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5森に住む聖人候補
840 行商人との雑談
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840
「炭の買い付けかい? こいつは見本だよ。現物を見たいなら、集落の入り口横に炭焼き窯が並んでいるだろう? そうそう、新しい窯をいま作っているところだ。その横に倉庫があるから、そこで選ぶといい。常駐している職人に聞けばすぐにわかるよ。この集落の炭の質は間違いないから、たくさん買っていってくれ。なんてったって炭焼き窯の出来が違うからな!」
「ここが発祥なんですよね〝タスマ谷式炭焼き窯〟もうこの辺りでは知らない者はないですよ」
「そうかい? この集落も有名になったもんだな。だけどな、実はあの窯を作ったのはこの集落の人間じゃないんだ。しかも技術者でもない薬師様なんだよ」
「えっ! そうなんですか!? へぇ、名前でも出身地でもない名称を自分の発明品につけるなんて、随分と控えめな人ですねぇ。しかも薬師様とは……相当変わった方ですね」
「確かにそうだよな。俺もそう言ったんだが、頑固なお嬢ちゃんでなぁ……ああ〝キズバンド〟はちゃんと仕入れてきてくれたかい?」
行商人は大事そうに背負ったバッグから注文の商品を取り出す。
「はいはい、ご注文通りシド帝国のマリス領で買い付けてきましたよ。しかしソロスさん。あんな小さな他国の領地の品物をよくご存知でしたね。でも、これはいい品物を教えてもらいました。これからは行商品として私もこの商品を売っていきますわ」
「そうだろう。これもお嬢ちゃんが教えていったものなんだ。自分が居なくなったあとに〝キズバンド〟を購入したいときにはシドのマリス領に行く行商人に頼むといいってさ。
それにしても、これを作っているのがこの土地のご領主様でもある、隣国のマリス伯爵様のご領地だっていうのはなんの偶然なんだろうな」
「そうですね。でもまぁ、あの領地なら納得ですよ。今回行ってわかりましたが、あそこは活気があって面白い領地なんです。変わった商品もいろいろありました。田舎なのに乳製品が豊富で飯もうまくてね」
そこから行商人は〝聖女〟と崇められている平民育ちの領主〝マリス伯爵〟の噂話を話し始める。
自らの出自が公爵家にあると知らぬまま育ち、商人として大成していた若き新伯爵は、自らが育った北東部の小さな領地を治めることになった。すると、領主になるや否や私財を投げ打ちすべての主要道路や港まで整備し、領地の収入を急激に増やし、他の領地とはまったく違う統治を始めたというのだ。
マリス領独占の面白い特産品も増えており、行商人の間でも話題の領地だと、楽しそうに話した。
「あそこなら画期的な発明があっても不思議はない気がしますね。きっとその薬師様もマリス領で修行したんでしょう。是非、新しい薬の仕入れのこととか聞きたかったなぁ」
行商人はとても残念そうにそう言った。
「そうなのかもしれんな。仕入れた薬はどれも一級品だったし、いい薬師様だったよ……まだ修行の途中だと言って、秋にやってきて春になるとすぐ旅立っちまったがね」
「ああ、そうでしたか。それじゃまたどこかで薬草を探しているんでしょうね」
タスマ谷集落の雑貨店〝ソロスの店〟では、行商人とのやり取りが続いている。
こうして品物を確認しながら世間話に興じるのも、双方にとって大事な情報収集だ。特に今回は行商人のダフにとって、いろいろと発見のある取引になっている。
「〝谷間の憩い〟亭の料理も一段と旨くなっているし、新しい料理も増えてますますここにくるのが楽しみになりましたよ」
「そうだろう、そうだろう! あれもメイロードさんの置き土産なんだぜ。まったく、あのお嬢ちゃんは料理人としてもきっと大成できるに違いないよ。田舎暮らしでいいなら、村の若いやつを紹介したかったぐらいさ」
「メイロード……さん?」
ダフは不思議そうな顔になっている。
「ああ薬師様はメイロードさんという若い嬢ちゃんだったんだよ」
「ええと、どんな方でした?」
「背は小さかったな。短い髪で茶色だったか、もっと黒かったか……顔はよく思い出せないんだよ。あまり印象になくてな」
「ああ、じゃぁ、違いますね」
少しホッとした顔でダフは笑った。
「いや、マリス領のご領主はメイロード・マリス女伯爵という若い女性なんですよ」
「!!」
驚いた顔をしているソロスにダフは慌てて手を振る。
「いえ、でもマリス伯爵は一目見れば忘れられない美少女で、見たこともないような艶の〝魔力宿る髪〟をされた方だと聞いてます。見た目がまったく違いますよ」
「だ、だよなぁ。ああ、驚いた。それにご領主様がこんな山の中にひとりでいるわけがないもんな」
「そ、そうですよ。メイロードという名はそこまで珍しい名でもないですし……」
そこでソロスは声を小さくした。
「……実はな。この炭と炭焼き窯ができてすぐ、法外な税金を役人がかけてきて困ったことになったと嘆いていたんだが、なぜだがすぐに撤回されて胸を撫で下ろしたんだ。その上、どうやらそれを企んだこの地域の役人の親玉はとっつかまったらしい」
「へぇ、お天道様は見てるもんですねぇ。……もしかして、その話をその薬師様にもしたんですか?」
「ああ、もちろんした……な」
「まさかね……」
「ははは、いやいや、まさか!」
