9 / 18
9.私の家だった、家
しおりを挟む
「どうして急に」
「俺もお線香あげたいしな。その本を読んだらあっさり逝っちゃうかもしれないんだし、ご両親の顔も見収めておきたいだろ」
今日は月曜日。父親も午後は休みで家にいるはずだ。彼がこのことを知っていたとは思えないが、タイミングがいいし、確かにもう一度しっかり両親の姿を見ておきたかった。
私が最初の頃に自宅周辺を漂っていた三日間は、両親ともズタボロという感じだったが、少しは回復しているだろうか。私のことを悲しむのはほどほどにして、前を向いて生きていってほしい。それが親不孝な私の、精いっぱいの願いだ。
「今日はお父さんもいるから、『君は娘の何だ。彼氏か何かか』とか言われるかもしれないけど、大丈夫?」
「こんなに時間が経ってから線香をあげにいく彼氏がいるか? それに、ご両親とも俺のことは知ってるよ」
言われてみればそうだ。彼は私の死後の体と魂の第一発見者なのだし、既に話はしているに違いない。
結局、これから私の家へと向かうことになった。いつもの待ち合わせ場所であるここ、図書館から歩いて三十分ほどで着く。
残暑が厳しいと思っていたのも過ぎてみれば束の間。すっかり夏の気配は遠ざかり、気付けば辺りは秋の色に染まっていた。そう間もないうちにコートが必要になり、手袋が必要になり、人々は冬支度を整えるのだろう。今街を歩く人々は薄手のコートを羽織る人もちらほらいて、冬の訪れを予感させていた。
出会ったときは半袖のワイシャツ姿だった彼も詰襟の長袖を着るようになっていた。暑さも寒さも、風すら感じない私には、こういうところでしか季節の移り変わりを実感できなかった。
夏の間に繁茂していた道路わきの草たちもすっかり勢いをなくし、茶色に変じ始めていた。
最近は日が落ちるのも早い。今はまだ明るいが、夕焼けになったと思えばあっという間に辺りは暗くなる。なるべく早いうちに彼を返さなくては。男子とは言え、やはり気になった。
そんなことを考えながら家へと向かううち、ふと疑問が沸いた。
「そういえば、部活とかはやってないの? 放課後こんなに出歩いてて大丈夫なのか急に心配になったんだけど」
「今更だな。俺は何もやってないよ。あんたは?」
「帰宅部。毎日図書館に通うのが忙しかったから、部活なんてやる暇なくて」
まあ、そうだろうな、というように彼は頷いて、少しだけ笑った。
彼は不思議な人だった。
こんな私を見ても驚くどころか普通に話し出してしまったし、しかも毎日こうして付き合ってくれている。そういうところは変な人だなと思うのに、話してみればいたって普通の感覚を持ち合わせた、普通の人だ。私のことを新聞社やテレビに売ろうなどという野心もちらりとも見せないし、私と話しているときもそれなりに楽しそうにしている。
幽霊と話したって、何も生まれはしないのに。私はどうせいなくなってしまうのに。
彼は自分のためだと言ってくれたけど、私のためであることはもう間違いない。
とことんなお人よしだと思う。
やっと私の家に着く頃にはお喋りも尽きていた。
というより、私の中に言葉が浮かんでこなくなってきていた。それは私の中に既に大した言葉が残っていないのか、それともやはり久しぶりに両親を見る期待で気もそぞろになっているのか。
「何か両親に伝えたいことは?」
聞かれて考えたが、すぐに首を振った。
言葉にできることなんて、一つもない。胸に想いはあれど、それをそのまま彼に伝えてもらうことはできない。自分が彼に伝えることすらできない。
「家にいるかな」
以前と変わりなく見える、我が家。正確に言えば、「私の家だった、家」。もうここには両親しか住んでいないのだから。
「この時間だし、たぶんいるんじゃないかな」
私がそう答えると、彼は頷いてチャイムを押した。いきなりだった。もう少し心の準備がしたかったのに。
いや、どれだけ時間があったところでそんなものは無駄なのだ。
