387 / 832
3 魔法学校の聖人候補
576 いつか……
しおりを挟む
576
私の提案はシンプルなものだ。この研究の執筆者であることを諦めることにした。
「実は、この論文はハンス・グッケンス博士の研究を私が代筆したものです。アイディアが出なくて困っていた私に、博士が“こんな研究をしてみてはどうか”と提案してくださったもので……私はそれを元に実験を行ったに過ぎません。ですから、これ以上は博士にご相談なさってください。私にはこれ以上の研究は……」
もちろんお互いそれが真実ではないことはわかっているが、私にはこの件を穏便に済ませる方法がこれしか思いつけなかった。まだ幼い不肖の弟子、という雰囲気を出してはみたが、きっと効果はなかっただろう。
「それでは、君はなんの報酬も名誉も得られない! これだけの研究をして!」
ドール参謀は初めて声を荒げた。私が一生懸命書いた論文を読んだドール参謀は、私の努力を知っている。それを私が放棄しようとしていることが、あまりにも不憫だったのだろう。
だが、悲しいけれどこれ以外に私がいまの生活を維持し、尚且つ研究員になることから逃れられる道はない。
「お心遣い有り難く存じます。ドール様……私は名誉もお金もいりません。そんなことのための研究ではないことは、すでに論文をお読みいただいているあなた様にはおわかりでしょう? でも、この研究はまだ人々の間には出せないと判断されたのであれば、それに従うしかありません。私は、ただの博士の代理をしただけ……それでいいのです」
私の立場は弱い。貴族でもない子供ひとりの人生など、軍部の思惑の前にはチリにも等しいだろう。だからこそ、いま内々にコトを収めようと動いてくれたドール参謀にすべてを託すしか、道はないのだ。
「この研究は〝ハンス・グッケンス博士〟の研究です」
帝国で最も強大な力を持つ魔術師にして、いまは〝魔術師ギルド〟の事実上のトップでもある(最高顧問ということにはなっているが)グッケンス博士ならば、軍部も皇帝も決して敵にはまわせないし、何も強制はできないだろう。
いままで数々の画期的な魔法研究をして帝国に貢献してきたグッケンス博士の最新の研究を提供してもらったということならば、ドール参謀の手柄となるだろうし、顔も立つはずだ。
「グッケンス博士にはできる限りの褒賞を出すよう働きかける。せめて、それを博士から受け取っておくれ」
「お心遣いありがとうございます。閣下のご配慮のおかげで大事になる前に解決できました」
私は笑顔でそう言うと、机の上に置かれた論文の表紙の紙を引き抜いた。
そこには〝魔法による食品の長期保存法に関する研究〟 研究者: メイロード・マリス、と書かれている。私は火の魔法を使い、その表紙の紙を手のひらの上で灰にした。
「新しい表紙は、どうぞそちらで準備してください。今日はありがとうございました……」
なぜか涙が出てきそうになったが、私は耐えて笑顔のまま挨拶をして退出した。ドアの外では忙しいだろうに、シルベスター 生徒会長が待っていてくれた。
「君の進む道は決まったのかな?」
少し憂いを帯びた表情でそう言う彼に、私はつとめて笑顔でこう返した。
「何も変わりません。ただ、メイロード・マリスという研究者は今回の論文発表会には存在しません。そのようにすべてお取り計らいください」
「そうか……わかった。では明日はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます。それでは……」
私はどうにもぎこちない笑顔のまま挨拶をして研究棟へと戻っていった。
部屋に戻ると心配そうな顔のセーヤとソーヤ、そしてグッケンス博士も待っていてくれた。私は、みんなの顔を見た途端、笑顔のままボロボロと涙がこぼれてきて、止まらなくなっていた。
こんなこともあるかもしれないと、想定はしていたはずなのに、いまは明日の〝研究発表会〟に出られないことが、ただ悲しくて仕方がない。
(ああ、私はこんなにも明日を楽しみにしていたんだなぁ……)
思えば前世では学校行事に参加する時間がなく、親しい仲間と何かを成し遂げたり、自分だけの研究に没頭するといったことはなにひとつできなかった。だから、私は本当に楽しかったのだ。忙しくても寝不足になっても本当に楽しかった。
リビングの椅子に座らされ、セーヤとソーヤが少しでも私が落ち着けるようにと用意してくれた温かいミルクや紅茶、私の好みのハーブティー、それに合いそうなたくさんのお菓子に囲まれて、私はふたりの心遣いがうれしくて微笑みながらも、やはりなかなか涙を引かせることができずにいた。
「残念だったな、メイロード。ドールの間諜が極秘扱いだった〝研究発表概要集〟を軍部の力を使って持ち出し、ドールへ届けたらしい。すぐにこの研究の重要性を見抜いたドールは、この研究を内々のうちに提供させることで、お前の意思を確認し、お前も守ってくれようとしたのだ」
「わかっています。庶民の学生が魔法学校の研究職に抜擢されることは、素晴らしい名誉です。誰も拒否なんかされるとは考えていないでしょうし、軍部の偉い方々の間で協議されるような事態に至っていたら、研究職を拒否すること自体、絶対許されないでしょう。
