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3 魔法学校の聖人候補
469 山の事故
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469
帝国の直轄地であるセルツの全権は、もちろん軍が掌握しているが、人々を統べるため代表者としてこの町ができた時からその任についているのがマッツア子爵家だ。街の人たちからは親しげに〝御館様〟と呼ばれるマッツア家の当主は、パレスとセルツを行き来しながら、この街の統治と警備を担当している。
現在では忙しい父に変わり、行政についてはサラエの長兄アノックが、軍部の代表は次兄のエベットが、そしてサラエ・マッツアは、山岳地帯であるこの街で最も重要で機動力のある実働部隊である騎馬隊を率いている。
子供の頃から、毎日この街の周囲の野山を馬で駆け回っていたサラエは、魔法騎士になるため一年だけ魔法学校へと入り〝基礎魔法講座〟を終えると、すぐ士官学校へと編入し、攻撃魔法と剣術の腕を磨いた。細い躰ながら、敏捷性を生かした剣術と強い威力を秘めた《風魔法》による魔法攻撃で、女性ながらすぐに頭角を現した。騎馬隊長となったいまでは部下や街の人々に慕われ、颯爽とした美しさを持つ彼女を〝騎馬姫〟と呼ぶ人も多く、その人望は厚い。
休日は訓練を兼ねて、愛馬とともに山を駆ける。
「今日も山へお出かけかね、騎馬姫様」
「サラエ姫様、今日はいい天気だ。西の尾根ではリリアの花が綺麗に咲いてるよ」
「馬の好きな草は、東の原っぱに多いですよ、騎馬姫様」
街を抜けていくサラエに、人々は親しげに声をかけ、サラエも馬上から気軽にそれに応えて笑顔を向ける。サラエはこの街の顔であり、街の人たちは彼女を街の守護神と崇めていた。
「ありがとう、行ってみることにするよ!」
街の人たちはいつものように颯爽と駆け抜けていく騎馬姫を、手を振って見送った。
確かに今日の天気は良好で、空は気持ちよく晴れ、風も心地よく吹いている。軽く束ねただけの髪を翻し、サラエは山を駆けながら、崖崩れの心配される山道や魔物の目撃情報のあった場所を見回り、やがてリリアの白く可憐な花が咲き乱れる西の尾根までやってきた。
「おお、これは確かに美しい」
ちらほらと残る雪の中で伸び始めた草の中、風に吹かれる小さなリリアの花に目を細めるサラエ。
「お前の名はこの花からとったんだよ、リリア」
サラエは真っ白な愛馬の背を優しく撫でながら、しばし春の気配が濃くなってきた山の様子を眺めた。
「上の方はまだまだ雪に覆われているが、このあたりはもう春の気配だな。今年は少し春が早いようだ。雪が急速に緩むようだと雪崩にも注意が必要だな」
休日の遠乗りとはいえ、生真面目なサラエは仕事のことを完全に忘れることはない。山頂の雪の様子を少し確認しようと、まだ雪が多く残る山道を慣れた手綱捌きで駆け上がる。片側が崖になった山道だが、幅は十分で定期的に整備もされているため、危険は少ない場所だ。
だが、その特に危険のない道を駆け始めてしばらくしたところで、急に地面が揺れた。
(な、なんだ!? こんなところに雪庇が? いや、それはあり得ない!)
対応する間もなく、サラエは愛馬とともに、山の崖から放り出されるように落ちていった。
(私だけなら、《風魔法》で速度を弱めてやれば助かるだろうが、リリアは助からない。ああ、どうしよう)
愛馬が気になって仕方がないリリアは、得意の《風魔法》にすらうまく集中できぬまま〝死〟すら頭に浮かんでいた。
だが、一瞬目をつぶった彼女が再び目を開けると、彼女の躰は宙に浮かんでいた。
(こ、これは《エアバブル》?)
大きな空気の風船はサラエを、そしてもうひとつがサラエの目の前にリリアを浮かべてゆっくりと下降していった。
(こんなとんでもない強度の《エアバブル》なんて、見たことがない。しかもそれを《風魔法》を使って正確に制御している。素晴らしい技術だが……でも、一体これはどういうことだ?)