どうせ思いは言葉にならない。できることも何もない。
大事な機会なのかもしれない。けれど、私にそれを活かすことはできない。
そんなことを考えているうちにドアホンから「はい」と短く応えがあって、彼が名前とお線香をあげたい旨を伝えると、ドアが内側から開かれた。
「俺もお線香あげたいしな。その本を読んだらあっさり逝っちゃうかもしれないんだし、ご両親の顔も見収めておきたいだろ」
今日は月曜日。父親も午後は休みで家にいるはずだ。彼がこのことを知っていたとは思えないが、タイミングがいいし、確かにもう一度しっかり両親の姿を見ておきたかった。
私が最初の頃に自宅周辺を漂っていた三日間は、両親ともズタボロという感じだったが、少しは回復しているだろうか。私のことを悲しむのはほどほどにして、前を向いて生きていってほしい。それが親不孝な私の、精いっぱいの願いだ。
「今日はお父さんもいるから、『君は娘の何だ。彼氏か何かか』とか言われるかもしれないけど、大丈夫?」
「こんなに時間が経ってから線香をあげにいく彼氏がいるか? それに、ご両親とも俺のことは知ってるよ」
言われてみればそうだ。彼は私の死後の体と魂の第一発見者なのだし、既に話はしているに違いない。
結局、これから私の家へと向かうことになった。いつもの待ち合わせ場所であるここ、図書館から歩いて三十分ほどで着く。
残暑が厳しいと思っていたのも過ぎてみれば束の間。すっかり夏の気配は遠ざかり、気付けば辺りは秋の色に染まっていた。そう間もないうちにコートが必要になり、手袋が必要になり、人々は冬支度を整えるのだろう。今街を歩く人々は薄手のコートを羽織る人もちらほらいて、冬の訪れを予感させていた。
出会ったときは半袖のワイシャツ姿だった彼も詰襟の長袖を着るようになっていた。暑さも寒さも、風すら感じない私には、こういうところでしか季節の移り変わりを実感できなかった。
夏の間に繁茂していた道路わきの草たちもすっかり勢いをなくし、茶色に変じ始めていた。
最近は日が落ちるのも早い。今はまだ明るいが、夕焼けになったと思えばあっという間に辺りは暗くなる。なるべく早いうちに彼を返さなくては。男子とは言え、やはり気になった。
そんなことを考えながら家へと向かううち、ふと疑問が沸いた。
「そういえば、部活とかはやってないの? 放課後こんなに出歩いてて大丈夫なのか急に心配になったんだけど」
「今更だな。俺は何もやってないよ。あんたは?」
「帰宅部。毎日図書館に通うのが忙しかったから、部活なんてやる暇なくて」
まあ、そうだろうな、というように彼は頷いて、少しだけ笑った。
彼は不思議な人だった。
こんな私を見ても驚くどころか普通に話し出してしまったし、しかも毎日こうして付き合ってくれている。そういうところは変な人だなと思うのに、話してみればいたって普通の感覚を持ち合わせた、普通の人だ。私のことを新聞社やテレビに売ろうなどという野心もちらりとも見せないし、私と話しているときもそれなりに楽しそうにしている。
幽霊と話したって、何も生まれはしないのに。私はどうせいなくなってしまうのに。
彼は自分のためだと言ってくれたけど、私のためであることはもう間違いない。
とことんなお人よしだと思う。
やっと私の家に着く頃にはお喋りも尽きていた。
というより、私の中に言葉が浮かんでこなくなってきていた。それは私の中に既に大した言葉が残っていないのか、それともやはり久しぶりに両親を見る期待で気もそぞろになっているのか。
「何か両親に伝えたいことは?」
聞かれて考えたが、すぐに首を振った。
言葉にできることなんて、一つもない。胸に想いはあれど、それをそのまま彼に伝えてもらうことはできない。自分が彼に伝えることすらできない。
「家にいるかな」
以前と変わりなく見える、我が家。正確に言えば、「私の家だった、家」。もうここには両親しか住んでいないのだから。
「この時間だし、たぶんいるんじゃないかな」
