異世界で竜になりまして

猫正宗

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第三章 解放国家オイネ

sideイネディット05 暴走

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 王都侵攻への準備は着実に進んでいる。

 だが国境の城塞都市には、聖銀騎士団の半数が詰めている。
 解放国家オイネの全軍を挙げて侵攻したとしても、彼奴らを下すことは容易ではないだろう。

 手間取ろうものなら、シャハリオン方面に当たった王国の兵力が、王都防衛に戻るやも知れぬ。

 となれば此度のはかりごとは、水泡に帰すことになろう。
 そうさせない為にも、最後の一手が必要となる。

「儀式を執り行う」

 降霊の間に集った宮廷魔術師どもを見回す。
 彼らの顔色は暗く、纏う空気は重苦しい。

「……まだ、調整が済んでおりません」
「構わぬ。降ろせ」
「し、しかしそれでは陛下の御身が……!」

 魔術師どもの必死の努力は結実叶わず、結局今の今まで儀式の準備は万全に至っていない。
 だが余は、そのことを責めるつもりはない。

「やれ」
「……いま少し、いま少しのご猶予を――」
「斯様な時はもうない」

 切って捨てると、誰もが悔しげに顔を歪めた。
 だがその只中にあって、敢えて余は表情を緩める。
 彼らを安心させるように……。

「余は、開祖オイネが先祖返り。歴代女王の誰よりも、オイネに近しい。……心配するな。多少魔力が馴染まなかろうと、ねじ伏せてみせる」

 余の強弁に、魔術師どもが折れた。

「……儀式を……開始いたします……」
「うむ。よろしく頼む」

 余は床に描かれた陣の中央に向けて、そろりと足を踏み出した。

 そこには聖遺体が収められた棺が置かれていた。
 普段は霊廟に安置されているオイネの棺である。
 余はその前に屹立し、一堂を見渡す。

「これより降霊の儀を執り行う! ……余に、この女王イネディットに、開祖オイネの御魂を降ろせ!」

 オイネを降ろし、黒竜化の力を得る。
 その力をもって、余自らが王都を叩く。

 これこそが余の、最後の一手であった。



 感情が流れ込んでくる。

 これは、なんだ?
 愛しさ?
 悲しさ?
 慈しみ?
 ………そして……希望……?

 脳裏を掠めていく記憶の数々。
 走馬灯のようなそれらは、だがしかし余の記憶ではない。
 これは、開祖オイネの残留思念だろうか?

「……安定しています……! 次の段階へ……」

 魔術師たちの声がする。
 すぐ近くで発せられたはずのその声が、何処か遠く、まるで他人事のように聞こえる。

 周囲の景色は、霞がかかったように判然としない。
 胸のうちに鮮明に浮かぶ風景は、いずこかの森。

 ――こ、ここはどこ? も、森のなか?――

 戸惑いが伝わってくる。
 それがまるで、余自身の想いであるかのように共鳴する。
 これは……オイネの記憶?

 ――私はお稲。ねぇ、あなたの名前は?――

 ひとを求めて王国へと赴いた彼女。
 青年との出会い。
 ふたりの穏やかな生活。
 胸が痛くなるような……そんな柔らかな日々。

 ――やった……! オイネ、遂に僕らは!――

 闘争の末に勝ち得た未来。
 信頼。
 愛情。
 かけがえのない想い。

 …………余の、知らない……想い……。

 ――ペルエール。いつかまたきっと……――

 ふたりの別れ。
 いつの日かまた、手を取り合うことを願って……。
 次代へと託した願い。

 オイネ、貴女は……。
 余は理解した。

(……貴女は、憎んではいないのだな……)

 オイネはなにをも、憎んではいない。
 すべての希望を、未来に託したのだ。



 オイネの想いは、痛いほどに伝わってきた。

(……だが、……だが……余は……)

 憎い。
 余はペルエール王国を、憎まずにはいられない。

 飢え死んだ我が子を胸に抱き、咽び泣く母の姿……。
 侵攻を許した国境の村と、物言わぬ骸となった民……。

 あの日に知った絶望が、余を責め立てる。
 決して許すわけには行かぬと、余をはやす。

 そうして、思い返す。
 胸に秘めたこの誓い。
 余はペルエール王国を、……ちゅうする。

「……魔力…増だ……! 制御不…に……!? 黒竜化……り……!?」

 全身の筋肉が、ミシミシと軋みをあげ始めた。
 体が内側から、引き裂かれるように痛む。
 だがそれ以上に、……胸が痛い。

「……グルゥ」

 漏れ出したのは獣じみた呻き。

 内側から書き換えられていく。
 余が変わっていく。

 そんななか、憎しみの炎だけが、変わらず余を激しく急き立てる。

(……滅びを。……ペルエール王国に、滅びを……)

 自我が保てなくなってきた。
 このままでは不味い。
 薄れゆく意識をどうにか繋ぎ止めようとする。
 しかし激しく燃え盛る憎悪がそれを許さない。

「……グルゥゥゥ……」

 脳裏に浮かんでいたオイネの記憶すら、暗く掠れていく。

「グルゥオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 その咆哮を最後に、余の意識は暗闇へと沈んだ。
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