状況が飲み込めずに混乱したまま、サラエはゆっくりと崖下の雪原に着地し、同じく着地したリリア号と無事を喜び合った。
「ああ、よかったリリア! 怪我はないか!」
愛馬の無事に心からホッとしたリリアが周りを見回すと、そこに人が立っていることに気がついた。
それは、魔法使いの老婆と美しい緑の髪の少女という不思議なふたり連れで、ふたりの少年たちを従者に連れており、この山深い場所に馬も連れずやってきているようだった。
「サラエ姫さま、ご無事で何よりでございました」
老婆の声で、サラエは気づいた。
「ああ、魔術師横丁のおばばだな。魔法付与した蹄鉄がないかと相談した時以来だな。しかし、なぜおばばがこんなところにいるのだ?」
〝魔法薬師の宝箱〟店主であるエルリベット・バレリオは、それにすぐには答えず、まずは山を下りることを勧め、後で店に来て頂きたいと告げた。
「私たちもすぐに参りますので、ご心配には及びません。ここは危険です。愛馬をなくすようなことにならぬよう、お早くお帰りくださいませ」
おばばのただならぬ物言いに、背筋に寒いものを感じたサラエは、何も言わず頷き、すぐにリリア号を駆って踵を返し下山していった。
少しだけ下ったところで、おばばのいた場所を振り返ったが、そこにはもう誰の姿もなく、ただ雪をはらんだ風だけが吹いていた。
帝国の直轄地であるセルツの全権は、もちろん軍が掌握しているが、人々を統べるため代表者としてこの町ができた時からその任についているのがマッツア子爵家だ。街の人たちからは親しげに〝御館様〟と呼ばれるマッツア家の当主は、パレスとセルツを行き来しながら、この街の統治と警備を担当している。
現在では忙しい父に変わり、行政についてはサラエの長兄アノックが、軍部の代表は次兄のエベットが、そしてサラエ・マッツアは、山岳地帯であるこの街で最も重要で機動力のある実働部隊である騎馬隊を率いている。
子供の頃から、毎日この街の周囲の野山を馬で駆け回っていたサラエは、魔法騎士になるため一年だけ魔法学校へと入り〝基礎魔法講座〟を終えると、すぐ士官学校へと編入し、攻撃魔法と剣術の腕を磨いた。細い躰ながら、敏捷性を生かした剣術と強い威力を秘めた《風魔法》による魔法攻撃で、女性ながらすぐに頭角を現した。騎馬隊長となったいまでは部下や街の人々に慕われ、颯爽とした美しさを持つ彼女を〝騎馬姫〟と呼ぶ人も多く、その人望は厚い。
休日は訓練を兼ねて、愛馬とともに山を駆ける。
「今日も山へお出かけかね、騎馬姫様」
「サラエ姫様、今日はいい天気だ。西の尾根ではリリアの花が綺麗に咲いてるよ」
「馬の好きな草は、東の原っぱに多いですよ、騎馬姫様」
街を抜けていくサラエに、人々は親しげに声をかけ、サラエも馬上から気軽にそれに応えて笑顔を向ける。サラエはこの街の顔であり、街の人たちは彼女を街の守護神と崇めていた。
「ありがとう、行ってみることにするよ!」
街の人たちはいつものように颯爽と駆け抜けていく騎馬姫を、手を振って見送った。
確かに今日の天気は良好で、空は気持ちよく晴れ、風も心地よく吹いている。軽く束ねただけの髪を翻し、サラエは山を駆けながら、崖崩れの心配される山道や魔物の目撃情報のあった場所を見回り、やがてリリアの白く可憐な花が咲き乱れる西の尾根までやってきた。
「おお、これは確かに美しい」
ちらほらと残る雪の中で伸び始めた草の中、風に吹かれる小さなリリアの花に目を細めるサラエ。
「お前の名はこの花からとったんだよ、リリア」
サラエは真っ白な愛馬の背を優しく撫でながら、しばし春の気配が濃くなってきた山の様子を眺めた。
「上の方はまだまだ雪に覆われているが、このあたりはもう春の気配だな。今年は少し春が早いようだ。雪が急速に緩むようだと雪崩にも注意が必要だな」
休日の遠乗りとはいえ、生真面目なサラエは仕事のことを完全に忘れることはない。山頂の雪の様子を少し確認しようと、まだ雪が多く残る山道を慣れた手綱捌きで駆け上がる。片側が崖になった山道だが、幅は十分で定期的に整備もされているため、危険は少ない場所だ。
だが、その特に危険のない道を駆け始めてしばらくしたところで、急に地面が揺れた。
(な、なんだ!? こんなところに雪庇が? いや、それはあり得ない!)
対応する間もなく、サラエは愛馬とともに、山の崖から放り出されるように落ちていった。
(私だけなら、《風魔法》で速度を弱めてやれば助かるだろうが、リリアは助からない。ああ、どうしよう)
愛馬が気になって仕方がないリリアは、得意の《風魔法》にすらうまく集中できぬまま〝死〟すら頭に浮かんでいた。
だが、一瞬目をつぶった彼女が再び目を開けると、彼女の躰は宙に浮かんでいた。
(こ、これは《エアバブル》?)
大きな空気の風船はサラエを、そしてもうひとつがサラエの目の前にリリアを浮かべてゆっくりと下降していった。
(こんなとんでもない強度の《エアバブル》なんて、見たことがない。しかもそれを《風魔法》を使って正確に制御している。素晴らしい技術だが……でも、一体これはどういうことだ?)
状況が飲み込めずに混乱したまま、サラエはゆっくりと崖下の雪原に着地し、同じく着地したリリア号と無事を喜び合った。
「ああ、よかったリリア! 怪我はないか!」
愛馬の無事に心からホッとしたリリアが周りを見回すと、そこに人が立っていることに気がついた。
それは、魔法使いの老婆と美しい緑の髪の少女という不思議なふたり連れで、ふたりの少年たちを従者に連れており、この山深い場所に馬も連れずやってきているようだった。
「サラエ姫さま、ご無事で何よりでございました」
老婆の声で、サラエは気づいた。
「ああ、魔術師横丁のおばばだな。魔法付与した蹄鉄がないかと相談した時以来だな。しかし、なぜおばばがこんなところにいるのだ?」
〝魔法薬師の宝箱〟店主であるエルリベット・バレリオは、それにすぐには答えず、まずは山を下りることを勧め、後で店に来て頂きたいと告げた。
「私たちもすぐに参りますので、ご心配には及びません。ここは危険です。愛馬をなくすようなことにならぬよう、お早くお帰りくださいませ」
おばばのただならぬ物言いに、背筋に寒いものを感じたサラエは、何も言わず頷き、すぐにリリア号を駆って踵を返し下山していった。
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