ふたりは机の上に置かれた見本の木炭とマリス領で作られた〝キズバンド〟を見ながら、もう確かめようもない消えた薬師のことを考え、顔を見合わせるしかなかった。
「炭の買い付けかい? こいつは見本だよ。現物を見たいなら、集落の入り口横に炭焼き窯が並んでいるだろう? そうそう、新しい窯をいま作っているところだ。その横に倉庫があるから、そこで選ぶといい。常駐している職人に聞けばすぐにわかるよ。この集落の炭の質は間違いないから、たくさん買っていってくれ。なんてったって炭焼き窯の出来が違うからな!」
「ここが発祥なんですよね〝タスマ谷式炭焼き窯〟もうこの辺りでは知らない者はないですよ」
「そうかい? この集落も有名になったもんだな。だけどな、実はあの窯を作ったのはこの集落の人間じゃないんだ。しかも技術者でもない薬師様なんだよ」
「えっ! そうなんですか!? へぇ、名前でも出身地でもない名称を自分の発明品につけるなんて、随分と控えめな人ですねぇ。しかも薬師様とは……相当変わった方ですね」
「確かにそうだよな。俺もそう言ったんだが、頑固なお嬢ちゃんでなぁ……ああ〝キズバンド〟はちゃんと仕入れてきてくれたかい?」
行商人は大事そうに背負ったバッグから注文の商品を取り出す。
「はいはい、ご注文通りシド帝国のマリス領で買い付けてきましたよ。しかしソロスさん。あんな小さな他国の領地の品物をよくご存知でしたね。でも、これはいい品物を教えてもらいました。これからは行商品として私もこの商品を売っていきますわ」
「そうだろう。これもお嬢ちゃんが教えていったものなんだ。自分が居なくなったあとに〝キズバンド〟を購入したいときにはシドのマリス領に行く行商人に頼むといいってさ。
それにしても、これを作っているのがこの土地のご領主様でもある、隣国のマリス伯爵様のご領地だっていうのはなんの偶然なんだろうな」
「そうですね。でもまぁ、あの領地なら納得ですよ。今回行ってわかりましたが、あそこは活気があって面白い領地なんです。変わった商品もいろいろありました。田舎なのに乳製品が豊富で飯もうまくてね」
そこから行商人は〝聖女〟と崇められている平民育ちの領主〝マリス伯爵〟の噂話を話し始める。
自らの出自が公爵家にあると知らぬまま育ち、商人として大成していた若き新伯爵は、自らが育った北東部の小さな領地を治めることになった。すると、領主になるや否や私財を投げ打ちすべての主要道路や港まで整備し、領地の収入を急激に増やし、他の領地とはまったく違う統治を始めたというのだ。
マリス領独占の面白い特産品も増えており、行商人の間でも話題の領地だと、楽しそうに話した。
「あそこなら画期的な発明があっても不思議はない気がしますね。きっとその薬師様もマリス領で修行したんでしょう。是非、新しい薬の仕入れのこととか聞きたかったなぁ」
行商人はとても残念そうにそう言った。
「そうなのかもしれんな。仕入れた薬はどれも一級品だったし、いい薬師様だったよ……まだ修行の途中だと言って、秋にやってきて春になるとすぐ旅立っちまったがね」
「ああ、そうでしたか。それじゃまたどこかで薬草を探しているんでしょうね」
タスマ谷集落の雑貨店〝ソロスの店〟では、行商人とのやり取りが続いている。
こうして品物を確認しながら世間話に興じるのも、双方にとって大事な情報収集だ。特に今回は行商人のダフにとって、いろいろと発見のある取引になっている。
「〝谷間の憩い〟亭の料理も一段と旨くなっているし、新しい料理も増えてますますここにくるのが楽しみになりましたよ」
「そうだろう、そうだろう! あれもメイロードさんの置き土産なんだぜ。まったく、あのお嬢ちゃんは料理人としてもきっと大成できるに違いないよ。田舎暮らしでいいなら、村の若いやつを紹介したかったぐらいさ」
「メイロード……さん?」
ダフは不思議そうな顔になっている。
「ああ薬師様はメイロードさんという若い嬢ちゃんだったんだよ」
「ええと、どんな方でした?」
「背は小さかったな。短い髪で茶色だったか、もっと黒かったか……顔はよく思い出せないんだよ。あまり印象になくてな」
「ああ、じゃぁ、違いますね」
少しホッとした顔でダフは笑った。
「いや、マリス領のご領主はメイロード・マリス女伯爵という若い女性なんですよ」
「!!」
驚いた顔をしているソロスにダフは慌てて手を振る。
「いえ、でもマリス伯爵は一目見れば忘れられない美少女で、見たこともないような艶の〝魔力宿る髪〟をされた方だと聞いてます。見た目がまったく違いますよ」
「だ、だよなぁ。ああ、驚いた。それにご領主様がこんな山の中にひとりでいるわけがないもんな」
「そ、そうですよ。メイロードという名はそこまで珍しい名でもないですし……」
そこでソロスは声を小さくした。
「……実はな。この炭と炭焼き窯ができてすぐ、法外な税金を役人がかけてきて困ったことになったと嘆いていたんだが、なぜだがすぐに撤回されて胸を撫で下ろしたんだ。その上、どうやらそれを企んだこの地域の役人の親玉はとっつかまったらしい」
「へぇ、お天道様は見てるもんですねぇ。……もしかして、その話をその薬師様にもしたんですか?」
「ああ、もちろんした……な」
「まさかね……」
「ははは、いやいや、まさか!」
ふたりは机の上に置かれた見本の木炭とマリス領で作られた〝キズバンド〟を見ながら、もう確かめようもない消えた薬師のことを考え、顔を見合わせるしかなかった。
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