四十九日のモラトリアム

笹木柑那

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9.私の家だった、家

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「どうして急に」
「俺もお線香あげたいしな。その本を読んだらあっさり逝っちゃうかもしれないんだし、ご両親の顔も見収めておきたいだろ」

 今日は月曜日。父親も午後は休みで家にいるはずだ。彼がこのことを知っていたとは思えないが、タイミングがいいし、確かにもう一度しっかり両親の姿を見ておきたかった。
 私が最初の頃に自宅周辺を漂っていた三日間は、両親ともズタボロという感じだったが、少しは回復しているだろうか。私のことを悲しむのはほどほどにして、前を向いて生きていってほしい。それが親不孝な私の、精いっぱいの願いだ。

「今日はお父さんもいるから、『君は娘の何だ。彼氏か何かか』とか言われるかもしれないけど、大丈夫?」
「こんなに時間が経ってから線香をあげにいく彼氏がいるか? それに、ご両親とも俺のことは知ってるよ」

 言われてみればそうだ。彼は私の死後の体と魂の第一発見者なのだし、既に話はしているに違いない。
 結局、これから私の家へと向かうことになった。いつもの待ち合わせ場所であるここ、図書館から歩いて三十分ほどで着く。
 残暑が厳しいと思っていたのも過ぎてみれば束の間。すっかり夏の気配は遠ざかり、気付けば辺りは秋の色に染まっていた。そう間もないうちにコートが必要になり、手袋が必要になり、人々は冬支度を整えるのだろう。今街を歩く人々は薄手のコートを羽織る人もちらほらいて、冬の訪れを予感させていた。

 出会ったときは半袖のワイシャツ姿だった彼も詰襟の長袖を着るようになっていた。暑さも寒さも、風すら感じない私には、こういうところでしか季節の移り変わりを実感できなかった。

 夏の間に繁茂していた道路わきの草たちもすっかり勢いをなくし、茶色に変じ始めていた。
 最近は日が落ちるのも早い。今はまだ明るいが、夕焼けになったと思えばあっという間に辺りは暗くなる。なるべく早いうちに彼を返さなくては。男子とは言え、やはり気になった。
 そんなことを考えながら家へと向かううち、ふと疑問が沸いた。

「そういえば、部活とかはやってないの? 放課後こんなに出歩いてて大丈夫なのか急に心配になったんだけど」
「今更だな。俺は何もやってないよ。あんたは?」
「帰宅部。毎日図書館に通うのが忙しかったから、部活なんてやる暇なくて」

 まあ、そうだろうな、というように彼は頷いて、少しだけ笑った。
 彼は不思議な人だった。
 こんな私を見ても驚くどころか普通に話し出してしまったし、しかも毎日こうして付き合ってくれている。そういうところは変な人だなと思うのに、話してみればいたって普通の感覚を持ち合わせた、普通の人だ。私のことを新聞社やテレビに売ろうなどという野心もちらりとも見せないし、私と話しているときもそれなりに楽しそうにしている。
 幽霊と話したって、何も生まれはしないのに。私はどうせいなくなってしまうのに。
 彼は自分のためだと言ってくれたけど、私のためであることはもう間違いない。
 とことんなお人よしだと思う。

 やっと私の家に着く頃にはお喋りも尽きていた。
 というより、私の中に言葉が浮かんでこなくなってきていた。それは私の中に既に大した言葉が残っていないのか、それともやはり久しぶりに両親を見る期待で気もそぞろになっているのか。

「何か両親に伝えたいことは?」

 聞かれて考えたが、すぐに首を振った。
 言葉にできることなんて、一つもない。胸に想いはあれど、それをそのまま彼に伝えてもらうことはできない。自分が彼に伝えることすらできない。

「家にいるかな」

 以前と変わりなく見える、我が家。正確に言えば、「私の家だった、家」。もうここには両親しか住んでいないのだから。

「この時間だし、たぶんいるんじゃないかな」

 私がそう答えると、彼は頷いてチャイムを押した。いきなりだった。もう少し心の準備がしたかったのに。
 いや、どれだけ時間があったところでそんなものは無駄なのだ。
 どうせ思いは言葉にならない。できることも何もない。
 大事な機会なのかもしれない。けれど、私にそれを活かすことはできない。
 そんなことを考えているうちにドアホンから「はい」と短く応えがあって、彼が名前とお線香をあげたい旨を伝えると、ドアが内側から開かれた。
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