐る恐る荷袋へと手を伸ばす。
“リャン=ノウ”の名を信じて受け取ったその袋の中には、いくつかの衣服や小物が詰まっていた。
「有事の際にはと、リャン=ノウより預かっていた荷です」
「有事の際って…?」
その質問にゴンズはあからさまな渋った顔を見せる。
「すみません…まずは着替えて、落ち着いてからにしやしょう。ちゃんと全部お話しするんで…」
そう言ってゴンズと、ついでに引っ張られながらラライも幌の向こうへと消えていく。
独り残されたエミレスには新たな不安と恐怖が襲い始める。
(有事の際って…何かあったってこと? どうして? リャンと喧嘩して勝手に出て行ってしまっただけなのに…)
ざわざわとした胸騒ぎにエミレスは眉を顰める。
つい先日まであった穏やかな日常が、崩れていくような。
もう二度と戻って来ないような不安に、押しつぶされそうになる。
「寒い…」
少しばかりは乾いているが、とはいえ、未だ不快感の残る濡れた衣服。
とりあえずは着替えようとエミレスは震える指先で、服を脱いでいく。
「あ…」
と、胸元からゴトリと音を立てて何かが落ちていく。
それは、友人からの大切な贈り物だった。
チェーンは引き千切られてしまったため、大事に懐へとしまっていた。
「フェイケス…」
透き通った水晶が彼の笑顔と重なって映る。
ぐちゃぐちゃになっている感情を整理するように。
彼に助けを求めるかのように。
エミレスは独り、静かにその水晶を握り締めた。
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