私がそう答えると、彼は頷いてチャイムを押した。いきなりだった。もう少し心の準備がしたかったのに。
いや、どれだけ時間があったところでそんなものは無駄なのだ。
どうせ思いは言葉にならない。できることも何もない。
大事な機会なのかもしれない。けれど、私にそれを活かすことはできない。
そんなことを考えているうちにドアホンから「はい」と短く応えがあって、彼が名前とお線香をあげたい旨を伝えると、ドアが内側から開かれた。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
back beat 完全版
テネシ
青春
短編の自主制作映画化を前提に戯曲形式で書いていた「back beat」シリーズを一本の長編映画戯曲化し、加筆修正を加えて一つに纏めました。
加筆修正エピソード
2章 ~Colors~
3章 ~プロポーズ~
4章~mental health+er~
作中に登場する「玲奈」のセリフに修正が御座います。
大幅な加筆が御座います。
この作品は自主制作映画化を前提として戯曲形式で書かれております。
宮城県仙台市に本社を構えるとある芸能プロダクション
そこには夢を目指す若者達が日々レッスンに励んでいる
地方と東京とのギャップ
現代の若者の常識と地方ゆえの古い考え方とのギャップ
それでも自分自身を表現し、世に飛び出したいと願う若者達が日々レッスンに通っている
そのプロダクションで映像演技の講師を担当する荏原
荏原はかつて東京で俳優を目指していたが「ある出来事以来」地元の仙台で演技講師をしていた
そのプロダクションで起こる出来事と出会った人々によって、本当は何がしたいのかを考えるようになる荏原
物語は宮城県仙台市のレッスン場を中心に繰り広げられていく…
この物語はフィクションであり、作中に登場する人物や会社は実在しておりません。
通常はト書には書かず絵コンテで表現する場面も、読んで頂くことを考えト書として記載し表現しております。
この作品は「アルファポリス」「小説家になろう」「ノベルアップ+」「エブリスタ」「カクヨム」において投稿された短編「back beat」シリーズを加筆修正を加えて長編作品として新たに投稿しております。
この物語はフィクションであり、作中に登場する人物や会社は実在しておりません。
早春の向日葵
千年砂漠
青春
中学三年生の高野美咲は父の不倫とそれを苦に自殺を計った母に悩み精神的に荒れて、通っていた中学校で友人との喧嘩による騒ぎを起こし、受験まで後三カ月に迫った一月に隣町に住む伯母の家に引き取られ転校した。
その中学で美咲は篠原太陽という、同じクラスの少し不思議な男子と出会う。彼は誰かがいる所では美咲に話しかけて来なかったが何かと助けてくれ、美咲は好意以上の思いを抱いた。が、彼には好きな子がいると彼自身の口から聞き、思いを告げられないでいた。
自分ではどうしようもない家庭の不和に傷ついた多感な少女に起こるファンタジー。
My Angel -マイ・エンジェル-
甲斐てつろう
青春
逃げて、向き合って、そして始まる。
いくら頑張っても認めてもらえず全てを投げ出して現実逃避の旅に出る事を選んだ丈二。
道中で同じく現実に嫌気がさした麗奈と共に行く事になるが彼女は親に無断で家出をした未成年だった。
世間では誘拐事件と言われてしまい現実逃避の旅は過酷となって行く。
旅の果てに彼らの導く答えとは。
妊娠したのね・・・子供を身篭った私だけど複雑な気持ちに包まれる理由は愛する夫に女の影が見えるから
白崎アイド
大衆娯楽
急に吐き気に包まれた私。
まさかと思い、薬局で妊娠検査薬を買ってきて、自宅のトイレで検査したところ、妊娠していることがわかった。
でも、どこか心から喜べない私・・・ああ、どうしましょう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる