メイコとアンコ

笹木柑那

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第二章 家族とか

2.家

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「いきなり一人フェス始めるとか。本当他人事で聞いてる分には楽しいんだけどねー」

「ひやっとするわ。階下から『ドン!』って天井突きあげられるんじゃないかとか。隣から『うるさい!』って怒号がとんでくるんじゃないかって」

「騒音はねー。お互い辛いところよね。うるさくなっちゃう方も、それを聞かされる方も」

 私も『うるさい』と思う方の気持ちがわかるだけに、常々申し訳ないと思っている。
 やっと母が寝てくれて自分も休めると思ったら、突然隣でパーリナイが始まりどんちゃか騒ぎで母が起きてしまう。
 ただでさえ夜中のトイレに付き合わなきゃいけなくてまとまって寝れる時間は少ないのに。
 赤ちゃんがいる家でも同じような苦労をするだろう。
 寝た子を起こされることほど腹立たしいものはない。

「生活音でうるさいのと、楽しくて騒いでうるさいのとは根本的に違うと思うけどね。相手にとってみたら、『お互い様でしょ』なのよ」

 なるべく静かにしようと苦心していてもそうなってしまう。それだけの苦労を認めてほしい気持ちはある。
 だが事実としてうるさくて迷惑をかけているということは変わらないのは確かだ。
 精神論で騒音を耐えられる人と、耐えられない人がいる。それは責められない。

 過去、隣で騒いでる人に『お互い様だからお宅も気にせず友達と飲み会でもなんでもやっていいよ』と言われたこともある。
 だが私は他人に迷惑をかけてまで自分のストレスを発散したいとは思わない。
 そもそも、他人に迷惑をかけていると思うこと自体がストレスだ。
 うるさく感じるのはその人だけでなく、反対側の隣だって上下だって接しているのだから。

「介護で騒音ねえ。小さい子供がいて騒音に悩まされるってのはよく聞くけどね」

 介護と育児は似て非なるものである。
 徘徊していて通報というのはあるだろうが、介護で騒音が理由というのはあまり聞かないかもしれない。
 だが実際は子供よりも体重があるから音もすごいし、無理に抑え込むにも体が大きいから対応が難しい。
 大学の時に一人暮らしのアパートに来たときでさえ、母が普通に歩く足音はどしんどしんと響いて、いつもいつも注意していた。田舎の一軒家で育ち、足音に気を付けて歩くという習慣がないから特にひどいのだろう。
 母に注意する度、『はいはいすみませんね!』と逆切れされていたことを思い出す。
 老齢になるとうまく足が動かないというのもあるだろうし、苦労するのは子供だけではないのだ。

「まあ、小さい子も言うこと聞かせられないって点では苦労は同じかもね。無理矢理抱え上げたって、今度は泣きわめくだろうし。そうしたら余計にうるさくなっちゃうし、もうどうしたらいいのってなるよね」

 会社の先輩も言っていた。
 ハイハイの頃は動き回ってもかわいいかわいいと言っていられた。ベビーゲートなどで行動範囲も制限できる。
 しかし歩くようになると途端に足音が気になるのだという。
 小さい子の足音なんて大したことないのではと思ったが、歩き方がまだ上手ではないから、体重を乗せて歩くし、踵が結構響くんだそうだ。
 転んだ時の衝撃を和らげるためにクッション性のあるマットは元々敷いていたらしいのだが、それでもピンポーンと「うるさい!」の苦情が来る。
 ネットで対策を調べて、クッション性のあるスリッパを履かせてみても、すぐに脱げてしまうし、邪魔だと脱いでしまう。
 靴を履かせてみても、すぐに転んでしまってその音がまたうるさいとクレームがくる。
 防音マットを買い、部屋も廊下も歩くところは全て敷き詰めたというが、それでもピンポーンと来る。それだけの広さに敷いているから何万円もかかっているのに、それでもうるさいと言われてしまえば、あとは改築でもするしかない。だが賃貸ではそれもできない。
 子供に歩くなと言うのは無理な話だ。
 静かに歩けといって、できるわけでもない。今まさに、歩く練習をしているところなのだから。
 慣れて走り回るようになるとまた大変で、その頃の子供に「走るな! 歩け! 静かに!」と言って聞くわけもない。
 子供が大人しく言うことを聞いてくれるなら、イヤイヤ期という言葉も育児疲れという言葉も聞かれないはずだから。

 その先輩は、一日に何度もピンポンピンポーンと鳴らされて、その度にドアを開けて対応し、申し訳ありませんと謝り倒していたという。対策をしている旨も伝えるが、「やることやってるならしょうがないな」とはならない。
 許せる心があるなら最初から何度もしつこくチャイムを鳴らしたりしない。
 絶対にどうにかしてほしい。静かになるまで許さない。その姿勢の表れなのだから。