だから、私はあきらめました。こうなるかもしれないとわかってもいました。でも、でも、明日の〝研究発表会〟……出たかったなぁ」
セーヤが肩にかけてくれたショールにくるまって、私は自分の研究にサヨナラを告げた。
(いつか、この研究がみんなの役に立つ日がきますように……)
私の提案はシンプルなものだ。この研究の執筆者であることを諦めることにした。
「実は、この論文はハンス・グッケンス博士の研究を私が代筆したものです。アイディアが出なくて困っていた私に、博士が“こんな研究をしてみてはどうか”と提案してくださったもので……私はそれを元に実験を行ったに過ぎません。ですから、これ以上は博士にご相談なさってください。私にはこれ以上の研究は……」
もちろんお互いそれが真実ではないことはわかっているが、私にはこの件を穏便に済ませる方法がこれしか思いつけなかった。まだ幼い不肖の弟子、という雰囲気を出してはみたが、きっと効果はなかっただろう。
「それでは、君はなんの報酬も名誉も得られない! これだけの研究をして!」
ドール参謀は初めて声を荒げた。私が一生懸命書いた論文を読んだドール参謀は、私の努力を知っている。それを私が放棄しようとしていることが、あまりにも不憫だったのだろう。
だが、悲しいけれどこれ以外に私がいまの生活を維持し、尚且つ研究員になることから逃れられる道はない。
「お心遣い有り難く存じます。ドール様……私は名誉もお金もいりません。そんなことのための研究ではないことは、すでに論文をお読みいただいているあなた様にはおわかりでしょう? でも、この研究はまだ人々の間には出せないと判断されたのであれば、それに従うしかありません。私は、ただの博士の代理をしただけ……それでいいのです」
私の立場は弱い。貴族でもない子供ひとりの人生など、軍部の思惑の前にはチリにも等しいだろう。だからこそ、いま内々にコトを収めようと動いてくれたドール参謀にすべてを託すしか、道はないのだ。
「この研究は〝ハンス・グッケンス博士〟の研究です」
帝国で最も強大な力を持つ魔術師にして、いまは〝魔術師ギルド〟の事実上のトップでもある(最高顧問ということにはなっているが)グッケンス博士ならば、軍部も皇帝も決して敵にはまわせないし、何も強制はできないだろう。
いままで数々の画期的な魔法研究をして帝国に貢献してきたグッケンス博士の最新の研究を提供してもらったということならば、ドール参謀の手柄となるだろうし、顔も立つはずだ。
「グッケンス博士にはできる限りの褒賞を出すよう働きかける。せめて、それを博士から受け取っておくれ」
「お心遣いありがとうございます。閣下のご配慮のおかげで大事になる前に解決できました」
私は笑顔でそう言うと、机の上に置かれた論文の表紙の紙を引き抜いた。
そこには〝魔法による食品の長期保存法に関する研究〟 研究者: メイロード・マリス、と書かれている。私は火の魔法を使い、その表紙の紙を手のひらの上で灰にした。
「新しい表紙は、どうぞそちらで準備してください。今日はありがとうございました……」
なぜか涙が出てきそうになったが、私は耐えて笑顔のまま挨拶をして退出した。ドアの外では忙しいだろうに、シルベスター 生徒会長が待っていてくれた。
「君の進む道は決まったのかな?」
少し憂いを帯びた表情でそう言う彼に、私はつとめて笑顔でこう返した。
「何も変わりません。ただ、メイロード・マリスという研究者は今回の論文発表会には存在しません。そのようにすべてお取り計らいください」
「そうか……わかった。では明日はゆっくり休むといい」
「ありがとうございます。それでは……」
私はどうにもぎこちない笑顔のまま挨拶をして研究棟へと戻っていった。
部屋に戻ると心配そうな顔のセーヤとソーヤ、そしてグッケンス博士も待っていてくれた。私は、みんなの顔を見た途端、笑顔のままボロボロと涙がこぼれてきて、止まらなくなっていた。
こんなこともあるかもしれないと、想定はしていたはずなのに、いまは明日の〝研究発表会〟に出られないことが、ただ悲しくて仕方がない。
(ああ、私はこんなにも明日を楽しみにしていたんだなぁ……)
思えば前世では学校行事に参加する時間がなく、親しい仲間と何かを成し遂げたり、自分だけの研究に没頭するといったことはなにひとつできなかった。だから、私は本当に楽しかったのだ。忙しくても寝不足になっても本当に楽しかった。
リビングの椅子に座らされ、セーヤとソーヤが少しでも私が落ち着けるようにと用意してくれた温かいミルクや紅茶、私の好みのハーブティー、それに合いそうなたくさんのお菓子に囲まれて、私はふたりの心遣いがうれしくて微笑みながらも、やはりなかなか涙を引かせることができずにいた。
「残念だったな、メイロード。ドールの間諜が極秘扱いだった〝研究発表概要集〟を軍部の力を使って持ち出し、ドールへ届けたらしい。すぐにこの研究の重要性を見抜いたドールは、この研究を内々のうちに提供させることで、お前の意思を確認し、お前も守ってくれようとしたのだ」
