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6 謎の事件と聖人候補
909 深夜の密談
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909
シド帝国皇帝テスル・シドの執務室は三カ所ある。
帝都パレス宮殿内の最も警備の厳しい奥向きにある第一執務室、次に軍議のため離れられない場合に使われる帝国軍本部の建物内にある第二執務室。そして、休息中の皇帝が必要に迫られて急遽使われる皇宮内の第三執務室。
いま皇帝は深夜の第三執務室にいた。
「グッケンス博士が私にすぐ会いたいと申されているのか?」
「はい。先ほど《伝令》がございまして、陛下にできるだけ早く内々にお伝えしなければならないことがある、とのことにございました。グッケンス博士からのこの時間の《伝令》、ただごとではないと考え、お伝えに参りました」
「ご苦労だった。それは確かに緊急性が感じられるな。博士からこんな連絡があるとは、実に珍しいことだ……」
「はい、グッケンス博士はできる限り帝国の中枢との接触を避けておいでになっておりますから、このようなことは初めてではないでしょうか」
「そうだな……博士は政治や権力からできるかぎり離れていたい、そういう方だ。それでも、この帝国の行末を気にかけてくださり、完全には離れずにいてくださる。われわれは博士の手をわずらわせるばかりだ」
シド帝はグッケンス博士に幼いときから魔法の手解きを受けている。皇帝にとってのグッケンス博士は師であり、兄のような存在であり、決して超えられない存在でもあった。
博士はその天才的な魔法の冴えで世界に名を轟かせていながら、本人はいつもまったくそれと関係なさそうな研究に没頭しているのが常だった。地位や名誉には一切興味を見せなかったが、個人的な親交のある皇帝の苦境を無視できないやさしい一面があり、帝国はたびたび博士に危機を救われてきている。
最近では博士の長年の研究が実を結び、牛の民間飼育が成功し、新たな食材の流通が始まるといった目覚ましい活躍も皇帝の耳に入っている。さらに、魔法学校の教壇にも復帰し、数多くの改革により後進の育成のため力を貸してくれているのだ。
皇帝はあまりにも有能すぎるグッケンス博士に、何度も助けられてきたことに感謝しつつ、とても申し訳なく思ってきた。だから、本当は近くにいてほしいと思う心を抑え、あえて博士と距離をとっている。グッケンス博士に取り入ろうとするような連中を近づけないようにすることぐらいしか、博士が皇帝に望むことがなかったからだ。
(寂しいことだが、博士からの接触はごく稀だったのに……《伝令》を公文書として送るとは、いったいなにがあったのだ?)
「博士が会えるというならすぐにでも会おう。そう《伝令》を送れ」
「承知いたしました」
そこから博士が現れるまで、三十分もかからなかった。
「博士、パレスにいらっしゃったのですね」
「いや、そうではないが、まぁそれは気にするな」
「ははは、相変わらず神出鬼没なのですね」
グッケンス博士の前では威厳のある皇帝ではなく、弟子のような言葉が出てくる。こうして非公式の場にいるときは尚更だった。
博士は部屋に厳重に結界を張ると、皇帝と対峙し、話を始めた。
「夜も遅い、長い話には不向きな時間じゃな。前置きはやめておこう。
まだ、確たる証拠を提示することはできぬが、現状から推察できる事実のみを伝えよう。エイガン大陸からこのイルガン大陸に向けて、不審な動きが起こり始めている、これは間違いない」
「!!」
「それに関わるのは、魔道具を扱う新興の〝ストーム商会〟とそれを影から操るラケルタ・バージェという男、そしてバージェが教区長をしている〝退魔教〟……バージェの後ろ盾は間違いなく元〝帝国の代理人〟エスライ・タガローサじゃ」
「タガローサが! なんということだ」
「シド帝国では、まだ表面上は何事も起こっていないが、実は〝ストーム商会〟の魔道具を通じて人々から〝魔法力〟が盗まれ続けている。これは〝ストーム商会〟の魔道具をわしが調べてわかったことよ。
この魔法力の搾取は人々の健康に被害が及ぶような量ではないが、大陸中から集められた魔法力の量は莫大なものじゃろう。それを使ってなんらかの攻撃をシドが受ける可能性は考えねばならん」