 結局家にいると、またチャイムを鳴らされるのではないかとピンポンに怯えるようになり、宅配を受け取るのも嫌になり、引っ越しを決意したという。
 『もう引っ越しますので、それまでご迷惑をおかけするかもしれませんが申し訳ありません』と伝えても、ピンポンの頻度は変わらなかったそうだ。
 またマンションやアパートに引っ越せば、同じ目に遭う。
 引っ越すとしたら一軒家しかない。
 だがアパートと違って一軒家などそう簡単に買えるものではない。
 それでもピンポンの恐怖に耐え切れず、近くのオープンハウスを見に行き、一週間で決めたそうだ。
 引っ越した後、隣だけでなく道を挟んだ前後や、通りの何軒かのお店に挨拶に行き、小さい子供がいるため迷惑をかけるかもしれない、申し訳ないと頭を下げて回ったらしい。
 それでもしばらくはピンポンとなるたびに怯える日々は続いたらしい。

「ようやっと子供が多少騒いでてもクレームが来ないってわかって安心できるまで、三か月はかかったらしいよ」

「もうほとんどトラウマだよね」

 人に迷惑をかけてはいけない。
 自分が反対の立場だったら当然うるさいと思うだろう。

 そう思うから、余計に申し訳なくなるし、かといって根本的に解決できることではないから、責められても対処ず、ずっと責め立てられることになる。
 それは苦行でしかない

「一人で静かに誰にも迷惑かけずに暮らしてる身からしたら、なんで自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだ! って思うよね。一方的で理不尽だって。同じ家賃払ってるんだしさ」

「そうね。でもこの話の怖いところは、この先にあるのよ」

 その先輩が引っ越したのは近所だった。
 どこも空きがないから保育園は変えられない。夫婦とも勤務先も変えられるわけじゃないから。
 だがそうすると、元のアパートの前を通りがかる機会がある。
 つい、気になって見てしまうのだが、六戸のうちの、その先輩が住んでいた部屋だけ、新しく誰かが住み始めたな、と思っても、またすぐにシャッターがしまりっぱなしになってしまうんだそうだ。
 干してある洗濯物には大抵小さな子供のものが混じっている。
 何故ならそのアパートは4LDKで、家族向けだったからだ。
 階下に住んでいたのは、それなりの年の夫婦で、子供を望めるような年齢ではなかったそうだ。
 そりゃあ自分の家には子供がなくて、他人には迷惑をかけていないのに、何故うちだけが迷惑をかけられなければならないのかと思うだろう。
 不満はわかる。

 だが、だったら家族向けではないアパートに住めばよかったのではないかと思ってしまう。
 その後も何軒も家族連れが引っ越してきては去って行きの繰り返しなのは、おそらく、先輩たちがクレームによって折れて引っ越したから、これはいけると味をしめたのだろう。
 気に入らなければ追い出せばいい。
 だって、うるさい方が悪いのだから。
 こちらは何も迷惑をかけていないのだから。
 正義はこちらにある。
 そう考えたのかもしれない。心優しき先輩の気遣いが、申し訳なさが、最初は「申し訳ないけどもう少し静かにいてくれる?」という言い分だったその夫婦を助長させてしまったのかもしれない。

 ちなみに、先輩たちが引っ越しを決め、退去の挨拶にいくと、「そんなつもりじゃなかったのに」と言われたらしい。

「はあ? だよね」

「そうね。じゃあ、どんなつもりだったのかって聞きたいなと思ったよ」

 対策もしている。子供にもわからないだろうと思いながらも毎日必死に言い聞かせている。
 ネットで調べて、できることはなんでもした。
 それでも、騒音をまったくなくすことはできなかったのだ。引っ越す以外にどんな道があったというのだろう。

 その先輩は会社の社宅扱いで部屋を借りていて、八割の補助があった。それを自己都合で引っ越したため、もう補助は受けられないし、退去費用もかさんだ。
 住宅ローンの支払いのため、時短勤務を取りやめてフルタイムで働き始めた。子供と接する時間は寝るときだけになった。家事育児の時間が仕事に圧迫され、家計もひっ迫して、子供たちは長時間預けられるストレスにさらされ、夫婦そろって余裕のないぼろぼろな生活。
 それでも。

「まあ、その夫婦がどんな人たちなのかはしらないけどさ。ご近所トラブルで刺されたとかあるからさー。逃げるが勝ちともいえるよね」

 そう。どんなに生活が大変でも、やっとピンポンの嵐から解放されて、子供たちも怒られ続ける生活から解放されて、家族がのびのびと、健やかに暮らせるようになったのだ。

「そう考えると、早く決断するのがいいってこともあるわねー」

 何がどう転がって幸せを感じることになるかはわからない。
 大事なのは、幸せにむかって転がっていこうとする意志なのかもしれない。
 それがたとえ誰かに逃げだと言われるようなことだとしても。
 裏で誰かがほくそ笑んでいたとしても。
 結果として幸せになった方が勝ちなのだ。
 文句を言い続ける人生よりも、その方がいいに決まっている。

「あ。そう言えば先輩に引っ越し祝い、渡してなかったなあ」

「あんたね。今更よ……」

 言われて苦笑した。
 幸せに暮らしている先輩にとっても、引っ越しは過去のことなんだろうなと思った。
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