「わかっています。庶民の学生が魔法学校の研究職に抜擢されることは、素晴らしい名誉です。誰も拒否なんかされるとは考えていないでしょうし、軍部の偉い方々の間で協議されるような事態に至っていたら、研究職を拒否すること自体、絶対許されないでしょう。
だから、私はあきらめました。こうなるかもしれないとわかってもいました。でも、でも、明日の〝研究発表会〟……出たかったなぁ」
セーヤが肩にかけてくれたショールにくるまって、私は自分の研究にサヨナラを告げた。
(いつか、この研究がみんなの役に立つ日がきますように……)
216
お気に入りに追加
13,104
あなたにおすすめの小説
称号は神を土下座させた男。
春志乃
ファンタジー
「真尋くん! その人、そんなんだけど一応神様だよ! 偉い人なんだよ!」
「知るか。俺は常識を持ち合わせないクズにかける慈悲を持ち合わせてない。それにどうやら俺は死んだらしいのだから、刑務所も警察も法も無い。今ここでこいつを殺そうが生かそうが俺の自由だ。あいつが居ないなら地獄に落ちても同じだ。なあ、そうだろう? ティーンクトゥス」
「す、す、す、す、す、すみませんでしたあぁあああああああ!」
これは、馬鹿だけど憎み切れない神様ティーンクトゥスの為に剣と魔法、そして魔獣たちの息づくアーテル王国でチートが過ぎる男子高校生・水無月真尋が無自覚チートの親友・鈴木一路と共に神様の為と言いながら好き勝手に生きていく物語。
主人公は一途に幼馴染(女性)を想い続けます。話はゆっくり進んでいきます。
※教会、神父、などが出てきますが実在するものとは一切関係ありません。
※対応できない可能性がありますので、誤字脱字報告は不要です。
※無断転載は厳に禁じます
野草から始まる異世界スローライフ
深月カナメ
ファンタジー
花、植物に癒されたキャンプ場からの帰り、事故にあい異世界に転生。気付けば子供の姿で、名前はエルバという。
私ーーエルバはスクスク育ち。
ある日、ふれた薬草の名前、効能が頭の中に聞こえた。
(このスキル使える)
エルバはみたこともない植物をもとめ、魔法のある世界で優しい両親も恵まれ、私の第二の人生はいま異世界ではじまった。
エブリスタ様にて掲載中です。
表紙は表紙メーカー様をお借りいたしました。
プロローグ〜78話までを第一章として、誤字脱字を直したものに変えました。
物語は変わっておりません。
一応、誤字脱字、文章などを直したはずですが、まだまだあると思います。見直しながら第二章を進めたいと思っております。
よろしくお願いします。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
【完結】白い結婚で生まれた私は王族にはなりません〜光の精霊王と予言の王女〜
白崎りか
ファンタジー
「悪女オリヴィア! 白い結婚を神官が証明した。婚姻は無効だ! 私は愛するフローラを王妃にする!」
即位したばかりの国王が、宣言した。
真実の愛で結ばれた王とその恋人は、永遠の愛を誓いあう。
だが、そこには大きな秘密があった。
王に命じられた神官は、白い結婚を偽証していた。
この時、悪女オリヴィアは娘を身ごもっていたのだ。
そして、光の精霊王の契約者となる予言の王女を産むことになる。
第一部 貴族学園編
私の名前はレティシア。
政略結婚した王と元王妃の間にできた娘なのだけど、私の存在は、生まれる前に消された。
だから、いとこの双子の姉ってことになってる。
この世界の貴族は、5歳になったら貴族学園に通わないといけない。私と弟は、そこで、契約獣を得るためのハードな訓練をしている。
私の異母弟にも会った。彼は私に、「目玉をよこせ」なんて言う、わがままな王子だった。
第二部 魔法学校編
失ってしまったかけがえのない人。
復讐のために精霊王と契約する。
魔法学校で再会した貴族学園時代の同級生。
毒薬を送った犯人を捜すために、パーティに出席する。
修行を続け、勇者の遺産を手にいれる。
前半は、ほのぼのゆっくり進みます。
後半は、どろどろさくさくです。
小説家になろう様にも投稿してます。
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
追放ですか?それは残念です。最後までワインを作りたかったのですが。 ~新たな地でやり直します~
アールグレイ
ファンタジー
ワイン作りの統括責任者として、城内で勤めていたイラリアだったが、突然のクビ宣告を受けた。この恵まれた大地があれば、誰にでも出来る簡単な仕事だと酷評を受けてしまう。城を追われることになった彼女は、寂寞の思いを胸に新たな旅立ちを決意した。そんな彼女の後任は、まさかのクーラ。美貌だけでこの地位まで上り詰めた、ワイン作りの素人だ。
誰にでも出来る簡単な作業だと高を括っていたが、実のところ、イラリアは自らの研究成果を駆使して、とんでもない作業を行っていたのだ。
彼女が居なくなったことで、国は多大なる損害を被ることになりそうだ。
これは、お酒の神様に愛された女性と、彼女を取り巻く人物の群像劇。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。