博士の言葉は沈着冷静だったが、その言葉はシド帝に重く響いた。
「至急タガローサを尋問するよう命令を出します。
いまこの世界は、神の作りたもうた壁に隔てられていることで平穏を保っています。魔族がそれをこじ開け、攻撃を始めようとしているとなれば、この世界は再び終わりの見えない戦争を強いられる。
このことが公のなった瞬間から大変な混乱が起こるかも知れません。博士、この話しばらく伏せていただけますか」
「もとよりそのつもりよ。現状見えている脅威〝退魔教〟地下の巨大な質量の球体は、まだ地表に影響を及ぼすまでには至っておらんし、それに、監視はつけてある」
「監視まで……ありがとうございます」
「どうやって、とは聞くなよ。いろいろとややこしいのでな」
「はは! 心得ておりますよ。魔術師の手の内は秘密でできている……ですよね」
「そちらはそちらで、たくさんの秘密を抱えておるじゃろう。お互い難儀なことよ」
「それも人々のためでございますれば……」
「良い皇帝のなったものよの。こちらでも引き続き調べは続ける。得られた情報は《伝令》で随時知らせよう。
沿海州の高位の者が狙われた例もある。くれぐれも油断せず準備を怠ってくれるな」
「心得ました。どうぞ博士もお気をつけて」
グッケンス博士は、必要なことを言い終わるとサッと席を立った。
「もう夜も遅い、指示を出したらさっさと寝ておけ。まさか、この程度のことで眠れぬということはあるまい?」
「博士の厳しいご薫陶のおかげで図太くなりましたよ」
「それは何より、ではの」
ニヤリと笑ったグッケンス博士は結界をとき、足早に部屋をあとにした。
感謝の眼差しでそれを見送ったシド帝は、ひとつ肩で息をすると、側近たちを呼び指示を出し始める。明日からは、さらに忙しい日々が始まりそうだ。
シド帝国皇帝テスル・シドの執務室は三カ所ある。
帝都パレス宮殿内の最も警備の厳しい奥向きにある第一執務室、次に軍議のため離れられない場合に使われる帝国軍本部の建物内にある第二執務室。そして、休息中の皇帝が必要に迫られて急遽使われる皇宮内の第三執務室。
いま皇帝は深夜の第三執務室にいた。
「グッケンス博士が私にすぐ会いたいと申されているのか?」
「はい。先ほど《伝令》がございまして、陛下にできるだけ早く内々にお伝えしなければならないことがある、とのことにございました。グッケンス博士からのこの時間の《伝令》、ただごとではないと考え、お伝えに参りました」
「ご苦労だった。それは確かに緊急性が感じられるな。博士からこんな連絡があるとは、実に珍しいことだ……」
「はい、グッケンス博士はできる限り帝国の中枢との接触を避けておいでになっておりますから、このようなことは初めてではないでしょうか」
「そうだな……博士は政治や権力からできるかぎり離れていたい、そういう方だ。それでも、この帝国の行末を気にかけてくださり、完全には離れずにいてくださる。われわれは博士の手をわずらわせるばかりだ」
シド帝はグッケンス博士に幼いときから魔法の手解きを受けている。皇帝にとってのグッケンス博士は師であり、兄のような存在であり、決して超えられない存在でもあった。
博士はその天才的な魔法の冴えで世界に名を轟かせていながら、本人はいつもまったくそれと関係なさそうな研究に没頭しているのが常だった。地位や名誉には一切興味を見せなかったが、個人的な親交のある皇帝の苦境を無視できないやさしい一面があり、帝国はたびたび博士に危機を救われてきている。
最近では博士の長年の研究が実を結び、牛の民間飼育が成功し、新たな食材の流通が始まるといった目覚ましい活躍も皇帝の耳に入っている。さらに、魔法学校の教壇にも復帰し、数多くの改革により後進の育成のため力を貸してくれているのだ。
皇帝はあまりにも有能すぎるグッケンス博士に、何度も助けられてきたことに感謝しつつ、とても申し訳なく思ってきた。だから、本当は近くにいてほしいと思う心を抑え、あえて博士と距離をとっている。グッケンス博士に取り入ろうとするような連中を近づけないようにすることぐらいしか、博士が皇帝に望むことがなかったからだ。
(寂しいことだが、博士からの接触はごく稀だったのに……《伝令》を公文書として送るとは、いったいなにがあったのだ?)
