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4 聖人候補の領地経営

784 博士の憂い

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784

「グッケンス博士、お疲れ様でした。今日は新しい銘柄の素晴らしいお酒を用意しますよぉ。存分に召し上がってくださいね! お酒もお料理もご希望があればなんでも言ってください。博士のお好きなものをたくさん作りますから!」

幼い皇女を救えたことに安心したメイロードは、ゴキゲンで使い慣れたキッチンに立っていた。

「おお、いいねぇ。僕もその銘酒をご馳走になるとしようかな」

いつものようにグッケンス博士とすっかり馴染んだキッチンカウンターの定位置に座っているセイリュウは、新しいウマ酒が飲めそうな気配にこちらも実に楽しげにしている。

今日のセイリュウは日本酒にぴったりの着流しスタイルだ。これは以前神様からの報酬で頂いた反物からメイロードが仕立てた回復機能付きの着物を大変気に入ったセイリュウのために、メイロードが反物を吟味して選び仕立てた着物のうちの一枚だ。
この反物は異世界から取り寄せた正絹で、白と青のグラデーションを使い青海波の意匠が美しく描かれている。これはいつもメイロードを影ながら守り、気遣ってくれていることへのお礼の意味も込めて手縫いされた着物だ。普段何も欲しがることのないセイリュウも、これはとてもお気に入りのようで、くつろぐときによく身につけている。

忙しい中でも、丹精込めてひと針ひと針仕上げる着物作りはメイロードにも癒しになっているため、需要と供給がうまく合致し、セイリュウの着物は季節ごとに増えている。

「まずはいくつかアテをご用意しますね。お漬物を盛り合わせて、それから燻製にした魚とチーズ、ああ、卵の黄身の味噌漬けも出しましょう。お酒は博士のお好きな日本酒がいいかなぁ……純米大吟醸の中でも原料米と精米技術にこだわった珠玉の一本をお出ししましょうね。これ、ものすごく香りがいいんですよ。
ああ、日本酒ならあれもいいですよ。博士が気に入っていた〝うるか〟風の川魚の内臓の塩辛も仕込んであるので、それも出しておきますね」

メイロードは慣れた様子で、ソーヤの助けも借りながらちゃっちゃとカウンターに箸と小皿そして酒器を整えると、沿海州の窯元に依頼して作らせた土の手触りのある器に手早く料理を並べた。

「ではゆるゆるとこれでお楽しみになっていてください。じゃその間に私は本格的にお料理を……」

メイロードが今夜の料理を決めるため魔石冷蔵庫を開けようとしていると、そこへ、領主館で働いている守護妖精から緊急の《念話》が入る。どうしてもメイロードの決済が欲しい緊急事案があるらしい。

「博士、セイリュウ、ちょっと領主館へ行ってきます。時間はかからなそうなので、少しだけ待っていてくださいね。お酒やおつまみの追加はソーヤ、よろしくね」

「はい承知いたしました。仕込みもしておきますね、メイロードさま」
「ありがとう、すぐ戻るから、お願いね」

盃を手にした博士たちもメイロードを笑顔で見送る。

「ああ、行っておいで。こちらは、こうして飲んでいればいいだけのことだ。急がんよ」
「ご領主さまは忙しいね、メイロード。僕たちのことはいいから、気をつけて行っておいで」
「ありがとう、じゃ、ちょっと行ってきます!」

そう言うとメイロードは《無限回廊の扉》に続くドアを足早に抜けていった。

それを見送ったグッケンス博士とセイリュウは、手酌でそれぞれのお気に入りの盃を持ち、美酒に口をつけた。ちゃっかりソーヤも加わってメイロードご自慢の酒を酌み交わす。

「おお、いいね。素晴らしい酒だ」
「はい、さすがはメイロードさまのお見立て、この華やかな果実のような香りにスッキリとした味わい、実に素晴らしいです!」

セイリュウとソーヤは極上の笑顔で極上の日本酒を楽しんでいたが、なぜかグッケンス博士の表情は物憂げだった。

「どうしたんだい、博士。これがお気に召さなかったのかい?」

「あ、いや、そうではないのだ……これはとてもいい、実にうまいが……」

そこから博士はセイリュウに今日解決した皇宮での事件について説明した。

博士の話にセイリュウは真剣に相槌を打ちながら耳を傾け、この呪詛と気づかれないよう呪いの〝種〟を〝贄〟に食わせて運ぶという前代未聞のやり口について聞き入っていた。

「そいつは狡猾に過ぎるな……とはいえそのやり方だと呪詛の規模は非常に限定的で威力も弱いだろう。短期間では効果がない可能性もある。犯人は即効性を捨てて、極めて気の長い暗殺を試みているな、このやり口はまるで……」

「ああ、まるで〝厭魅エンミ〟のようだ」

その言葉にセイリュウの眉もピクリと動く。

「メイロードはどう思っている」

「今回の犯人探しにはわしは関わらんし、メイロードにも関わらせる必要はないからな。この話は皇女が無事に回復したことでメイロードの中では完結しているだろう」

「そうか……よかった」

そう言いながら、セイリュウは盃を口へと運ぶ。

「じゃが、やはりこれは異常な事態と言わざるを得ん。〝厭魅エンミ〟という呪詛は百年に一度起こるかどうかという珍しい現象のはずじゃ。それがこうも立て続けに起こるなど、ありえんことじゃ」

「ああ、その通りだ。しかも、今回はいよいよパレスを狙ってきたとも受け取れるな。やはり奴らの動きが活性化していると考えた方がいいのかもしれない」

「確かにのぉ……じゃがまだ明確な根拠はない。すべてはわしらの憶測でしかないし、このことには絶対にメイロードを関わらせたくない」
「それは僕も同じさ。これは、僕らが背負うべきことだからね」

博士の言葉はさらに重くなる。

「じゃが、これがこの大陸を脅かす強大な敵の仕業とはっきりしたとき、それでもあの子を巻き込まずにいられるじゃろうか……あのやさしすぎる子が、それをただ見ていられるじゃろうか……」

「だから、まだメイロードには何も知らせる必要はないさ。それにそのときには僕が必ず盾になろう。博士もだろう?」

「もちろん我々もです!」

博士が答える前にソーヤがそう答えながら、グッと手を握りグッケンス博士を見つめた。

「そうじゃな……もしものときには我らで解決しよう!」

三人は盃を掲げて誓い合った。

「太古に神によって閉ざされたはずの大陸……その結界を破り、魔族が人間界を再び支配しようとする……そんなことはあってはならんのだ」
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