「博士が会えるというならすぐにでも会おう。そう《伝令》を送れ」
「承知いたしました」
そこから博士が現れるまで、三十分もかからなかった。
「博士、パレスにいらっしゃったのですね」
「いや、そうではないが、まぁそれは気にするな」
「ははは、相変わらず神出鬼没なのですね」
グッケンス博士の前では威厳のある皇帝ではなく、弟子のような言葉が出てくる。こうして非公式の場にいるときは尚更だった。
博士は部屋に厳重に結界を張ると、皇帝と対峙し、話を始めた。
「夜も遅い、長い話には不向きな時間じゃな。前置きはやめておこう。
まだ、確たる証拠を提示することはできぬが、現状から推察できる事実のみを伝えよう。エイガン大陸からこのイルガン大陸に向けて、不審な動きが起こり始めている、これは間違いない」
「!!」
「それに関わるのは、魔道具を扱う新興の〝ストーム商会〟とそれを影から操るラケルタ・バージェという男、そしてバージェが教区長をしている〝退魔教〟……バージェの後ろ盾は間違いなく元〝帝国の代理人〟エスライ・タガローサじゃ」
「タガローサが! なんということだ」
「シド帝国では、まだ表面上は何事も起こっていないが、実は〝ストーム商会〟の魔道具を通じて人々から〝魔法力〟が盗まれ続けている。これは〝ストーム商会〟の魔道具をわしが調べてわかったことよ。
この魔法力の搾取は人々の健康に被害が及ぶような量ではないが、大陸中から集められた魔法力の量は莫大なものじゃろう。それを使ってなんらかの攻撃をシドが受ける可能性は考えねばならん」
博士の言葉は沈着冷静だったが、その言葉はシド帝に重く響いた。
「至急タガローサを尋問するよう命令を出します。
いまこの世界は、神の作りたもうた壁に隔てられていることで平穏を保っています。魔族がそれをこじ開け、攻撃を始めようとしているとなれば、この世界は再び終わりの見えない戦争を強いられる。
このことが公のなった瞬間から大変な混乱が起こるかも知れません。博士、この話しばらく伏せていただけますか」
「もとよりそのつもりよ。現状見えている脅威〝退魔教〟地下の巨大な質量の球体は、まだ地表に影響を及ぼすまでには至っておらんし、それに、監視はつけてある」
「監視まで……ありがとうございます」
「どうやって、とは聞くなよ。いろいろとややこしいのでな」
「はは! 心得ておりますよ。魔術師の手の内は秘密でできている……ですよね」
「そちらはそちらで、たくさんの秘密を抱えておるじゃろう。お互い難儀なことよ」
「それも人々のためでございますれば……」
「良い皇帝のなったものよの。こちらでも引き続き調べは続ける。得られた情報は《伝令》で随時知らせよう。
沿海州の高位の者が狙われた例もある。くれぐれも油断せず準備を怠ってくれるな」
「心得ました。どうぞ博士もお気をつけて」
グッケンス博士は、必要なことを言い終わるとサッと席を立った。
「もう夜も遅い、指示を出したらさっさと寝ておけ。まさか、この程度のことで眠れぬということはあるまい?」
「博士の厳しいご薫陶のおかげで図太くなりましたよ」
「それは何より、ではの」
ニヤリと笑ったグッケンス博士は結界をとき、足早に部屋をあとにした。
感謝の眼差しでそれを見送ったシド帝は、ひとつ肩で息をすると、側近たちを呼び指示を出し始める。明日からは、さらに忙しい日々が始まりそうだ。
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